少子化問題の背景や、既存の少子化対策についての問題提起はなるほどとうならせる。(しかし、少子化対策の新たな提言等は疑問符がつく。)
まず、少子化が生じている原因は、未婚率と離婚率の増にあるという指摘は正しいと思う。
また、少子化を問題視する発想と少子化対策にも共通する思想が、「量」にばかり目を向けたものであるという指摘は慧眼であると思う。少子化の問題は基本的に、国力の低下と、生産年齢人口の負担増である。
しかし、少子化が国力の低下を招くという発想は、逆に言えば、「子どもがたくさんいれば、国力が上がる」という単純な発想である。そしてそれは、いわゆる「産めよ増やせよ」といった、高度経済成長期の思想と何ら変わりない。
現代社会、そして将来の世界において、単純に労働力の多い少ないが国力を定義づけるなどということがありえるはずはない。生産量=労働力×生産性 であり、生産性の維持・向上がなければ、生産量は確保できないし、むしろ生産性の重要性が今後ますます高まるのは自明の理である。である以上、人口問題も数だけの問題として捉えることはナンセンスである。
これらを踏まえ、著者は、少子化対策について「量」から、「質」に転換すべきと主張する。質とは、優秀な人材を輩出するということであり、そのためには教育の質を高めることであるとしている。(教育論についての著者の提言には疑問を感じる部分もあるが、専門外なのであえて言及はしない)
その他の指摘として重要と感じたのは、以下の2つ
・従属人口のとらえ方
・年金問題への指摘
■従属人口は、「高齢者+子ども」の和であり、
高齢者が増え、若者が減るということがそのまま、
従属人口の増・生産年齢人口の減⇒負担の増 ではない。
なぜなら、子どもは減っているので、従属人口は減少しうる。
老年人口の増と比べてどうかで決まってくる。
また、世代別の人口区分が、過去・現在・将来で、
実質的意味付けが異なりかねないことは注目に値する。
子どもの高学歴化は、従属人口に該当する年代の増を意味するし、
元気な高齢者の増加と定年の延長は、生産年齢人口の増と従属人口の減を意味する。
今の20代と昔の20代、今の60代と昔の60代は違うのである。
それを統一的な年代区分で、単純に数十年単位で比較することは、
実は現実的でないのである。
□年金問題に対する指摘は、前段までは真っ当であるものの、後段と全体のトーンは詭弁であり、憤りを覚える。
年金問題を少子化による問題とするのは、官僚による議論のすり替えである。
なぜなら年金基金を財源とした、レジャー施設等への無駄な投資等により、年金の運用に失敗したことが大きな問題であり、基金の枯渇を招いているのに、少子化問題により収支のバランスが崩れたことが原因だと責任転嫁しているのだという。
そこで、元気な高齢者を増やし、定年を延長し、受給年齢を引き上げれば解決する、年金問題は少子化が問題ではないのだとしている。
が、部分的にあっているものの、これこそ議論のすり替えである。
「少子化だけが問題でない」は正しい。しかし、イコール少子化による問題はないことにはならない。また、受給年齢を引き上げれば解決するというのは、そのとおりであるが、それができるかどうかが未知数であり、そこに横たわる不公平への国民の不満は大きいことを看過できることではない。
少子高齢化という社会情勢は、年金制度への大きな試練であることは疑いようのない事実である。