- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784787720283
作品紹介・あらすじ
千円札一枚で酔える=「千ベロ」で有名な京成押上線立石駅前の飲み屋街。「宇ち多」「みつわ」の魅力はどこにあるのか? 東京下町の飲みスタイル(流儀)とはどんなものか? なぜ立石は千ベロの聖地になったのか? 京成線沿線の歴史と文化を掘り起こしつづける著者が熱く語る。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
立石を中心に近隣の京成線沿線の歴史と、もつ焼き文化を扱う書。著者は立石生まれの考古学者。
幼少期である1970年代初めの自らのもつ焼き体験記などは楽しいし、立石とその近隣の沿線駅の歴史が簡単にたどれるのも良い。ただ、専門家ではないので仕方がないが、もう少し文体の美麗さが欲しい。もつ焼きや下町ハイボールの定義を説明した部分はエビデンスが不明瞭で、もっと徹底して(近代食文化研究会のように)文献にあたってもらいたい。思考実験風の「もつ焼き屋が『発掘』されたら…」も共感を呼びづらい。立石の名店の間取り図や器の調査を「考古学的考察」として載せている。おそらく数ある居酒屋本と差別化するオリジナリティとしての企画だと思われるが、その調査報告書的文体も相まって「読者の要望」から外れている感がある。「教育がなっていない」「退場もの」など所謂「飲み屋の作法」が記されている箇所があり、このような「ジロリアン問題」が認識されていない。
カレールーの㈱ワタナベ食品の向かいの駐車場にあった屋台風もつ焼き屋で、塾の帰りに買い食いしたもつ焼きが原点19
江戸、東京の「下町」の範囲は決まっていない。1657年の明暦の大火までは隅田川以西(神田、浅草、日本橋等)が下町。大火以降は本所、深川まで下町。そして1818年までには旧中川、古綾瀬川ライン(亀戸まで)まで下町に含まれた。関東大震災や東京大空襲以降はさらに広がった37
90年代前半ぐらいまでのもつ焼き屋は、京成線沿線は「焼酎ハイボール」。総武線・常磐線沿線は「ホッピー」と飲み物が別れていた39
「立石デパート商会(飲んべえ横丁)」が戦後~1958年まで青線だった145
最初の立石駅は西円寺裏手に、荒川放水路が出来るまであった202
立石がせんべろの街になったいきさつの一つが、職安と血液を売れる血液銀行(現在の葛飾税務署にあった)という貧困層のトポスがゲニウスロキとなったから。それに中山競馬の沿線だったから206
立石様は、東京下町地域が沖積地であるため石が無い地層、そのため石が貴重な存在として崇められたから存在。その御利益にあやかろうと削る者が続出したため、「タタリがある」と防御装置として噂がたてられた。「立石様の地下部分は青砥駅まで続いている」という噂もある224
宇ち多、みつわ、江戸っ子、鳥房を取材して本書で分析しているのに、なぜかあとがきで鳥房のみTHANKSが書かれていない。本文中でも鳥房だけ辛辣な意見書を述べていたので、その辺に原因があるのか260 -
各店の食器を実測されているのには驚いた。一朝一夕でできた本ではなく、日々通い、地道な研究のもと完成した本だ。
-
女子栄養大学図書館OPAC▼ https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000053110