何者かになりたい

著者 :
  • イースト・プレス
3.24
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784781619835

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    2016年、朝井リョウ原作の「何者」が映画化された。
    学生時代頑張ったこと、挫折した経験、会社に入って成し遂げたいこと……。就職活動を通して、面接官の好みに合うよう自分をカスタマイズしていくことで、本当の自分が分からなくなっていく。幾度となく繰り返される「個性」への質問に対して、5人の大学生たちが自分自身は「何者」であるのかを模索していく映画だ。

    本書はそうした「何者かになりたい」という欲求は、つまるところ「アイデンティティが欲しい」ということだと述べている。

    ただ、アイデンティティとはなんとも曖昧な概念だ。自分が勤め上げている仕事によって獲得できるのか、趣味を含めた私生活によって獲得できるのか。それとも目に見える成果ではなく、自分自身の「生きざま」がアイデンティティとして反映されるのか。きっと答えは出ないに違いない。

    私個人としては、アイデンティティは自分の生涯をかけて形成されるもので、人生のステージごとに相対する人に応じて移ろいゆく、不定形なものだと思っている。その意味では、確固たるアイデンティティなぞは存在せず、人によって表情を変えるペルソナじみたステータスが備わっているだけだ。

    ここで、「いやいや、一人きりでいるときの自分が見せる態度・性格が真の『アイデンティティ』なのでは?」という疑問が浮かぶかもしれない。
    しかし、他人から距離を置いているときの自分でさえ、その人格は誰かしらから影響を受けている。忙しい部署に異動して性格が攻撃的になったり、子どもができて性格が穏やかになったりするように、仕事仲間・パートナー・友人など、さまざまな人と接するうちに、自らの核は移り変わっていく。その不安定な揺れの集合体が「私」を作る。
    他人から言われる「君は〇〇な人だ」と、自分が認識している「わたしは〇〇だ」は、往々にしてズレているが、それは相手が私のアイデンティティの一部分しか認識していないからだろう。

    だから、「私は何者か」という自問には、「定まっていません」だとか、「定まっていませんが、定まっていないのが私です」とでも自答すればいいんじゃないだろうか。循環論法のようで答えになっていない気もするが、そもそも最初から答えは出ない。ならば、そんな回答でいいのだと思う。
    ―――――――――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    1 本書の目的
    どうして私たちは自分についてこんなに考えてしまうのか?どうして私たちは「何者かになりたい」と願い、「何者にもなれない」と悩むのか?
    そうした「何者問題」についての解決策を考える。


    2 承認されると何者かになれる?
    一体どこまでアチーブメントすれば(どんな肩書を手に入れれば)「自分は何者かになった」という実感が得られるのか?

    東大生、医者という華やかな肩書の中にいても、その集団の中で自分を他人と見比べれば、自分が無力な、何者でもない人間と思えてくるのは当たり前のことだ。

    SNSのフォロワーやYouTubeのチャンネル登録数など、世間から人気者として認められることで「何者かになった」という実感を得ようとする人がいる。しかし、チヤホヤされているときは自分が何者かを忘れていられるものだが、それは客観的な何者かの足しにはなっても、自分自身が納得できる「主観的な何者か」の足しになってくれるとは限らない。


    3 つながりが「何者か」にしてくれる?
    何人かで集まって話題や飲食を共有しているときや、自分よりも「集まってる自分たち」や「おれら・わたしら」が意識として強まっている瞬間、わたしたちは「何者かになりたい」という悩みから遠ざかる。
    この「集まり」による集団帰属意識は、SNSが発達した今、どこでも手軽にできる。
    それだけに、「自分がどこでどうやって『何者かになりたい』という気持ちと折り合いをつけていくのか」、または「その気持ちをどう活かしていくのか」が個人に問われている。あなたが「何者かである」と実感できる手応えを本当に与えてくれる人や対象をどこまで見極められるのか、そしてそれに望ましい集団を見つけたとき、ちゃんとそれを掴んでいられるのか。


    4 アイデンティティ
    「何者かになりたい」と、「アイデンティティを獲得したい」はほとんどイコールである。
    ただし、アイデンティティを獲得する難易度は人によって違う。例えば人気者の学生と不登校の学生では、アイデンティティの獲得のため着手できることに大きな差があるように。

    ①自分自身の構成要素が乏しい人
    まず、今の自分でも手が届くものを大切にする。
    その道中では、何者かになりたいと願っている人をターゲットとしてお金を巻き上げようとする人に注意する。
    ②構成要素が十分にあり、積極的に「何かを掴みたい」と思っている人
    最初からなりたい自分を狭く想定するより、なりたい自分や目指したい自分、入りたいコミュニティや手に入れたい趣味や技能などを手広く構える。

    「アイデンティティを確立した」というのはどのように判断するか?それは、あなたが好きでしょうがないものが定まっていくこと、あなたがどうしても手放したくない人や居場所が増えていくことが、おおむねアイデンティティの確立であり、あなたが「何者か」になっていくことかもしれない。


    5 恋愛・結婚
    何者かになりたいという願いの最重要課題として、パートナーシップを重視する人は多い。しかし、自分自身のアイデンティティをパートナー1人に頼れば頼るほど、そのパートナーとの恋愛関係や夫婦関係は制御が難しくなり、あなたのアイデンティティはパートナーの顔色や態度に大きく左右されるものになる。
    恋愛を有意味なものとし、パートナーをパートナーたらしめているのは、交換不可能性、「相手を失いたくない」という気持ちや思い入れだ。


    6 大人になってからの何者問題
    仕事がだいたい安定してパートナーや家庭を持っている人でさえ、意外に「何者かになりたい」という思いがくすぶることはある。
    思春期に比べると、中年期は人生の残り時間の短さと過ぎ去ってしまった時間の大きさを意識せずにいられない時期だ。健康が少しずつ損なわれ、社会的な立場や役割も変化していく中で、「自分が何かに挑戦できるチャンスがあと何回ぐらいあるのか、そもそもこれが最後のチャンスではないか」と意識させられる場面がたくさんある。
    中年期はもう、自分自身の構成要素を探し求める時期というより、すでに何者かになった、なってしまったあとの時期。それだけに、せっかく手に入れ、十分に馴染んだアイデンティティの構成要素を失ってしまったときの再出発はなかなか大変だ。

    何者にもなれないという悩みは、若い頃にも歳を重ねたころにも襲いかかってくる。しかし、願いや悩みがあるのも悪いことばかりではない。それらのおかげで大成した人、みんなと一緒にいられる人、社会についていける人もまた多いはずだ。「願ったとおりの何者か」にはなれなくても、「そうでない何者か」になったなら案外よかったと思える人は多い。「何者か」にはきっとなれるし、ならずにはいられないのだ。

  • 「何かで一番になりたい」と言っていた元恋人や、「人に影響力を与える人になりたい」という友人をを見て、なぜそんなにも承認欲求を抱えているのだろうかと日頃から考えていた。その気持ちが知りたくて手に取った一冊。人間誰しも、生きているのだから意味を見出したい、それが内なのか外なのかの違いだと思った。私はどちらかというと、自分で価値を決めたいし、周りから評価されても自分が納得できなければ意味がないと考える人間であるから、そういった見方もあるのかと学びになった。誰かに認められたいってのは一生続くんだと思ったし、それが人間なんだと思った。何者かになりたいというよりは、わかってほしい誰かをずっと探している自分は確かにいると思った。全く、人間て複雑なもんだ。

  • 今すぐ何者かになりたい!早く解決策を!という人には本書は向いていないだろう。筆者も終わりで述べているが、本書はそれが目的ではない。しかし、この心の動きがありふれたものであることを知り、この先どう向き合っていくかを考えるきっかけには十分すぎる。

  • 《恋愛を有意味なものとし、パートナーをパートナーたらしめているのは、この交換不可能性、「失いたくない」という気持ちや思い入れではないかと私は思います。》(p.129)

  • 何者かになりたいというのは、アイデンティティが足りないと自認している状態。自分自身の構成要素が不足しているときは、「危なくない」構成要素を手に入れる。すでに持っている手元にあるものいてもいい場所を手放さない。金と時間で居場所を買うとき、なくなった後何も残らないをちょっと検討。一発逆転、たった一つの冴えたやり方を避ける。最初の構えを広めにとる。
    構成要素を失ったときの組み換え。おおらかな幸せな高齢者は素晴らしい存在。確かに。

  • 自己啓発本ではなく、自分を再認識するための本。
    わかっていたけれど頭の中でぐちゃぐちゃしてた事をちゃんと文章化してくれいて、とても納得できた。淡々とした文章なので、受け入れやすかった。


    141.93

  • 何者かになりたいという気持ちを否定するものでなく、その気持ちとうまく付き合うことで向上していくというところに救いを感じた。もちろん何者かになりたいと考えなくてすむ人はそれでいい。

  • 何者かになりたい、何者でもないという気持ちはアイデンティティとほとんど同義だと分かった。また、どんなにすごい地位の人でも自分で長期間そう実感し続けることは少ないと分かった。何者かになりたいという気持ちはモチベになるから無理に消そうとする必要はないけれど、それなら、何者でもないと卑屈になったりネガティブになって行動できなくなるのではなく、今ある構成要素を見つめて一旦満足し、更に伸ばしていけばいいのではと思えた。
    自分の構成要素を増やしていくことやコミュニケーションを積極的に取ることを今後も頑張りたい。

  • サクッと読める。何者問題について整理されている。自分も、何者かになりたいと未だに思うけど、そういうときは、「当たり前すぎるかけがえのなさを手放すな」と言い聞かせようかな。そして、高齢になるにつれ喪失を経験していっても強くいたいと思った。

  • 「何者かになりたい」と一度でも思ったことがある人にはオススメです。

    本の中にも書いてありますが、
    「何者かになりたい」という思いと向き合っていくには
    自分を構成するアイデンティティーを増やしていくことが大事なんだと思います。

    自分の役職、好きなモノ•コト、価値観。
    どれくらい言語化できるか。
    昔はそういったものが自分はないなと感じることが多かったですが、最近になってようやく色々とあるなと気づけるようになりました。

    自分を振り返る意味でもいい本だった。

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著者プロフィール

1975 年生まれ。信州大学医学部卒業。精神科医。地域精神医療に従事する傍ら、ブ
ログ『シロクマの屑籠』にて現代人の社会適応やサブカルチャー領域について発信
している。
著書『ロスジェネ心理学』(花伝社)、『「いいね!」時代の繋がり』(エレファントブッ
クス新書)、『「若作りうつ」社会』(講談社現代新書)

「2014年 『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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