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- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784779122248
作品紹介・あらすじ
《日仏交流の全体像》
鎖国状態の日本の扉を、砲艦による強引な威嚇外交で
こじ開けたのは、1854 年にやってきたペリー提督率いる
米国の艦隊だった。
その後、欧米列強は次々に日本との和親条約・修好条約を
締結していった。
彼らが一応に驚いたのは
日本には常備軍が存在しないということだった。
そのため、日仏の交流は国防問題からまずは開始された。
軍事規律はいうまでもなく、その他の分野でも
フランス文化の強い影響が押し寄せた。
岩倉欧米視察団が出発したのは明治4年。
欧州文化の中心フランスには様々な領域で
学問が高度に達しており、日本が学ぶべきものが
多岐にわたることを痛感した。
最初の日仏関係は、彼我の文明には落差が大きすぎ、
日本側が一方的に恩恵を蒙るものだった。