ヒロシマとフクシマのあいだ―ジェンダーの視点から

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  • インパクト出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784755402333

作品紹介・あらすじ

被爆国がなぜ原発大国になったのか?ヒロシマはなぜフクシマを止められなかったのか?なぜむざむざと54基もの原発建設を許してしまったのか?-。

感想・レビュー・書評

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  • 知人がこの本のブックガイドを書いたと聞き、近所の図書館にないのでリクエストしてみたが、購入されることはなく、ヨソからの相貸で届く。途中、どうもよく分からないところがあって、ぎりぎりまで延長して借りた。

    ▼フクシマ以後、原発導入の経緯や、大衆社会との関連で〈核〉について検証したものは、それこそ奔流のように刊行されている。そこに本書を付け加える意義が少しでもあるとすれば、それはジェンダーの視点にこだわっていることだろう。(p.18)

    著者の加納は、5歳のとき、広島で被爆した。「被爆国がなぜ原発大国になったのか?」、「ヒロシマはなぜフクシマを止められなかったのか?」との問いが著者には堪えたという。急遽取り組んだ〈核〉を軸にした戦後史の検証がこの本の第一部「ヒロシマとフクシマのあいだ」に、反核運動と女性、わけても母性について著者がこれまで書いてきたものが第二部「反核運動と女性」におさめられている。

    過去の文章を集めてあるので、似た内容があちこちで繰り返し出てきたりもして、内容だけでいえば三分の一くらいのページ数でまとめられると思うが、念を押すように何度も出てくるのを繰り返し読むことで分かってくることがあるような気もした。

    原爆投下から10年後の1955年、広島で原水爆禁止世界大会が開かれている(翌年、長崎で第2回大会)。これには、前年、1954年のビキニ水爆実験をうけた、原水禁運動の高まりが背景にあった。著者が日本の女性平和運動の中心と書く母親大会(=「生命を生み出す母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます」をスローガンとしている)も、1955年に東京で第1回大会が開かれた。

    この1955年は、原子力三法(原子力基本法・原子力委員会設置法・原子力局設置法)が成立した年でもあって、東京では原子力平和利用博覧会が開催されている。博覧会は、その後2年近くかけて、名古屋・大阪・広島・福岡など全国10か所を巡回した。この「原子力の平和利用」キャンペーンの話は『原発とヒロシマ―「原子力平和利用」の真相』でも読んだ。

    "夢の原子力"による電化生活は、母親の毎日の仕事を楽にするものと喧伝された。原子力兵器は否定する一方で、「人類の幸福と繁栄のために原子力を」というアピールは、平和運動や女性運動のなかにもあったことを、著者は指摘する。

    また、「母親として」「子どものために」を合い言葉にした原発反対に、「わたしが、わたしのために」原発はいやだと、なぜ言わないのかと、著者は問いかける。そこから、イデオロギーとしての「母性」神話を痛撃する。

    ▼明治以来日本国家は、自分を犠牲にして「子どものために」献身する母親讃歌を、積極的に謳いあげてきた。
     それがもっとも強力に展開されたのが、昭和一五年戦争の時期である。それは女たちに「御国のため」により多く子どもを産み育てさせ、犠牲を忍ばせるためであると同時に、そうした「母性」神話のなかに天皇制をくるみこみ、民衆に受け入れさせるためでもあった。「母心」同様、つねに一片の「私」なく「赤子」を慈しむのが天皇の「大御心」だというわけだった。だから国民は、命をかけてその「大御心」にこたえなければならない──。たしかに「子どものために」は、「天皇陛下のために」につながったのだ。(pp.166-167)

    「母親として」「子どものために」という心を否定できるものではないだろうけれど、「母」に寄りかかった運動は、うっかりすると、思ってもみなかった大きなものを推進する力になったりはしまいか、というのが著者の懸念なのだろう。「子どものために」の母親大会が、かつて原子力の平和利用をアピールしていたように。

    「原爆表象とジェンダー」の章では、原爆投下から1950年代初めの占領下のあいだ、報道規制により原爆報道は禁止されていたという通説をくつがえすものが書かれている。プランゲ文庫資料の調査をもちいた、堀場清子の研究で検閲による処分は少なかったといい(『原爆 表現と検閲』朝日選書、1995年)、早稲田大学20世紀メディア研究所の加藤哲郎らによるプランゲ文庫のデータベースを用いた検証でも、検閲をクリアした原爆報道が大量にでまわっていたことが裏づけられているそうだ。

    この章では、原爆の被害が、原爆乙女→サダコをはじめとする女性性によって表象されることで、「無垢なる被害者性を構築してきた」(p.104)ことがあとづけられている。それは、「日本の侵略性・加害性への無自覚さ、忘却・隠蔽と無関係ではあるまい」(p.104)と。

    私が、よく分からないと思ったのは「原爆・原発・天皇制」の章にある、atomic sunshineのあたり。玉音放送(終戦の詔書)や、その解説のような内閣告諭では、「アメリカの新型爆弾、この科学技術が戦争の歴史を一変させてしまった、そういう状況の中でやむにやまれず降伏したんだというようなこと」(p.62)が書かれてあって、「とんでもない兵器が出てきたから負けたんだ」(p.62)という原爆認識は、昭和天皇や当時皇太子だった現天皇にも共通している、と著者は書く。

    昭和天皇がマッカーサーを訪問したのは、原爆を持っているアメリカへの表敬で、天皇にとっては威力のある強者になびくのは当たり前だと著者は考え、それを裏づけるような話として、atomic sunshineのことを書く。

    GHQは日本政府に憲法改正を指示するも、帝国憲法と変わらないようなものしか出てこないため、業を煮やしたマッカーサーが1946年2月、ホイットニーをリーダーにGHQスタッフに草案を書かせる。その草案を、日本側の起草委員のところへ持ってきたホイットニーは、「マッカーサーはこの草案以外のものは受け入れない、15分だけ時間をやるから検討しなさい」と言って部屋を出て行く。15分後に戻ってきたホイットニーはatomic sunshine、原子力的な日光の中で日向ぼっこしていましたよと言ったのだという場面。

    著者はこう読み解いている。
    ▼つまり現行憲法は原子力という最大の威力を背景にして、押しつけられたんだということです。「押しつけ」というと、右翼的になってしまってまずいのですが、事実としてはそうです。(略)
     マッカーサーは天皇制の存続を絶対必要としていた。そのために第一章の天皇制と日本の非武装という第九条を抱き合わせにしたわけですが、その天皇制は戦前そのままではまずい。象徴天皇制でなければならない。atomic sunshineの話は、原子力にバックアップされることで、天皇制は戦後、新たな形で生き延びたということです。だから戦後の天皇制と原子力は対立矛盾するものではなく、まさに抱擁関係、共犯関係にあるのではないか。それは戦後日本の出発点における欺瞞性です。(p.65)

    「原子力的な日光の中で日向ぼっこしていましたよ」から、この読解をのみこむには、ちょっと距離がある。だいたい、atomic sunshineを原子力的な日光という、よくわからない訳は何なんやろと思い、この場面が書かれているというマーク・ゲインの『ニッポン日記』を図書館で借りてきて、読んでみた。

    その箇所は、こうなっている。
    ▼…ホイットニーは部屋に入るなり、芝居がかって言った。
     「いや、原子力的[アトミック]な日光の中で陽なたぼっこをしていましたよ」(p.209、『ニッポン日記』)

    この場面を見ていた新聞記者のマーク・ゲインは、「その場の空気はちょうど先手をうたれた馬の取引きのようだった」(p.208)と書き、「日本人たちは、雷にうたれたような顔付をしていた」(p.209)と書きとめている。その場にいた日本人は、松本烝治(ゲインの筆によると「超保守主義者」)、吉田茂(外相)と白洲次郎(「ひょうたんなまずのようにつかまえどころのない人物」)の三人だという。

    占領下の1945年12月からおよそ2年間の、東京をはじめとする日本の状況をつぶさに書きとめた『ニッポン日記』の全体(文庫本でほとんど600ページ)を読めば、著者のいうような"抱き合わせ"も飲み込めなくはないのだが、著者の書いている2ページほどで、「原子力を背景に押しつけられた」と読み、天皇が原爆を持つアメリカを表敬した裏づけだと読むのは、正直むずかしいと思う。

    この押しつけ云々は、加藤典洋の『敗戦後論』や、ダグラス・ラミスの『影の学問 窓の学問』でも触れられてるらしいので、そのうち読んでみたいと思う。

    (6/17了)

    ※気づいた誤字、あるいは謎の表現など
    ・この本に3度か4度引用されている母親大会のスローガンがビミョウに変
     p.17 「生命を生み出す母親は、生命を守り、生命を守ることを願います」
      → 真ん中は、「生命を育て」のはず
      →日本母親大会のサイト(http://www.hahaoyataikai.jp/)では、 「生命を生み出す母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます」となっている。
     p.40 「生命を生み出す母親は、生命を守り、生命を育てることを願います」
      → 上記と同じ
    ・女の視点で被爆体験を考えるというところ
     p.117 …あらためて考えてみると、やはり女ならではなかったかと思うことがいくつかあります。
      → 「女ならでは」ではなかったか? 或いは、 「女ならでは」だったと思う、としないと意味が通らないような
    ・どう読むのかわからない
     p.124 逆に非戦闘員である子どもにより多く障害が出ると塾う意味では無差別どころかとんでもない弱者差別かもしれません。
      →「塾う」が謎
    ・純粋に誤字
     p.189 だとすれぽ、高群の母性主義は… (poになってる)
      → だとすれ「ば」 
     p.204 リブロダクティブ・ヘルス/ライツ  (buになってる)
      → リ「プ」ロダクティブ・ヘルス/ライツ
     
    *母性という言葉がなかったという話に関しては、沢山美果子の「子育てにおける男と女」(『日本女性生活史四 近代』)に何か書いてあるようなので、これも読んでみたい。

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著者プロフィール

1940年生まれ。専門は女性史研究。

「2017年 『対話のために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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