キリストはふたたび十字架に 上: ギリシャ

  • 恒文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (357ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784770409195

作品紹介・あらすじ

トルコの役人アガスが支配するリコブリシ村は、ちょうど復活祭の火曜日でにぎわっている。長老会は、七年ごとにキリスト受難劇を上演する村の慣わしにより、その配役を選んで発表した。キリスト役には羊飼いマノリオス、使徒ヨハネ役には村長の息子ミヘリス、ペテロ役には行商人ヤナコス、ヤコブ役には居酒屋の主人コスタンディス、マグダラのマリア役には寡婦カテリーナ、そしてキリストを売ったユダ役には馬具屋のパナヨタロスが選ばれた。その日の夕方、トルコ軍に村を焼き払われて逃れてきた、フォティス司祭率いるギリシャ人難民の一団が村に庇護を求めて現われたことから、村に亀裂が生じる…。

感想・レビュー・書評

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  • 3.5/15
    内容(「BOOK」データベースより)
    『トルコの役人アガスが支配するリコブリシ村は、ちょうど復活祭の火曜日でにぎわっている。長老会は、七年ごとにキリスト受難劇を上演する村の慣わしにより、その配役を選んで発表した。キリスト役には羊飼いマノリオス、使徒ヨハネ役には村長の息子ミヘリス、ペテロ役には行商人ヤナコス、ヤコブ役には居酒屋の主人コスタンディス、マグダラのマリア役には寡婦カテリーナ、そしてキリストを売ったユダ役には馬具屋のパナヨタロスが選ばれた。その日の夕方、トルコ軍に村を焼き払われて逃れてきた、フォティス司祭率いるギリシャ人難民の一団が村に庇護を求めて現われたことから、村に亀裂が生じる…。』

    内容(「MARC」データベースより)
    『20世紀初頭トルコ支配下の平和なギリシャ人村に降り掛かった災難-トルコ人小姓殺しの真犯人として名乗り出たのは、復活祭の受難劇でキリスト役に選ばれた羊飼いだった。信仰とは何かを鋭く問う問題作。』


    冒頭
    『リコヴリシ村の長官(アガス)は、村の広場を見下ろすバルコニーに座ってキセルをくゆらし、ラキを飲んでいる。音もなく霧雨が降り、黒く染めたばかりのアガスの太いそりかえった口髭にも、細かい雨粒がかかってきらめく。ラキで火照ったアガスはその雨粒を舐めなめ、涼味を楽しんでいる。』


    原書名:『Ο Χριστός ξανασταυρώνεται』(英語版『Christ Recrucified』)
    著者:ニコス・カザンザキス (Nikos Kazantzakis)
    訳者:福田 千津子, 片山 典子
    出版社 ‏: ‎恒文社
    単行本 ‏: ‎357ページ(上巻)
    ISBN:9784770409195

  • 『キリストは再び十字架に』はカザンザキス並びに現代ギリシャ文学の代表作とされる作品である。日本においては知る人間はほとんどいないが(かく言う私も紹介されるまでは全く知らなかった)、海外ではそれなりには知られているらしい。

     題名からもわかるように、キリスト教を取り扱ったものである。中でもギリシャを舞台にしているわけで、ギリシャ正教というものを中心に取り扱い、そこからトルコとの関係も加わっていき、そのためある程度バックグラウンドを知っておいた方がいい作品ではあるが、とりあえず、私は何の予備知識もなく(せいぜいキリスト教に関するいくつかの知識だけ)読み進めていった。
     物語としては面白い。キリスト教を取り扱ってはいるが、人間同士の衝突や融和といった動的なものが作中において展開させられ、わりかし物語としては正統な印象を受け、とっつきやすい作品だと思う。単純に物語の登場人物が最後どのような結末を迎えるのかが私は気になり、差し障りなく私はページをめくっていった。

     読むにあたって私はキリスト教の「愛」というものを念頭にいれながら、読み進めていった。キリスト教の説く道徳というものは隣人愛を含めた愛なのだが、それは信徒も認めるように難しいものである。作中の舞台となる村はキリスト教が流布しているが、大半はとても「愛」を持っているとは思えないもので、口も態度も悪い。自分たちに不利益となるものは放逐し、人を殺したりもする。ショーペンハウアーは「倫理学や教説をもって聖人君子とすることはできない」と述べているわけだが、聖書の教えも、結局人の罪を拭い去ることはかなわない。作者はやはりそれを描きたかったのではなかろうか。村から離反した一団もなるほどそれらの村人に比べればキリスト教らしい愛は持っているが、それでも止むに止まれぬとはいえ結局村を略奪し始める。彼らとて罪をもっているのではなかろうか。作者の苦悩が浮かび上がってくる。

     聖書およびキリスト教における「理想」と「現実」が作中において描かれる。結局は理想に到達するものはいなかった。愛を説きながらも利己心が上回る。その腐敗は現実世界においてもみられ、それはどこまでも真実ー苦い真実ーなのである。

  • 物語としては先が読めなくて面白いし、人物もいきいきしている。でも、ギリシャとトルコの関係や、キリスト教(ギリシャ正教)の知識がないと理解しづらい部分も多い。ところで、ヨーロッパではユダは黒髪黒髭で描かれることが多いけど、ギリシャでは赤髭が一般的イメージなんだなぁ…

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