フランス詩大系

制作 : 窪田 般彌 
  • 青土社
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  • Amazon.co.jp ・本 (846ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791763429

感想・レビュー・書評

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  • ウンベルト・エーコの『美の歴史』でマラルメの詩論の一端にふれたので、その勢いを駆ってマラルメに再挑戦したく、手に取る。
    840ページに223人の詩人の詩を収録。
    かのシラノ・ド・ベルジュラックが書いた詩もある。
    ロマン・ロランのフランス革命劇「ロベスピエール」に登場したサン=ジュストの詩が採られていて感激!
    やはり、この本、ずっと手元に置いておきたい。
    肝心のマラルメは案の定分からなかった。
    サルトルの『マラルメ論』でも読んでみるか。/


    ◯アンドレ・シェニエ(1762〜94):
    大革命に熱狂したが、恐怖政治の行き過ぎを批判して捕えられ、断頭台の露と消えた。/

    【私はやっと春を迎えたばかり、取り入れが見たい。
     そして、太陽のように、季節から季節へと、
      私の一年を終えたい。
     私の茎と庭の名誉の上に輝く私は
     まだ朝の陽の光るのしか見ていない。
      私は私の一日を終えたい。】
    (「捕われた乙女」。『オード集』安藤俊次訳)/


    ◯ルイ・ド・サン=ジュスト(1767〜94):
    フランス革命期の政治家、詩人。ロべスピエールとともに恐怖政治を推進し、テルミドール反動で処刑された。叙事詩『オルガン』(1789)。/

    【悲痛な叫び声が聞こえた。 
     すると、悪辣な「魔術師」が
     狂乱の姫君を馬上に掻き抱き
     空高く駆け上るのが見えた。
     オルガンはこの卑劣な誘拐者を追跡する。
     彼は誘拐者に挑戦し、激昂して誓う、
     地の果までも追いかけて
     悪辣な盗賊を血祭にあげてくれる、
     卑劣にも、また非道にも、
     愛らしい乙女をかどわかした盗賊を。
     (略)
     だが実のところ、わがアントワーヌ・オルガンは
     気狂いじみた叫びに怒りをぶちまけながら、
     一つの美しい妄想を見ていただけだった。
     この凄まじい岸辺の恐怖が
     彼の燃えるような脳髄に吹き込んだ妄想を。】
    (「オルガン」(抄)。松本真一郎訳)/


    ◯テオフィル・ゴーチエ(1811〜72):
    ネルヴァル、ユゴーを知り、ロマン派を支持。小説『モーパン嬢』序文で「芸術のための芸術」を唱え、有用性を排し絶対美を追求する。高踏派の先駆で、ボードレール『悪の華』は、彼に献じられている。/

    【(前段略)
     すべては過ぎ去る。永遠を
     手にするのは頑強な芸術のみ。
      胸像は 
     残る、都の後に。/

     (略)

     神々でさえ死んでいく。
     しかし、至高の詩句はいつまでも
      青銅よりも 
     強固のまま。/

     彫れ、磨け、刻め、
     おまえの漂う夢が
      抗う素材の塊に
     その姿を印すまで。】
    (「芸術」、『螺鈿七宝集』安藤俊次訳)/


    ◯ポール・ヴェルレーヌ(1844〜96):
    ランボーの影響で、「何よりも音楽」の詩法を触発され、『言葉のない恋歌』を書く。73年、ランボー狙撃事件を起し投獄。96年、娼婦に見守られ、生涯を閉じる。『叡智』。/

    「秋の歌」は、『フランス名詩選』の感想で、上田敏「海潮音」の訳と比べるために第一連のみ引用したが、ここでも第一連を引用し、掘口大學訳と比べてみたい。/

    【秋風の
     ヴァイオリンの
       ながいすすり泣き
     単調な
     もの悲しさで
       わたしの心を傷つける。】(窪田訳)/

    【秋の日の
     ヴィオロンの
     ためいきの
     身にしみて
     ひたぶるに
     うら悲し。】(掘口訳)/

    同様に「忘れられた小唄」Ⅲの「町に雨がふるように」も、第一連を堀口訳と比較したい。(『フランス名詩選』の感想で引用した堀口訳は、僕が親しんできたものとはちがっていたので。)/

    【町に雨がふるように
     わたしの心に涙がふる。
     心のなかにしみとおる
     このわびしさはなんだろう?】(窪田訳)/

    【巷に雨の降るごとく
 わが心にも涙降る。
 かくも心ににじみ入る
 このかなしみは何やらん?】(掘口訳)/

    「何よりも音楽」ということで、僕は堀口訳の方が好きだ。
    もはや心にしみこんでしまっているので、どうにもならない。
    堀口訳をググってみたら、「ボエム・ギャラント」というホームページに、
    「ヴェルレーヌ 「巷に雨の降るごとく」 VERLAINE « IL PLEURE DANS MON CŒUR », ARIETTES OUBLIÉES III 日本的感性?」という記事があるのを見つけた。
    そこには、堀口訳と筆者自身の訳との比較や詩の分析だけでなく、この詩が何人かの作曲家によって曲を付けられていることが紹介されており、ドビュシーの曲(歌:バーバラ・ヘンドリクス)や、フォーレの曲(歌:ジェラール・スゼ)が、美しい映像とともに視聴できるようになっていた。
    何という掘り出し物だろう!/


    【何よりも先ず音楽を、そのために
     よりおぼろげに虚空にとけて
     その内に、何ものも重くのしかからず、
     何ものの跡にもとどめぬ「奇数脚」を好め。/

     (略)

     われらがなおも求めるのは「陰影」、
     「色彩」ではなく、ひたすらに「陰影」をのみ!
     おお! 陰影だけが、夢を夢に
     フリュートを角笛にあわせる。】(「詩法」窪田訳)/


    ◯アルチュール・ランボー(1854〜91):
    71年、ヴェルレーヌの招きで「酔いどれ船」を持ってパリへ。以後、この年長の詩人と遍歴。73年、狙撃事件で関係破綻。『地獄の季節』、『イリュミナシオン』。二十歳で文学を棄て、各地を渡り歩き、晩年はアラビアで武器商人となる。世界変革者としての詩人の使命は「全感覚の理に適った錯乱」をとおして「見者」になることである。/

    【希みはない
     日も昇るまい
     知ることは耐えること
     業苦は必定】
    (「永遠」、『地獄の季節』)/

    『ランボー全詩集』の感想で引用した「悪い血」(『地獄の季節』)が一番のお気に入りだが、採られていない。残念過ぎるので、勝手に引いておく。/

    《今や私は、アルモリックの浜辺にいる。夕暮れに、都会の灯がともらんことを。私の日程は終ったのだ。私はヨーロッパを去る。海の風が私の肺を焼き焦がすだろう。きびしい僻地の気候が、私の肌をなめし革のように鍛えるだろう。泳ぎ、雑草を噛みしだき、狩りをし、とりわけ煙草をふかすのだ。沸騰する金属のような強烈なアルコールを飲むのだ、ーーあたかもわが祖先らが焚き火を囲んでしたように。私は戻って来るだろう、鉄の四肢、褐色の肌、猛々しい眼つきをして。その面魂を見て、ひとびとは私を屈強な種族の一人とみなすだろう。私は黄金を手に入れるだろう。のらくらで粗暴な男になるだろう。》(宇佐美斉訳)/


    ◯レミ・ド・グールモン(1858〜1915):
    フランス象徴主義運動の擁護者、理論家。『仮面の書』、『文学散歩』、『シモーヌ』。/

    僕の大好きな「落葉」が採られていないのは残念過ぎる!
    あまり口惜しいので、勝手に載せてしまおう。

    《シモーヌ、木の葉の散った森へ行こう
 落葉は苔と石と小道とをおおうている
 シモーヌ、お前は好きか、落葉踏む足音を?
     
 落葉の色はやさしく、姿はさびしい
 落葉ははかなく捨てられて 土の上にいる
 シモーヌ、お前は好きか、落葉踏む足音を?
   
 夕べ、落葉の姿はさびしい
 風に吹き散らされる時 落葉はやさしく叫ぶ
 シモーヌ、お前は好きか、落葉踏む足音を?

     寄りそえ、われらもいつかは あわれな落葉であろう
 寄りそえ、もう夜が来た、そうして風が身にしみる
 シモーヌ、お前は好きか、落葉踏む足音を?》(堀口大學訳)/


    ◯ジュール・ラフォルグ(1860〜87):
    南米モンテビデオ生れ、肺を病み27歳の若さで死す。6歳のときフランスへ送られ、のちパリのコンドルセ中学に学ぶ。
    85年、詩集『なげきぶし』、『聖母、月へのまねび』。死後、詩集『最後の詩』、散文『伝説寓意劇』刊行。自由律を駆使した『最後の詩』は近代詩の先駆的役割を果す。/

    経歴を読んだだけで、訳者がこの詩人を大いに評価しているのが分かる。詩も四篇採られている。/

    【お医者様が言ったっけ
     僕の哀れな母さんは
       チル ラン レール!
       心臓病で死んだって。
     そして僕も母さんとねんねしに
     近くあの世に出かけるだろうと。
     僕の心臓の鼓動が聞こえる
     呼んでいるのは母さんだ!/

     街ではみんなに笑われる
     へべれけな子供みたいな
       ラ イ トゥ!
       この不細工な恰好を。
     ああ! 神様! 一足歩めば
     息をつまらせ、よろめくからさ!
     僕の心臓の鼓動が聞こえる
     呼んでいるのは母さんだ!】
    (「心臓肥大症にかかった子供の唄」『地球のすすり泣き』窪田訳)/


    ◯ライナー・マリア・リルケ(1875〜1926):
    プラハ生れのオーストリアの詩人。最高傑作『ドゥイノの悲歌』。ヴァレリーの知遇を得、フランス文化に深い影響をうけ、晩年の三年間にフランス語で多くの詩を書く。『果樹園』、『薔薇』、『窓』。/

    【たった一輪の薔薇、それはすべての薔薇、
     そしてこの薔薇は
     事物の本文(テクスト)にも囲まれた
     かけがえのないもの、完全なもの、しなやかなことば。/

     この薔薇を措いてどうして語れるだろう、
     私たちの希望がどんなものであったか、
     そして絶えざる出帆の間の
     心なごむ休息がどんなものであったかを。】
    〈(たった一輪の薔薇‥‥‥)『薔薇』松本真一郎訳〉/

    大好きなこの詩に、この本で出会えるとは思ってもみなかった!/


    ◯ギヨーム・アポリネール(1880〜1918):
    詩集『アルコール』と評論『立体派の画家たち』で時代のリーダーに。第一次大戦に志願、頭部を負傷し後送され、スペイン風で夭折。詩集「カリグラム』、詩論『新精神と詩人たち』、散文『異端教祖株式会社』、『虐殺された詩人』。シュルレアリスム演劇の先駆『チレジアスの乳房』。/

    【僕が前線のかなたで戦死したなら
     いつの日かお前も泣いてくれるだろうか おおルウよ愛す
      る女よ
     そして僕の思い出も消えてなくなろう
     前線で炸裂する砲弾が消え果てていくように
     花咲くミモザにも似たあの美しい砲弾が】
    (「僕がかなたで戦死したなら」『ルウ詩篇』窪田訳)/


    案の定、付箋が林立した。
    だが、現代になればなるほど付箋は疎らになってくる。
    マラルメの言葉が響く。/

    《「暗示すること」、そこにこそ夢がある。(略)暗闇のテクニック、空白からの喚起、言うまでもなく不在の詩学である。》(ウンベルト・エーコ『美の歴史』)/

    マラルメの言葉は、『ユリシーズ』におけるジェイムズ・ジョイスの戦略にも通ずる。/

    《「非常に多くの謎を詰め込んだので、教授たちは何世紀にも渡り私の意図をめぐって議論することになるだろう」》/

    だが、多くの詩人の詩法がこうした流れに組みすれば組みするほど、僕はここに、本書に採られなかった詩、例えばジャック・プレヴェール の「枯葉」などを置いてみたくなってしまうのだ。
    果たして、大衆性は瑕疵だろうか?
    むしろ、現代詩が居酒屋に背を向ければ向けるほど、詩の生命は短命になってしまうのではないだろうか?
    そんな気がしてならない。


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