- Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
- / ISBN・EAN: 9784782800171
感想・レビュー・書評
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「規則に従う」と言うとき、私たちは何をしているのか。そこに言語と論理の断裂が姿を現す。
クリプキには日本語に翻訳された有名な書籍が二冊ある。一冊が『名指しと必然性(naming and necessity)』、もう一冊がこの『ウィトゲンシュタインのパラドクス(Wittgenstein on Rules and Private Language)』だ。
確かにこの本は、ウィトゲンシュタインの後期思索の中で現れる「私的言語(private language)」について書かれた本ではある。ただ、非常にアクロバティックな内容になっていることも確かで、特に注目されることが多いのは前半の規則に関するパラドクスの章だ。(このパラドクスを中心にすえてクリプキを紹介する飯田隆の『クリプキ』という本もあるくらい。)
ここで読者はどのようにしても私たちが「規則に従う」ことを正当化できず、その行為を「暗闇の中の跳躍」として理解するしかないことを知る。そしてこのパラドクスの構成があまりに鮮やかなので、その驚きの前に立ちすくんでしまうかもしれない。
だが、ウィトゲンシュタインの口を借りたクリプキはそのパラドクスにきちんと「懐疑的解決」を与える。答えること自体を放棄するようなその解決には、安らぎを与えるような確かさはない。確かさで言えばパラドクスの解決不可能な困難さのほうがよほど確かだ。言わばそれは、ある種の諦めのように見えるし、潔さのようにも見える。でも、もう一方で、未来に対する正当化をあらかじめ与えられないということが、絶望よりもずっと希望に近いようにも見えるのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
世のほかの哲学書の例にもれず、この本の内容も超難解で、更に翻訳本ならではの読みづらさもあいまって、さわりを理解するだけでも2周以上は読み込む必要がありました…。
幸運なことにこの本の内容を平易な文で解説してくれている飯田隆さんの著書『クリプキ ことばは意味をもてるか』がありましたので、そちらも併せて読むことで、なんとか内容が把握できた気になりました。
本の中では、ウィトゲンシュタインの哲学を下地として、「言葉が意味をもつとはどういうことなのか?」ということについて議論されます。帰納法についての懐疑論などにも言及があり、常識のように思っていることを疑って考えてみる哲学的な思考法を勉強できました。
私はミドリムシが動物なのか植物なのか考えるための参考のひとつとして、本書を読みました。感想、学べたことなどをnoteにまとめています。(https://note.com/midori_elena/n/n47c21a7314d2?magazine_key=mb1d3161dcc72) -
ウィトゲンシュタイン発展