- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784759814675
作品紹介・あらすじ
つくられる偽りの記憶。ときに歪められ、ときに植えつけられる子どもの頃の記憶。その思い出は本当にあなた自身のものか。
感想・レビュー・書評
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幼児期の記憶は消えてしまうのが自然で、蘇った記憶や、幼児期の記憶として覚えているものは、実際が後から作られたものであることが多い、という内容。
厚い本のわりには、書いてある内容は薄い。 -
サイエンス
ノンフィクション -
[private] 記憶は何のためにあるのか。「データを脳に保管して、いつか役立てる」と言う実用性だけが記憶の目的ではない。
たとえば、昨日と今日の自分が同一だと確信できるのはなぜか。睡眠で意識が断絶しても、自分を一貫した存在だと信じている。その拠り所が記憶だ。確固たる痕跡があるからこそヒトは「自我」を維持できる。
本書は、その精神基盤たる「記憶」の真偽を疑う。記憶がいかに曖昧で、しばしば間違ってさえいること、そして、その間違いに本人さえ気づいていないことを指摘する。
幼少期を思い返して欲しい。何歳の記憶が最古だろう。多くの人が興味を示す幼少期の記憶断片。しかし、その内容は真実だろうか。
そもそも記憶は思い出すことを通じて再構築されるものだ。想起ごとに内容が変更される。幼少時の記憶もコミュニケーションによって形成された虚構である可能性が高い。面白いことに「人生最初の記憶」は、アジア人より欧米人のほうが若い傾向にある。会話で記憶が作られることの証拠であるかもしれない。
要和尚記憶の蓋然性が低いとなれば、無視できない問題が生じる。幼児虐待などの犯罪が真実かどうかを証明できるのだろうか。実際、質問者の微妙な言葉の違いで子供の記憶が書き変わってしまうことが実験的に証明されている。ありもしなかった虐待が、誘導的な尋問で、いとも容易に事実化されるのだ。しかも、記憶への確信度は、正確さとは比例しない。
本書はこうした驚くべき事例を数多く紹介し、児童虐待事件について数多くの冤罪が生じていると指摘する。さらには、幼少期の暴力虐待が成人の精神健康に与える影響や、セラピストによる記憶回復療法など、人口に膾炙した科学的迷信が懐疑の俎上にのせられる。その迫力ある展開に触れた今、自分の何を信じたらよいかと心地よい浮遊感を覚えるのだった。(評:池谷裕二 讀賣新聞7月17日。)[/private] -
記憶は変容するものである。スナップショットのようなものではない。米国、英国では、子供による親の性的虐待があったという告訴が増えているそうだ。心理療法家のセラピーにより、今まで忘れていた子供時代の記憶がよみがえってきたことが原因であるという。
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自分は親との関係についてずっと悩んできた。ずっとトラウマがあり、高校生になってからはずっと幼少期の子育てに対する疑問をもって生きてきた。
本書を読んで記憶というのは、不正確なものだということが多くの実験からわかった。科学的に記憶の抑圧なんていうものは実証されていないことも分かった。
中途半端な心理療法家は怖いなーとおもった。 -
Remembering Our Childhood:
How Memory Betrays Us
http://www.kagakudojin.co.jp/book/b87050.html -
何年も忘れない
幼児期健忘
自分が何者かをどうやって知るのか
記憶の再構成
記憶戦争の勃発
偽りを演じる
信念の限界
セラピーの犯罪
イメージを信じて
虐待される真実
フレイド家の確執
真実、あるいはその行く末 -
私たちみなが持っている、一番古い記憶。その思い出は本当にあなた自身のものか。ときに歪められ、つくられる偽りの記憶。自伝的記憶研究の入門書。OPAC → http://t.co/dC1FXIk50Z
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自伝的記憶をめぐる大論争(抑圧された記憶の回復)について。そのメインは子供のころ受けた性的虐待の記憶の話。宇宙人に誘拐されたという「気づき」→確信についても。人間の記憶というものはこんなにあやふやさなのに,社会では記憶が結構信頼されている。その歪みがもっとも尖鋭な形で現れたのが,児童虐待の記憶論争だったんだろう。