交通事故はなぜなくならないか: リスク行動の心理学

  • 新曜社
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  • Amazon.co.jp ・本 (342ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784788510333

作品紹介・あらすじ

いくら安全装置を改善しても、道路を改良しても、取締りを強化しても、交通事故は減らない-なぜか?学界と業界にセンセーションを巻き起こしているリスク・ホメオスタシス理論の考え方。

感想・レビュー・書評

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  • p111
    私たちの考えによると、レーサーの事故が多いのは運転技能が高いからではなく、(なぜならRHTによると、事故頻度と技能は全く関係が無い)、平均以上に高水準のリスクを受け入れるからである。
    そもそも彼らがレーサとなる理由がそれなのであるから。
    p114
    警告の過剰使用の危険性ついては他の論文にも書かれている。必要性が感じられない警告表示は注意を払われず、必要なときに無視される。
    p7
    リスク・ホメオスタシス理論は、どのような活動であれ、人々がその活動(交通、労働、飲食、服薬、娯楽、恋愛、運動、その他)から得られるだろうと期待する利益と引き換えに、自身の健康、安全、その他の価値を損ねるリスクの主観的な推定値をある水準まで受容すると主張する。
    p242
    ジェット機航空事故の半数以上はもしパイロットが安全規則を遵守していれば防げたというボーイング社とロシア航空当局が行った研究に注目したアメリカの研究者が、パイロットたちが手順所に従わない理由を突き止めたいと考えた。研究の結果この研究者が到達した結論によると、規則違反はそれによって生じる事故リスクの認知が不適切であったことが原因ではなく、時間や、経済性、あるいはその両方を節約したいという動機づけに誘発されていたためであった。

  •  自動車の交通事故について、リスク・ホメオスタシス理論 (Risk Homeostasis Theory : RHT) という考え方があるという。誇張して言えば、安全対策をしても、そのぶんだけ人びとは油断して危険な行動をとるから、無意味だよね、という話だ。もちろんこれは誤解で、実際にこういう誤解から「不幸保存の法則」などと揶揄する専門家もいたようだ。実際にはこんな単純な話ではない。

     ともすれば、人は「交通事故に対して法律や工学的なアプローチで解決するだろう」と考えてしまいがちではある。危険運転を厳罰化しろとか取り締まりを強化しろだとか、車体を強化しろとかエアバッグをつけろだとか。

     ところがリスク・ホメオスタシス理論は、巨視的なレベルで見ると、それらはさほど効果がないか、逆効果になりうるということを指摘している。素人目にはちょっと驚く話だ。え、じゃあ事故対策って意味ないやんけ、っていう。

     リスク・ホメオスタシス理論は、運転行動において人びとは、個々の内面にあるリスクの許容水準のなかで、利潤を最大化しようとする(リスク最適化)と考える。危険な運転をする損得と、安全な運転をする損得を考え、それが均衡する許容水準に合わせようとする。

     ざっくり言えば、かっ飛ばして事故を起こす(またそのことで罰金を科されたり免許停止になる)危険と、早く到着できるという利益などがある。事故は避けたいが早く到着したい。ここで大切なのは、人はそれを比較したうえで、リスクを減らそうとするのではなく、許容水準に近づけるかたちで最適化を図ろうとする。

     リスクを減らすのと最適化するのは、似ているようでまったく違う。従来の事故対策が施行されると、人びとの主観的なリスク評価は下がる。だがリスクの許容水準が変わったわけではなく、リスクの評価と許容水準の差は広がることになる。そこで、この広がった差を埋め合わせるかのように、人はそれまでよりもリスキーな行動を選びやすくなる、という。これが、最初に述べた「安全対策をしても、それだけ危険な行動が増える」ということだ。

     内容だけかいつまめば、おおよそこういう話になる。

     ふつうの人は「危険運転に対する罰則を強化しました、人が目の前にいるときに自動でブレーキをかけるようにしました、これで事故は防げる!」と考えてしまうけれど(そんな能天気はいないか)、リスク・ホメオスタシス理論は「ちょっと待てよ、それは人びとの安全運転に対する動機付けになっているのか?」と問いかける。

     じゃあ、どのように対策したらいいのか?

     著者が交通事故対策のアプローチとして指摘するのは、人びとが「受け入れよう」と思うリスク許容水準を下げることだ。先に書いたように、法律や工学的な事故対策をしてリスク評価を下げたところで、人びとはそれを埋め合わせるようにリスキーな行動をとりかねない。ならば、許容水準自体を下げてしまえばいい。要するに、安全運転への動機づけで、それも懲罰ではないほうがいい。小さなアメは大きなムチに勝る、というわけだ。人びとの行動を動機付け、自然と人の行動を安全な方向に誘導するように、制度的なデザインが求められるということだろうと思う。「シンプルな政府」という本のなかでも同じ話があったけれど、80年代に書かれた本書のほうが古くはある。

     いずれにせよ、このように人間心理に注目した対策を実現するには、事故対策を根本から見直すことが必要で、でも政府はそこまで交通事故対策に入れ込んでやろうとはしないよねー(雑)みたいな話で終わる。

     人びとの意識に注目するこの考え方がどれくらい実証されているのかは私ごときには分からないけれど、その意外な切り口を面白く思いながら読んだ。

  • 交通事故を中核としつつ、危険度の認識、安全な行動を選択する意味等を論じる。システム的な安全度が高まれば高まるほど、逆に、心理的には安心してしまって、危険な行動・リスクある行動を採ってしまいがちというのは、さもありなん、という気がしている。リスク管理者、安全性基準の設定者のみならず、自動車を運転する程度のリスクを負っている万人が認識すべきテーマを本書は書いており、これを知っているとの知らないのとでは、危険に対する気構えが違ってくると思われる。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00196931

  • リスクホメオスタシス理論の原典。

  • 話自体は面白い、人はリスクを最適化するのでリスクを軽減できる革新が起こるとさらにリスクを求める。
    改善はその恩恵を受ける個人がリスクを最適化する限りにおいて安全をもたらさない。
    色々な数字を見せられるとなるほど、となる。

    そこで、恒久的に最適なリスクの水準を下げるのはインセンティブらしい。
    ホメオスタシス的に考えるとそれも結局意味をなすことはなさそうだが。

    批判され続けたのだろう。
    読んでてひたすら辛い。
    しつこいくどさに負けずに流し読めばそれなりに面白い。

  • ホメオスタシスという、複雑系において、ある上限と下限の範囲内の値を変動する仕組みについて紹介している。
    交通事故そのものも、ある範囲内で推移する可能性があるし、病死を除く、他の事故死との総量が、ホメオスタシスで把握すると、リスク管理の指標を予測しやすいことを示している。
    それ以上のことを書いていると思うと、正しくないことを書いていると思うかもしれない。
    交通事故がなくならないのではなく、病死ではない事故死の全体が、ある範囲内にある可能性を示唆していると思うとよい。
    ある可能性を低くすると、他の可能性が増加する要因になっていることに気がつけばよい。

    サイバネティックスという用語もあるが、ホメオスタシスは、保存するものに着目しているのが違いである。
    それ以上のことを言っていると誤解する人が、批判しているのかもしれない。

  • レビューはブログにて。
    http://d.hatena.ne.jp/redeel/20090810/1249919674

  • 人々はより高いリスクを犯して、より高い効用を得ようとする。そうしなければ進化してこなかっただろう。

    既存の交通事故対策は有効ではない。懲罰の厳重化や技術の進化だけでは、効用最大化行動を止められない。

    人々は、将来よりも現在に価値を見出している。だから現在の自分のために効用最大化しようとする。


    将来の価値を大きくし、事故を起こしそうな行動を取って得られる効用よりも交通事故を起こさないことによって得られる効用を大きくしないと事故はなくならない。
    って感じ。

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