- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784791769308
感想・レビュー・書評
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吸血鬼とは何か、人は何故、それに魅せられるのか――
を論じた、
言語学教授による「ヴァンパイア幻想の300年史」。
吸血鬼というアイコンを巡る考察は
種村季弘『吸血鬼幻想』一冊があれば充分なのだが、
些か古びてきたので、最近の話題を期待して購入。
しかし、内容はオーソドックスな吸血鬼論。
比較的新しいコンテンツ情報は
アン・ライスのヴァンパイア・クロニクルズ、
ステファニー・メイヤー『トワイライト』くらい。
でも(私は未読の)それらのファンが、
シリーズのどんな設定・性質に
心のツボを刺激されているのかを察することが出来て、
なるほどなぁ……と思った。
以下、未読の方も斜め読みした気分になれる(?)
まとめ。
■序:ヴァンパイアの謎と神秘
ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』以後、
人口に膾炙したヴァンパイアなる怪物について、
我々は何がそれをヴァンパイア足らしめているのか
正確に語ることが出来ない。
vampaireという単語の登場は1725年、
しかし、何語に由来するのか
言語学者の間で一致を見ていない。
18世紀を通じてほとんど人格を付与されなかった
ヴァンパイアの運命が一変したのは1819年、
詩人バイロンの主治医
ジョン・ポリドリの短編「吸血鬼」の登場による。
■第1章:不死者の肖像画廊
ステロタイプなヴァンパイアのイメージ、
特有のヴィジュアル・スタイルの出自を検討。
小説と戯曲に登場した
シャルル・ノディエによる「ルスヴン卿」、
作者不詳の「ヴァーニ」、
ストーカーの「ドラキュラ」が持つ、
それぞれの表と裏の顔=二面性。
18-19世紀のヨーロッパ絵画において、
襲われるか弱い存在から男を支配する側へ反転した
女性たち。
20世紀になると
ヴァンパイアは映画のスクリーンから
観客の心を眼力で掴むようになった。
■第2章:ジェネレーションV
詩、小説、映画におけるヴァンパイア物語の
エロティシズム、そのヴァリエーションと変遷。
転換点は1976年、
アン・ライス『夜明けのヴァンパイア』か。
異質な存在が一般人の生活に侵入する
過去のヴァンパイア・フィクションの対極を行く、
そのシリーズ「ヴァンパイア・クロニクルズ」では、
不死者たちは自律的に生きる倫理感の欠如した
耽美主義者として描かれる。
一方、
ステファニー・メイヤー『トワイライト』では、
性的描写を斥けながら、
ヴァンパイアに従順な内気な少女の
マゾヒズムの歓びが浮き彫りにされる。
若い女性は家父長制社会から逃避し、
蠱惑的な不死者の許に走る。
■第3章:純米国産ヴァンパイア(およびゾンビ)
19世紀におけるヴァンパイア・フィクションの
主たる舞台はロンドンとパリだったが、
徐々に新大陸から旧大陸への「侵入」が
仄めかされるようになった。
アメリカにおいては
人種の坩堝であるが故に「異物」が紛れ込むのも
容易であると考えられるためか、
ヴァンパイアはハリウッドに棲息し始め、
映画の世界ではゾンビへの種族交代が進行した。
■第4章:吸血の音
様々なメディアに進出したヴァンパイアも
音楽とは相性が悪い、何故ならば、
歌声で聴衆の心を掴めば彼(彼女)らの
神秘性が薄れてしまうから。
ヴァンパイアをテーマにしたオペラにも
成功例はあるが、
歌唱表現に求められる「誠実さ」が
彼らの陰鬱な孤独とマッチしないため、
音楽は怪物の呪詛を掻き消す。
そして、20世紀半ばのアメリカでは
吸血鬼を含むモンスターたちは
コミカルな芝居に取り込まれた。
■第5章:不死への鍵
ヴァンパイア・フィクションの(傑作の)構造は、
この怪物が永遠に死なないことを確約する。
作家や映画制作者は、いかにして
ヴァンパイアに確実な復活手段を与えてきたか。
掴みどころのない要素=
雑多なテクストを“それらしく”配置する手法、
あるいは、物語の主人公=語り手の多くが、
事件を巻き起こした吸血鬼の記憶に固執し、
それを他者と共有することで
吸血鬼に新たな生命を授け続ける――
という形式【※】によって。
【※】https://plus.google.com/u/0/110286909350811062075/posts/BwNarBbpDSH
自然の手段で生殖できないヴァンパイアは
人間の欲望を糧にして生きる。
文学や映画は
不死者と共謀する芸術家の手で仕立てられた
言葉や音、映像の特定の配置であり、
彼らが売る「嘘」を人々が愛し、
それに金を払い続ける限り、
ヴァンパイアが死ぬことはない。
■結語:ヴァンパイア、その表と裏
東欧の片隅で死者が蘇って
村人を襲ったことから生まれた
ヴァンパイア伝説だが、
それが何だったのか明らかにされないまま
急速に拡散され、影響力を持つようになった。
文人たちはこの素材を用いて利益を得、
自分らが提供する物語を実際の民間伝承に偽装し、
20世紀には映画及びテレビがその謎を拡大した。
現代においては、怪物は個人生活の中からも、
巨視的な歴史状況からも生じる。
大抵の場合、人は皆ヴァンパイアであり、
シャルル・ボードレールの言う
「我と我が身を罰する者」であって、
怪物を殺そうとするとき、
自分自身に致命傷を与える。詳細をみるコメント0件をすべて表示