精神と自然: 生きた世界の認識論

制作 : 佐藤 良明 
  • 新思索社
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感想 : 2
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  • Amazon.co.jp ・本 (327ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784783510741

感想・レビュー・書評

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  • まだ、理解できないけど、絶対に理解したいと思わせる。

  • どこでもそうであるが、学校教育は真に重要な問題を扱おうとしない。根本的な問題は注意深く避けて通る。
    文法構造とは何か。数とは何か。量とは?パターンとは?つながるとは?名前とは?集合とは?関連とは?エネルギーとは?情報重複(リダンダンシー)とは?力とは?確率とは?部分とは?全体とは?情報とは?トートロジーとは?ホモロジーとは?物理でいうマスとは?かとりっくでいうマスとは?(ミサ)記述とは?説明とは?次元の規則とは?論理階型とは?隠喩とは?位相とは?蝶とは?ヒトデとは?美しいとは?醜いとは?

    エピステモロジー(我々が物事を<知る>ということがいかにして起こるか)進化と学習は、必然的に同じ形式的規則性に収まる。生物進化と人間集団を同時に特徴付ける単一の知のプロセスが存在するからに他ならない。

    人間を何か特別な存在として囲い込んでいるあの境界線を私は超えつつあった。知と思考をつかさどる<マインド>というものに、思考する人間の外側にある自然の大きな部分、数多くの部分が映し出されてきた。

    「生ある世界(区切りが引かれ、差異が一つの原因となりうるような世界)とビリヤード球のような世界(力と衝撃こそが出来事の原因となる)との間の根底的なしきられかた」

    「学習内容を結び合わせるパターンを壊してしまうこと、それはすなわち質の破壊に他ならない」

    で、何を考えるのか?
    結ばれ合うパターンである。
    結ばれ合うパターンは<メタパターン>を、パターン間のパターンを作る。パターンとは結び合わせるもの、という漠然とした言い方は、メタパターンという概念を導入することで意味が明確になってくる。

    左右対称、繰り返し。しかし螺旋は左右対称ではなく、分割もされていない。

    彼らが発見しなくてはいけなかったのは、
    1対称性も分割も全て成長という事実の結果であり、帰結である事
    2成長は固有の形を要求するという事
    3螺旋という形によっtこの二つのうちの一方が(数学的、イデア的な意味で)満たされる

    結びつきは複数レベルにおいて考えなくてはならない。
    1同一の物語の構成要素であるという理由によるAとBの結びつき。
    2全員が物語の形式で考えることによる人間同士の結びつき。

    「行動」は文脈と関連、トイう二つの特徴を備えている。

    人間関係のような表面的な意識されたレベルにあるコンテクストと発生や相同というもっと深い太鼓的コンテクストとの間に類似関係を見出そうとしている。

    エピステモロジー:科学の一支流と哲学の一支流が合流したもの。ここの生物または生物の集合体がいかにして物事を知るのか、考えるのか、決めるのかを考察するのが、その科学的麺。知る過程、考える過程、決める過程に必然な限界その他の特徴を考察するのがその哲学的な面。

    大きな統一感覚の喪失を復活させる。

    リカーシブな堂々巡りを拒否する論理の世界は因果の循環連鎖こそが原則であるような外的世界といかなる関係にあるのか。
    論理は矛盾を含まずして回帰的な循環を論じることができないし、量は複雑なコミュニケーションシステムの中で何ら本質的な関係を持たない。

    必要と思われるシンプルな前提。(必要、とは子供達が正しい考え方を学ぶ上で必要、という意味ばかりではない。生物世界全体がこれらの単純な命題を軸に動いてお里、いわばこれらを必要としている)情報の組み合わせを専門に扱う科学分野は現時点ではまだない。しかし進化の過程はこのような二重の情報から得られる新しい情報に依存している。


    芸術、宗教、商業、戦争、睡眠、もそうだが、科学もまた「前提」の上に成立している。ただ科学の場合には単に思考の道筋が前提によって決まるわけではない。現在の前提の是非を問い、非ならば破棄して新しい前提を作るところに科学的思考の目標がある。この点で科学はそれ以外の人間活動と大きく違う。(前提が変わる可能性がある)

    前提の組み替えにあたっては「自分たちがいかなる前提を基盤としているかということを意識すること」そしてそれを言葉で把握できることが望ましい。また、科学的な理論を組み立てる場合に、同じ分野を研究している学者がいかなる基盤の上に立っているかを知ることも便利かつ必要。とりわけ、科学書を読む時には書き手の前提としているところに意識が及んでいることが肝心。

    学生たちの思考の穴。ー前提の認識日々の暮らしを支えている前提についても盲目。でもカトリックとマルクス主義の信望者は当てはまらない。どちらも人間の歴史的な思想の流れについて自ら考えたり、他人から聞いたりした経験があるのだろう。そして哲学的、科学的、認識論的前提の重要性がある程度分かっているのだろう。異端が破門に通じるからこそ、教えにくいが「前提」が重要なことを知っている。

    思考の前提自体が間違っていることがあるという理解を書いた人は、ノウハウしか学べない。

    科学は証明せず、探求するのみ。

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