- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784779514265
作品紹介・あらすじ
妊娠、月経、身振り、ハラスメント、トランスジェンダー、カミングアウト、女らしさ/男らしさ、人種差別、障害、老い
この世界に生きるということはどのような経験なのか?
ボーヴォワール、メルロ=ポンティといった哲学者の議論を拡張しつつ、当事者たちの経験の記述から様々なテーマに接近し、「当たり前」と「規範」の問い直しを試みる。
フェミニスト現象学に関係する論文や海外文献も紹介した文献案内も巻末に収めた、充実の入門書。
■編者紹介
川崎唯史(かわさき・ただし)
熊本大学大学院生命科学研究部助教。
専門は、メルロ=ポンティ、現象学、医療倫理。
主著に「『ヒューマニズムとテロル──共産主義の問題に関する試論』──道徳と政治の突き合わせ」(松葉祥一・本郷均・廣瀬浩司編『メルロ=ポンティ読本』, 法政大学出版局, 2018年)、「メルロ=ポンティにおける道徳論の試み」(『倫理学研究』48, 2018年)など。
中澤 瞳(なかざわ・ひとみ)
日本大学通信教育部准教授。
専門は哲学。
主著に「フェミニスト現象学から考える男女共同参画」(『理想』695, 2015年)、「フェミニズムとメルロ=ポンティ――規範を生きる身体の経験」(松葉祥一・本郷均・廣瀬浩司編『メルロ=ポンティ読本』, 法政大学出版局, 2018年)、「山戸作品における身体――メルロ=ポンティの哲学を糸口に」(『ユリイカ』51(12), 2019年)。
宮原 優(みやはら・ゆう)
専門は現象学、哲学。
主著に「月経について語ることの困難――身体についての通念が女性の社会参画にもたらす問題点」(『理想』695,2015年)、「不妊治療に見られる経験の構造――「期待」という人間の在り方」(『UTCP Uehiro Bokklet』12, 2017年)、「見られるものとしての身体――サルトルの現実とメルロ=ポンティの希望」(『現象学年報』27, 2011年)。
稲原美苗(いなはら・みなえ)
神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授。
専門は現象学、ジェンダー論、臨床哲学。
主著に“Disability and Ambiguities: Technological Support in a Disaster Context” (Galvin, K. T.(ed.)Routledge Handbook of Well-Being, Routledge, 2018)、「障害とスティグマ――嫌悪感から人間愛へ」(『思想』1118, 2017年)、Abject Love: Undoing the Boundaries of Physical Disability(VDM Verlag, 2009)など。
装幀=南 琢也
装画=浦郷仁子
感想・レビュー・書評
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共感しながら読むことができた本。
自分の教科書ならきっといっぱい線引いてると思う。
だけど、自分が共感=良い本ってわけでもないのをちゃんと頭に入れておかないとな。 -
マイノリティとは、単純に「少数」であること(量的な問題)ではなく、「一致すべきモデル」がないという状況にいる個人もしくは集団のことを示す
●感想
趣味でやっている読書会のお題本にしたが、とても読書会向きの本だった。「現象学」「フェミニズム」という、実生活と絡めた議論をしやすいアプローチをとっているからだ。扱うテーマは幅広く、全13の章で構成されている。外見、月経、セクハラ、一人暮らし、セクシュアリティ、性別違和、女の子らしい身振り、等。どれも明快なメッセージを用意はしない。問いを読者に投げかけ、思考プロセスを記述している。読みながら、ともに在り方について考える本である。
一番興味深かった章は、「妊娠とは、お腹が大きくなることなのだろうか」である。筆者が、「妊娠」を認識し、戸惑いながらも、努力して受け入れていく様子を語る。筆者は、妊娠したから、「赤ちゃんが自分のお腹の中にいる」という事実を受け入れられるのではない。妊娠するということを受け入れるために、主体的に行動する。お腹の中の子どもにことある毎に話しかけたり、子どものための服を編んだりする。お腹の中の子どもを能動的に認識しようとする。そのプロセスによって、子どもがお腹の中にいるという事実が受け止め、その子を産み、育てていく決心をする。
この章を通じて、女性は男性より親になるための身体的経験がはるかに重く、大きいことに、改めて気づかされた。女性は、妊娠を通じて、身体的に大きな変化と苦労を経験する。10か月の妊娠の期間と、出産という苦労、痛みを痛みを通じて母となっていく。一方で、男には、そのような身体的経験は一切ない。この隔たりがることを踏まえて、パートナーとして、父としての自分自身の振る舞いを考えたいな、と思った。
●本書を読みながら気になった記述・コト
■メルロ=ポンティへの批判…なぜ現象学ではなく、フェミニスト現象学か
>1点目はメルロ=ポンティが男性存在を想定し、男性存在を想定し、男性の経験をモデルとしていることに無自覚なまま、それを一般化して理論を構築しているという批判である。たとえば、ある研究者は「フェミニスト哲学者たちがこれまで注意してきたように、メルロ=ポンティの理論にあてられている身体にはジェンダーが考慮されおらず、男性中心のものである」
>ボーヴォワールは「第二の性」で、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ。社会において人間の雌が取っている形態を定めているのは生理的宿命、心理的宿命、経済的宿命のどれでもない。文明全体が女と呼ばれる者を作り上げる」と述べた
>私は胎児の実感や具体性の欠落を何とか埋めようと、何とか胎児を感じられるように努めた。というのは、多くの妊婦がそうしているように、まだまったく感じられない胎児にニックネームをつけ、パートナーとともに毎日自分の下腹部に向かって話しかけたのである
>妊娠中期、実際の赤ん坊には程遠いとはいえ、胎児は徐々に具体的になっていった
>社会やコミュニ―ケーションから月経が排除され無視されたまま女性が社会に参加していくのはあまりに無理があり、効率性を書いているといえる
>女性がマイノリティになる理由を考えてみよう。マイノリティとは、単純に「少数」であること(量的な問題)ではなく、「一致すべきモデル」がないという状況にいる個人もしくは集団のことを示す。女性の問題は、マジョリティである男性が依拠する「一致すべきモデル=家父長制」から周縁化されているということにある
・SO...セクシュアル・オリエンテーション
・GI...ジェンダー・アイデンティティを示す
>「恋人いる?」や「どの女優が好き?」という質問は、私のようなゲイにとってはカミングアウトを迫るものである
■文化的人種差別
・人は他人を、身体を取り巻く持ち物や服装を一緒に見て判断する
・欧米のフェミニストの中には、ブルカやスカーフを着た中東の女性たちがイスラム教の指導者や男性たちに抑圧されていると考え、ムスリム女性を啓蒙するなどして、開放する必要があると考える
・このとき、当事者たちが、ブルカやスカーフは自分たちの一部で、自分で着用したいと思っているというムスリムの女性たちの声には耳を貸さない
・自分たちは人権意識において優れているという西洋社会の自意識が反映されている
・宗教的人種差別とも呼べる
■トランス嫌悪と現象学
・お茶の水女子大学のトランス受け入れ報道を発端に、女性専用スペースにトランス女性が参入することへの懸念や反発が起こった
→実際に社会で虐げられているのはトランス女性側なのに、なぜマジョリティ側が忌避するのか -
マイノリティが感じた経験の記述がメイン。問いはあるが解はない。現象学とあるので意図的な構成だと思う。
マイノリティが生きやすいよう政策やルールにどう落とし込むのか考える必要はあるが、その前段階の知識を得ることに焦点を当てている本。
・気になったところ
先進国の親が移民ベビーシッターを利用し、その子供が親とベビーシッター両方の愛情を独占することによりベビーシッターの実子に愛情が不足する「愛の移植」問題。
女らしい振る舞いは体の作りから生成されるものではなく、環境、制度、規範が当たり前を作り出しているから。
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・良質な現象学入門書
メルローポンティやフッサールなど現象学者の議論が要領よくまとめられている。妊娠や老いなど身近なトピックを題材にした具体的な分析がされている。現象学的質的研究のためにも哲学的な研究のためにも良質な入門書といえる。
・構築主義的存在論
この本の論文のいくつかは構築主義的存在論に基づいて記されている。このスタンスの可能性と限界について考えさせられる。
・当事者性へのエンパワーメント
どのように世界を体験しているのかという一人称的な記述は、マイノリティーが自分の経験を言語化したり、それによってマジョリティに語り掛ける手がかりを与える。
・「普通」の規範性
normとnormalは、とても近い関係にある。1人称的経験の記述を通してそれを揺さぶろうとする。 -
経験を語ることの実践があって現象学入門としてもナイス
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現象学に最初に触れた本だった。身近なテーマから問いを投げかけてくれて、自分の生活を改めて見直すきっかけとなった。
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9章 ホモノーマティヴィティ
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東2法経図・6F開架:367.1A/I52f//K