ルールリテラシー 共働のための技術

著者 :
  • 新曜社
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本棚登録 : 85
感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (180ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784788514775

作品紹介・あらすじ

◆ペナルティではルールを守らせることはできない!
るでしょう。しかし、著者によれば、その方法はルールを罰と報酬のゲームと捉える誤解にもとづいており、ルールが持つ可能性を損ねるというのです。賞罰や道徳で誘導する方法を離れ、ルールとは他者と協力するための技術であるという認識に立ち、ルールを維持する/あえて破るなどの実践を分析すると、ルールを活かし運用する能力=ルールリテラシーが見えてきます。いじめから解釈改憲まで、ルール観を一新する実践志向の社会学書です。著者は富山大学人文学部教授。

感想・レビュー・書評

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  •  人が何らかの目的をもって行動する(この本では「ゲームをする」)とき、必ずルールというものが生まれるが、そのルールとはどのようなものか、ルールが破られるのはなぜか、ペナルティを与えればルールが守られるのか、ルール―が破られるとどのような影響があるのか、イジメや指示待ち、改憲・安保法案をめぐる政府の行動などを例に挙げながら、ゲームとルールを解釈するもの。
     面白いんだけど、考えてみれば当たり前の論理のゲームを徒に楽しんでいるだけなんじゃないかとも思えなくもない。それでも著者がだいぶ分かりやすく解説してくれているのと、ここまできっちりとした洞察はできないんじゃないかと思うと、とても楽しく読めた。特におれは教師なので、ルールやペナルティー、ルール違反について読むと、いろんな事例が頭に浮かんでくる。
     なるほどと思えるところはたくさんあるが、やっぱり最大のものは「ルールリテラシーの原則」10のうちの2つ目、「ペナルティーによってルール―を守らせることはできない」(p.14)だと思う。つまり、「ペナルティーによって元のゲームとは異なる、別のゲーム―ペナルティーを避けるゲーム―をさせてしまう」(同)、「『ばれなければ良い』という考え方を必然的に生み出してしまう」(同)というのは、まったくその通りだし、怒られるから宿題をやる、掃除をやる、みたいな感じにさせてはいけないということが、今さらながらよく分かった。さらに、「ペナルティのない規則は守らなくても良いのだという考えをもつようになるかもしれない」(pp.78-9)というのも厄介だ。そして「反ルールの正当化」というのも怖い。正直おれは、いつもルール違反が起こるのを怖れ、起こったらいかにそれが正当化されないようにするか、ということに腐心する。さらに、「ルールの参照可能性が高ければ高いほど、ルール違反はより目立つようになる」(p.60)というのだから頭が痛い。とにかく「反ルールの正当化」が怖いのだけれども、それだけに「言い訳」に効用がある、というのも納得だ。つまり言い訳をするは、「自らのルール違反が反ルールを正当化しないために、それが免責できるものであることを示す責任」(p.66)を果たすということになるらしい。あとは「直接ルールと間接ルールの違いを理解して使い分けなくてはならない」(p.103)という原則も、当たり前なのだけれども、こういう考え方の枠組みを設定することの面白さというのを感じた。「直接ルールを的確に参照できない(ルールリテラシーが低い)」(同)状態になっている、あるいはそういう状態にさせない、ということが必要だと分かった。最後に「いじめ」の問題について。「いじめをしてはならない」というルールが「カンニングをしてはならない」というルールと同じで、「『してはならないこと』を具体的に指示しているが、『するべきこと』は具体的ではない。」(p.106)禁止のルールが何のゲームの一部であるかを示さないとならず、そこまでの解答は提示されていないが、それは教師なら自分で考えろと言うことだろうか。
     ということで、教師という職業柄、集団をまとめる上で絶対に必要なルールということを、きっちり振り返ることができるという点では、異色の教育学の本といっても良いと思った。(16/10)

  • 社会全体の法制度からスポーツのルールまで、ルール一般をゲームの構成要素とみなして、ルールの運用の仕方、守り方、はたまた破り方を考察していく。
    特にルールを守らせる強制力について、ルールそのものによる強制とペナルティによる強制を明確に区別しようとするのは面白い。ペナルティによる強制力を行使すると、プレーヤーはペナルティをうけないという新しいゲームを作り出してしまい、元のゲームの目的が果たせなくなる。一方、ルールが社会的カテゴリーとの結びくことで論理的な強制力生まれ、それがルールそのものによる強制力である、と。ヴィトゲンシュタインの言語ゲームをベースにして議論が展開されているそうで、制度学派っぽい理解が染み付いている頭には刺激になる。
    ただ、論理的な強制力だけをルールによる強制力として議論を進めた結果、論理的な強制力だけでルールを守らせられるのだろうか、という疑問がずっと付きまとい解消されない。社会的カテゴリーに基づく論理的な強制力がそれほど効果的ならペナルティによる強制力は必要ないはずだし、そうでないならペナルティによる強制力を当然に考慮したルール設計でないと意味がない。議論の展開上の都合もあったとは思うが、ペナルティによる強制力を議論の外側に置いたのは、現実のルール運用との乖離を大きくしてしまったのではないかと思う。

  • ・本書におけるルールとは利害でなく論理に関わるもの。

    ・ルールを乗り越える。 → ルール違反でないという自分内の論理を構築すること。例;中小企業は労基法を遵守しなくとも良い。(P.30)

    ・コンプライアンス→ルールを参照・確認すること。遵守しなかった場合は二重のルール違反。(P.40)

    ・「解釈改憲」に関するコラムだけでも読む価値がある。
    しかし、内閣の行っていることは「反ルールの正当化」でありこれはゲーム(この場合は民主主義政治)そのものを壊す行為だと評者は考える。

  • 361.41||Sa

  • なんだか「スポーツ倫理学入門」を思い起こさせた。
    特にデータやなんやらを使わず、ただ論理だけでルールの本質を浮かび上がらせる、そこになんか人文学の真骨頂を感じるね。平易な言葉づかいで、「本当に読者にわかってほしい」という思いがよく伝わる。人文学系の文章って、ただ難解な言葉遣いに酔ってるだけみたいな本があるからね。

    平易であるがゆえに、「ん?そうか?」といまいち飲み込めない論理もちらほら。そこは今後ゆっくり考えよう。
    自分が思考することの触媒として最適な良書。

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著者プロフィール

1961年、大阪府生まれ。富山大学人文学部教授。専攻は社会学で、社会調査法、差別論、ルールの理論、問いの理論などについて研究を発表している。著書に『差別論――偏見理論批判』(明石書店)、『ルールリテラシー――共働のための技術』(新曜社)、『人工知能の社会学――AIの時代における人間らしさを考える』(ハーベスト社)など。

「2023年 『ルールの科学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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