日本と中国、「脱近代」の誘惑 ――アジア的なものを再考する (homo viator)

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  • 太田出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784778314767

作品紹介・あらすじ

日中の安全保障上の緊張と、いま復活しつつある脱近代の思想「アジア主義」は無縁でない!グローバル資本主義にかえて「脱近代による救済」を訴え、「八紘一宇」や「帝国の復権」が露出する時代に、社会の息苦しさの原因を「外部」に求めない思想と行動の探究。現代中国経済研究の俊英が、日中・東アジアの現在と未来を語った渾身の論考。

感想・レビュー・書評

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  • 面白かった。中国における左翼と右翼の「ねじれ」(日本からみた場合、だが)、柄谷行人への批判(語り得ないものの神聖化)など。

  • 平易な語調で書かれているが、内容は基礎知識を要するものが多く、字面を追うことに終始された。それでも、文末にまとめられた内容には納得させられる。アジアでは近代化の推進主体に、国家がなりがちであること(それぞれの国家の事情はあるが)。このため、ナショナリズムのぶつかり合いを通じて、国家自体が、法の支配や政治の説明責任といった、近代的価値観の阻害要因になりがちであること。近代的価値観の多元性を前提にした、問題解決が機能不全に陥っていることを筆者は主張する。この状況下でも、中国内にも、国家中心から人間中心に見直そうという動きがあるという。こうした人々を見守っていくことが大切であり、また我々日本人も戦後日本の平和主義を尊重する姿勢が求められる。バランス感覚のある文章で、好感が持てる。

  • ・公と私の感覚が融通無碍に変化しうる、中国社会の伝統的な秩序概念=差序格局
    いったん公の信頼が崩れれば、それが私として糾弾され、大きな社会変動が起こる可能性を常に抱えている
    (→「自治」を掲げる村人たちのエートスも、「目指せ民主主義!」的なものよりむしろ伝統的な秩序概念にその根拠を求めることができる、つまりそれは「多数者」の生存権への要求に基づくもの)
    (→同時にそれは中国の公概念の限界。欧米近代で理念的には重視されてきた「少数者」の尊厳を理解し支えるという契機が根本的に欠けているということ。例えば少数民族は中国社会における公の中には包摂されない。少数民族民族居住地域への貧困対策などは、多数派にも通じる生存権の問題。つまり少数民族への中国的対処法は「マジョリティにも共通する問題への読み替え」と「秩序外への追放&自力救済」))
    (→中国の公・私の概念は「私」を邪なものとみなす道徳的な善悪観を反映するという点で、西洋的なpublic・privateと異なる。)

    ・「民意」を後ろ盾にした「公」の優越性によって「私」の領域が極端に狭められ、私有財産全般が悪とされたのが文化大革命だった。ことを思えば、中国の喫緊の課題は民主化ではなく、憲法によって権力に一定の制限をかける立憲主義の徹底。(武漢「方方日記」作者抑圧なども同じ現象!)中国のリベラル派もこのタイプ多し。
    (→中国では民意が日本以上に政治に影響を及ぼす力として認められてきたからこそ、それに「憲政」というタガをどのようにはめるかが切実な議論になる。)
    権力の民主化による真の多数者支配を目指す民主主義と、民主化された権力も含めて権力からの個人の自由を確保しようとする立憲主義とはそもそもの方向性が違う。

    ・筆者は、日本社会における「民意の政治への反映のさせ方」を、中国社会での状況を理解したうえで議論に活かすべきだと考えている。(が、疑問。民意を反映しすぎるとポピュリズムやばいのではないか?特に今の日本。)

    ・日本の左派のジレンマ=中国固有の統治の論理を尊重するがゆえにそこからはじかれたマイノリティに対しては冷淡にならざるを得ない

    ・「権力を分け合う」民主主義的な平等の実現=多数者の政治行動 ➕ 社会における政治的権利と経済的権利双方の「平等化」
    両者がそろってはじめて成立
    (→香港と台湾の民主化運動の明暗が分かれたのもこのため。)
    (※経済面における「平等化」の要求は、国家権力を制限するのではなく、むしろそれを強化させる方に働きがち。)

  • 中国の公私。公は平等であること。
    支配者が独裁か民主的かは問わない。
    平等を大切にしようとするとポピュリズムとなり法を逸脱したやり方でも認められてしまうことにも。ルソーの一般意思と相性がいい。
    中国の場合多数者の意見が尊重され、少数派は抑圧される。社会秩序の外に追いやられる代わりに自由を得る立場も歴史的にはあったが、今は全て政府が管理したがるのでは。

    左派右派が中国は逆。社会主義を目指す左派が政権をとった中国では、左派は現体制容認派。人権・所有権よりも平等が大切。
    それは西洋の王政→人権→社会主義の流れと異なり、いきなり王政→社会主義になったから人権乏しい。

    意外にも中国の行政や司法は世論の盛り上がりには敏感に反応する。だからこそオピニオンリーダーが拘束される。

    マイノリティの権利も尊重するのが左派

    ウチとソトを分けてウチを守るのが右派的としたときにら中国に対しては中国支援するために中国少数民族問題に異を唱えづらいのが日本の左派、敵の敵は味方として都合の良い弱者選別して助けてシンボルに利用する日本の右派。

  • 一見まったく対立して見える日本の右派とリベラル。しかし、「アンチ資本主義」という実は共通の心情により、一方は復古主義、もう一方は「資本主義でない何か」への憧れ、と分化しているだけで、結局は「近代」の否定という衝動を抱えている点が共通している。これを中国の政治経済動向に照らして理解しようとする試み。

    具体的な例としてわかりやすかったのは、例えば、中国におけるデモ。中国における「公」の概念は、すなわち「富の公平な分配」を優先することであり、「私」は利益の独占を意味する。民衆は富の公平な分配を政府に求め、それはときとして(特定の個人の)私有財産、ひいては人権よりも優越される。

    そして、中国の権力は古来より公平な分配を求める暴動、ひいては民意に敏感。日本人は「少数派による支配」を非民主的、と考えがちだが、中国での人権抑圧は実は「多数派(民意)による支配」の結果である、という関係があるとも。

    ポイントは「自由よりも平等を」という考え方への警戒のようであり、それを中国の製造業のコスト構造や香港の雨傘運動まで視野に収めて縦横に論じる切り口は素晴らしい頭の整理になる。いずれにせよ、好むと好まざるとに関わらず、日本を理解する上で中国を『鏡』として使うというのはどうも有効らしいと再認識。

    蛇足だが、柄谷行人の「アソシエーション」論、「資本=国家=民族でないもの」、という理想を追うあまり、中国の「帝国の原理」に期待、などとまで言い出しているとは知らなかったな・・・

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著者プロフィール

梶谷懐1970年生まれ。神戸大学大学院経済学研究科教授。専門は現代中国経済。神戸大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学)。博士課程在籍中に中国人民大学に留学(財政金融学院)。神戸学院大学経済学部准教授などを経て、現職。著書に『「壁と卵」の現代中国論』(人文書院)、『現代中国の財政金融システム』(名古屋大学出版会、第29回大平正芳記念賞)、『日本と中国、「脱近代」の誘惑』(太田出版)、『日本と中国経済』(ちくま新書)、『中国経済講義』(中公新書)。共著に『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)など。

「2023年 『所有とは何か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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