知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか

  • 新曜社
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (408ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784788509108

作品紹介・あらすじ

知はいかにして社会的制度となり、資本主義世界に取り入れられたか。旅行案内、地図、職業広告、株式からスパイ、印刷術、喫茶店、図書館などまでを題材に、知の歴史をパノラマ的に展望する。

感想・レビュー・書評

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  • 本書は、情報を含んだ「知識」をヨーロッパにおけるルネッサンス・啓蒙主義下の社会を中心を主なエリアとして史的に分析した研究であり、知識のライフサイクルにおける各視点で知識の体系化を試みている。分析はそうした操作的に設けられた体系内外の比較によるものが大部分となる。テーマの性格上、あえて二次資料を集めた上で体系を記述している。これだけでも、たいへんな大労作となることはいうまでもない。今日の大学を考える上では、知識を生業とする者、分類、管理の章が参考となろう。

    特に印象に残った知見や感想を挙げると、次のようなものがある。

    知識を生業していた者は、知識の発信だけで生業できていたのではなく、医師・法学者、とりわけ聖職者が余暇を使って学問的な知識を公表していた。またライプニッツのように学者が司書を兼ねることもあった。大学管理職や歴史編纂官も同様だった。現代のように科学や研究だけで生計を立てられるようになるには、多くの時間を必要としたことが明らかとなっている。こうしたことを今日の様式に敷衍すれば、「生業」以外の時間で学術的な活動を行うことは決して不自然ではないといえよう。

    知識を分類する方法はいくつかの枠組みがあった。ディシプリン、カリキュラム、デパートメント、ファカルティ、図書館、百科事典等が主な例である。これらは情報や知識の分野と段階によって、知識を再配置している。しかも再配置の作業は繰り返され、差異化・専門化・バルカン化(本書では弱小国家に分裂する意味用いられる)する傾向を指摘している。この事実は重要であり、大学教育組織やカリキュラム、教材は変化する(させる)ことが史的に当然といえる感覚を持った。今後の仕事上の一つの判断基準となった。

    知識を管理することは、個人的に行政的なシステムを連想していたが、著者は「知識の政治学」をも重視すべきと主張している。かつ、あらゆる政治体制は知識に依存することも先行研究から明らかになっているという。知識の管理の方法とは情報の蓄積であり、監視、諜報活動も含まれ、記録として書類作成・統計手法も発達した。こうしたことを踏まえ、著者が「書類国家」の興隆と呼ぶ概念は興味深い。当時からマクロ・ミクロの双方の視点で官僚制下にあったことがわかった。

  • 知識の商品化がテーマになっている。こういう切り口はとても面白くスリリングな展開が突然やってくる。前半はやや冗長だが後半が特に良い。

  • 3213円購入2009-11-30

  • 【由来】
    ・千夜千冊なんだが、同サイトで「糸井重里」で検索かけたら出てきた。

    【期待したもの】

    ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。

    【要約】


    【ノート】

  •  起きたばかりの出来事についても、複数の報告が食違いを見せることがあり、そのため近代初期の読者は、ますます分別ある懐疑主義者になっていった。1569年にあるイギリス人が述べているように、「われわれは毎日多くのニュースに接するが、それらは矛盾しているときでも、みな真実であると言い張る」のである。17世紀になると簡易新聞が刊行されるようになり、たとえ「事実」の報告であっても決して信用できない、ということを、ますます多くの人びとが知るようになった。というのも、例えば戦争のような出来事について、対立する食い違った記事が、大都市では同じ日に届けられ、容易にそれらを比較し対照することができたからである。このような新聞では、以前の号で急いだため誤って伝えた内容を、後の号で訂正することがあったが、まさにその公正な態度が、ますます多くの読者を批判的な眼でニュースを読むように仕向けたのである。17世紀後半の歴史家は互いの著作を、「架空の話」だとか「新聞」に譬えて非難し合うことが少なからずあったが、この2つの言葉はこうした文脈では同義語だったのである。(p.309)

     個別の対象に新たに与えられた意義は、日常的なレベルで起きた学問的慣習の変化と関わりをもっていた。自然哲学者や官僚のあいだでは、偏りのない非個人的な知識(後になって「客観的」と表現されるようになる)という理想と関連して、数への信頼が日増しに高まっていた。歴史家のあいだでは、証拠の事実を書く習慣が成立し、それにともなって脚注の習慣が生まれた。重要な点は、特定の原典を読む読者への何らかの案内を与える習慣が広まった、ということである。

     【解説】本書を読むと、「知識」と聞くとすぐに「知識人の生産した普遍的知識と捉えてしまう、われわれの思考慣性にそもそも問題があることを思い知らされる。《知る》という行為の物質的な痕跡として《知識》を理解するのであれば、近代初期の大学で論壇の書見台に置かれるアヴィケンナの医学書が《知識》であるのと同じ意味で、18世紀のパリの職業案内所で伝達される家政婦斡旋の情報もまた《知識》であるし、オスマン帝国のピリ・レイス提督の地図も、東インド会社で取引される商品の相場価格もまた《知識》であることに変わりはない。さらに国家が管理する戸籍情報も《知識》に分類される。(中略)本書では本来ならば情報として理解できるものの多くを《知識》として扱っていることがわかる。(pp.326-7)

  • 重厚で情報量が多いので、読了後に軽く感慨はあるかも。ただなんとなく尻切れ蜻蛉な感じで、著者によるまとめが最後に欲しかった気もした。

  • 「歴史学と社会理論」の著者であるバークの著作です。知の枠組みがどのように変遷して来たか、という問いはすなわち社会学における知識社会学の分野で認識される議題ですが、この命題に対して歴史学が何ができるか、を端的に表した好著だと思います。

    同じようなお題で新聞書評にものった「知はいかにして再発明されたか」という本がありますが、あの本は知の変遷を描きながら社会理論に結びつける学際的想像力に欠ける本であると思いました。

    このバークの著書は何度も改訂されている「歴史学と社会理論」の実践として輝く一つの彼の金字塔になることは間違いないでしょう。
    メタ学問に何ができるか、そこに興味がある人にこそ読んで欲しい一冊です。

  • 2010 9/6読了。筑波大学図書館情報学図書館で借りて読んだ。
    確かTwitterで(おそらくは@yuki_oさんか@ruckatz3さんに)すすめられて読んだ本。
    知識の社会学、あるいは知識がどのように扱われてきたかということについて、近代ヨーロッパを中心に様々な側面から取り扱った本。
    いつかこういう本が書ける人間になりたい・・・と思ったが、道はなんとも険しそうである。
    末尾に半端ない量の引用文献が掲載されていて軽く引く。

    印象的な内容としては、17世紀当時の図書館がコーヒーハウスと同様の役割をしていた、という点はかなり興味深かった。図書館=静かな場所、というイメージを取り払って知的な議論が活発に行われる図書館を・・・ってな話は最近よくある論調であるが、今はじめてあらわれたものではないということか。ふむ。

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