ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ

著者 :
  • 太田出版
3.62
  • (3)
  • (2)
  • (8)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 50
感想 : 9
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778310790

作品紹介・あらすじ

わたしたちは「アメリカ・インディアン」になることはできない。だが、日本および日本人という夢から覚めれば、いつでも「地球に生きる人」となることはできるのだ。大地を敬い、目に見えない世界を知る「ネイティブ・ジャパニーズ」としての生き方を探究し続ける精神的な旅人のための、最初のログブック!「日本と日本人」論をこえて。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 方法や動機をさぐるよりまず、動力を直覚し、そのエネルギーの入る状態に自分を保つこと。



    理解は、愛と尊敬にはじまるものだと言えよう。それはグレイトスピリットへの尊敬からはじますのだ。すべてのもの、なんであれ、なんでありとあらゆるすべてのものには、自らの意志と道と目的とが与えられている。尊敬されなくてはならないのは、まさにそのことである

    しかしあのときにすべてが音をたてて変化した。ローリング・サンダーは想像もできなかった方法で、ぼくにはこれまで考えたことも見たこともなかった道の存在を指し示した。まったく疑うこともなくそれまで走り続けてきた追い越し車線の高速道路から降りて、あまり往来がなくて消えかけていたその道を、当初は頭のなかで聞こえる彼の言葉を道しるべにして進み始めた。

    コロンブスが到来するまで亀の島では『縄文時代』が続いていた

    日本列島で時が数千年のサイクルで円環を描き、文字ではなく声によって歴史や生き方が再生されるネイティブ・タイムが続いていたころのこと

    ここで言うビジョンとは『人生の計画や経済設計』のことなどではない。それは自分をつき動かし、導く根源的な源のことである。

    文字はその力を固定化させるために用いられてきた。それは人間を奴隷にするための言葉の使い方だ。

    常に真実をのみを話すことで、表現がことさらに複雑になることを押しとどめていたし、聞く人間の精神を解き放つ力を与えられていた。彼の話すことを聞いた人間はみな自由な精神を体験できた。

    シャーマニックな言葉をまだ使える能力が開花する可能性
    あなたがたは生きるために働けなどという。しかしグレイトスピリットはわれわれを狩りで生きていくようにお創りになられたが、働くようには創られなかった

    失われて久しい個人と社会と自然を癒すための物語を語り始めなくてはならない

    生きた物語によって存在理由を伝承する文化を学ぶ中で、漢字で書留められたものーの本質的に意味するものが、それ以前に存在した物語が有効性と力をもっていた時代を強制的に終わらせるために書かれたものであったと気付いた

    昔ながらの生き方をすることはもはや不可能だが、地球と地球でネイティブとして生きる人たちに心を開いて学ぶことができれば、もしかしたら、もういちど『あらかじめ失われていた物語』を回復することが出来るかもしれないし、物語にはそれだけの力がまだ備わっているとわたしは確信している

    人々が力を合わせて生き残るために、文字にされた記録などに残らないほど遠い昔から『物語』の力を利用してきた

    アメリカ大陸のみならず、この地球に存在したー存在するーネイティブな文化のすべては、『個人の独立』と『すべての人々のためになることをなすこと』の両者を、きわめて尊重する。個人をして無理やり社会や集団の規則や慣習に従わせるような強権の発動は、まず行われない。

    こどもたちが間違ったことをしでかしたとき、なにはともあれ、その過ちをより前向きな方向に導いていくために、『物語の持つ力』が使われる。人々の記憶の中に蓄えられて、世代を超えて耳から頭に伝えられてきているのだ。

    そうした行動がどのような結果をもたらすかを伝えるために考えられた物語

    その子の行いが自発的に正される兆しが見えたとき、厳罰行為は終了する

    物語は、物語が持っている力に応じて、話す人を選ぶのだといってもいい。物語によって器として選ばれる人間は、単に記憶力がいいだけでも、また声がよいだけでもだめだし、演技力があるだけでも不十分であり、そうしたものを超えたなにかが必要となるのだ。そういう特別な器の人間には、自然が直接その人にしか話せない物語を伝える。岩が歴史を語ったり、巨樹が物語を聞かせてくれたり、草が話をしたりする

    どんな状況であれ、頭に血をのぼらせたまま長くいるのはよろしくない。

    怒りはなにかをあなたに教えてくれる存在、いうなれば先生のようなもの、いやいや『怒り』だけが先生なのではなく、われわれの感情というものはどれも先生なのである

    一番いいのは他者のために祈ること

    物事にはすべからく正しい時と場所がある

    ひとつひとつきめられたようにやっていくなかで、正しい時と正しい場所の持つ不思議な力の扉を押し開く。その向こう側にはスピリチュアルな世界が広がっているのだ。

    完璧さ、裁く事。支配。現代的な文化の特徴

    聖なる山を
    生まれてからずっと見つづけてきたひとは
    こころのなかに
    忘れられない山をひとつ
    持っていることになる。
    例えばどこか遠くにいても
    その山の岩のひとつひとつの色を
    突然思い出したりする。
    おそらく、そこが
    あなたのいるべきところなのだ。
    その山こそが、あなたの家かもしれない

    どうかあなたがそこにたどり着きますように

    メディスンマンは常に一族に者たちのなかにあって、一族の者たちが感じるありとあらゆるものを、いいことも悪いことも、上のほうも下のほうも、失意の底から喜びの頂点までを、こころの神秘とリアリティをさらには勇気と怖れとを、そして、その一切すべてを、自ら経験し、感じ取らなくてはならない。必要とあらば虫けらのように地面にはいつくばってでも生きられるし、鷲のように空の高いところを悠々と舞ってみせることもできる。それがメディスンマンというものだ

    つまりは百年間に生きたメディスンマンはふたつの世界を行き来することで得た智慧のなかに、われわれが日本列島で、地球に生きる人としていかに生きるかの智慧も残っている可能性がある。

    言語を超えた沈黙による交流 を相手が人間であれ、山や岩や土地であれ、樹や草や花などの植物であれ、動物であれ、鳥であれ、雲や風や雨や川や海といった自然現象であれ、なにを相手にしても持つことが可能である

    沈黙を通して話し合おう。言葉を介在させずに、相手の心を理解しよう。今こそ沈黙の持つ力を、再確認したいものである

    自分から出ていたものは、自分に返ってくる

    あなたが自分以外の人とのつきあいを尊敬をもって行えば、あなたはまた尊敬をもってあつかわれる。

    与える人間になりなさい

  • 過去の記事や原稿のツギハギみたいだけど、ネイティブタイムを読んでみたくなった

  • これはかなり目から鱗、な本でした。
    日本人はモンゴロイドであり、アメリカの先住民族と遠い兄弟のようなものである、というのです。

    「結局「日本」はその力で千数百年近く国をドライブしてきた。そして問題は、わたしたちの国とされる「日本の歴史」が、たかだか千三百年ぐらいしかないといころにある。この事実に気がついたとき、わたしは腰が抜けるくらい驚いた。」(p.177)

    なんと!
    わたしも日本は長い歴史があると思っていたよ。

    「だってそれまでは「日本」の歴史は十分ふるいと思っていたからなのだ。学校でも「日本には長い歴史がある」と教える。だがそれは「文字に記された歴史がそれぐらいはある」というだけのことで、それ以前の歴史をすべてないものにしてしまうよくできたトリックみたいなものではないのか。」

    なるほど。
    文字に記された歴史以前の歴史! それについて思いを馳せたことすらなかった!

    「ところがアメリカの先住民族の歴史を勉強してまず最初に気がつくことは、彼らの歴史が軽々と数千年前にさかのぼれるという事実である。よくいわれる「ベーリング海峡を渡ってきた説」ですら否定して「自分たちは地球が生まれたときからここにいるのだ」と主張する人たちすらいるのだ。
    ヨーロッパ大陸からのコロンブスの到来などつい昨日の話であり、「日本」の考古学の用語を用いるならば、その時までアメリカ大陸では縄文時代が連綿と続いていたことになる。わたしたちと彼らの間には、最低でも二千年近い歴史認識のヒラキがあるのである。
    同じモンゴロイドの兄弟姉妹でありながら、われわれには「地球とつながって生きていた時代」の記憶がまるでない。その部分がきれいに消されてしまっている。
    「日本人」になることによって、奇妙に聞こえるかもしれないけれど「革新的な農耕民族に変身すること」によって、かえって地球と切り離されてしまったために、「日本人」には日本列島を愛し尊敬するという考え方が以後ずっとできず、大地は「金を生む場所」となり、強欲にドライブされるまま、その結果おそらくは世界で一番環境が汚染された島になってしまっている。
    「日本人」が「日本には二千年の歴史がある」というとき、それは、「日本人になること」によって地球と切り離されて二千年が経ったということを意味する。「日本」と「日本人」を考えるためには、消された「日本以前の数千年数万年の歴史」を、想像力の翼を可能な限り広げて検証してみる必要があるのではないか。日本列島で日本人はいかに形作られたのか? わたしがアメリカの砂漠で見せられた多くのヴィジョンは、ことごとくそのことを指し示すものであった。
    日本列島のインディアンたちははたしてどこに、いかにして、消えてしまったのだろうか?」(pp.177-179)

    p95の「セブンスジェネレーション」もぜひ今こそ日本人が心しなくてはいけないことじゃないかしら。
    「子供たちとともに、未だ生まれていない7世代先のことに、われわれは常に思いを馳せなくてはなりません」--ジャニーズ・サンダウン・ハテット、セネカ一族の長老の言葉

    「はっきりしておかなくてはならないことは、七世代先のことを考えるためには、「今日よりも明日がもっと素晴らしくなってほしい」とする自己中心的な右肩上がり思考では、当然ながらうまくいかないということ。いくわけもない。右肩上がりの思考とそれにともなった生き方をする人たちは、未来にたいする自分の責任なんてものを考えることもなく、長く時代を一直線にドライブしてきたわけで、つきつめると半ば強引に、時代を自分たちに好ましい方向に変えることに生きる目的が集約されてしまうから。
    ところがネイティブの人たちの数千年単位の円環を描く時間の基本的な認識では「今日と同じぐらい素晴らしい日がこれからも続けばよい」と考える。時代の流れと時代の流れはひとつだったし、人間の生き方にブレはほとんどなかった。歴史が始まる以前の世界が数万年から数千年続いているのもそのためである。」

    これ図書館で借りた本だけど、買いたいな。手元にほしい。

  • 今の北米は、白人の世界。
    今の日本は、弥生期に大陸から渡って来た人の世界。

    詳しくは覚えていないけど、今の日本人ではなく、縄文期の日本人の心を思い出して、もっと心豊かに生きようよ。みたいなお話だったと思う。

  • 読みたい本。
    題名に惹かれて。

全9件中 1 - 9件を表示

著者プロフィール

北山耕平(きたやま・こうへい):1949年神奈川県藤沢市生まれ。『WonderLand』(のち『宝島』と改称)創刊メンバー。1975-76 年『宝島』編集長。76年『POPEYE』創刊に参加後、渡米。同誌特派員としてアメリカ、ロサンゼルスに4年間滞在。70年代後半の西海岸で「ニューエイジ」の勃興に立ち会い、ローリング・サンダー(メディスンマン)と出会い、ネイティブアメリカンの精神を伝える。著書に、『自然のレッスン』『地球のレッスン』(太田出版、ちくま文庫)、『ネイティブ・マインド』(地湧社)、『雲のごとくリアルに[青雲編]』(スペースシャワーネットワーク)など、訳書に『虹の戦士』(ウィロヤ+ブラウン、太田出版)ほか多数。

「2022年 『北山耕平青春エッセイ集 抱きしめたい』 で使われていた紹介文から引用しています。」

北山耕平の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×