日本一小さな大大名: たった五千石で、徳川将軍家と肩を並べた喜連川藩の江戸時代
- ルックナウ(グラフGP) (2008年9月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
- / ISBN・EAN: 9784766211825
感想・レビュー・書評
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江戸時代にはいろいろな大名がいたが、その中でも個性的な大名がいた。
大名と言っても石高は5000石だが、10万石扱い、参勤交代しなくてよい、幕府への賦役は免除された。その上「御所さま」と慕われたとなると、どんな家か興味がわいてくる。
現在の栃木県にあった喜連川藩の領主、喜連川氏のことだ。どうしてこのような扱いになったか。豊臣秀吉と徳川家康の配慮だった。
秀吉の場合、成り上がって関白・太政大臣になったので、名門に弱い。その上、美人好きのスケベだった。
島子という喜連川大蔵崎城の城主の夫人が、秀吉に謁見した際、化粧料を与えただけでなく、自分の側室にした。
島子の弟国朝に約400石を与え、氏姫婿として古河公方家を再興させた。
徳川家康は、清和源氏の血を引く新田氏の支流、得川氏の末えいとしているが、実際は家康が家系を改ざんしたというのが定説になっているそうだ。
自分の家系を権威付けするのに源氏の血を引く喜連川を利用した。
いくら権力やお金があっても、血筋ばかりはどうにもならない。
このような経緯があり、特殊な立場で江戸時代を生き抜いた。
これといった産業はなく、宿場であったことが幸いして、参勤交代で訪れる大名が落とすお金が頼りだった。
領内ではこれといった大規模な一揆はなかった。というもの、代々の御所さまが領民が困らないように気を使っていたようだ。
「聞く耳」を持っているとアピールするあの総理大臣も、御所さまの姿勢を少しは見習ってほしいものだ。
小さい藩で1冊の本になるのも珍しいが、個性豊かな藩だからなあ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
20120122読了
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喜連川藩をとりげた着眼点は良いが、内容的には地元などに伝わる逸話のオンパレード。エピソードの面白さからなら、石高が極小でも出自から重く扱われた新田家が題材の「猫男爵」(神坂次郎)、史料・史実に基づいた小藩のありようを明らかにした点では「苗木藩政史研究」(後藤時男)に遠く及ばない。しかし、軽い読み物としてなら喜連川という題材の珍しさもあって★三つ。