「コミュ障」の社会学

著者 :
  • 青土社
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784791770625

感想・レビュー・書評

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  • コミュ障ではなく、全体的に不登校やひきこもりについての文章だった。不登校の経験者という立場からの研究や意見がおもしろい。今は非当事者でもいつなるかは分からない現代で「生きづらさ」とどう関わっていけばよいか考えさせられた。学校や企業に囚われがちな人間にフリースクールなどのその他の居場所があることを知った。

  • ・「コミュ障」の要素を冷静に分析すると実はたいして重要なことではない、にもかかわらず不釣り合いなくらい深刻な生きづらさを当人にもたらしうる。
    ・「コミュ障」は他者の視線を意識して苦しんでいるのであるから「社会的」であり、社会から漏れ落ちているのではなく否応なく社会に絡め捕られている。
    この2点が慧眼で、だから本人に対して、なぜつながらないのかを問い、つながりの大切さを指摘し続けても意味がないことが理解できる。また、ただそのままでいいというだけ(いつかはきっと・・を孕んだ)姿勢も違うんだということが感じ取れる。

    書き下ろしでないので仕方ないとしても、不登校から学者となり母となったという自分語りが再三出てきて若干鬱陶しいのが残念。


    [more]<blockquote>P25 (知識量の多さや知的操作の速さに代表される「近代的能力」よりも、個性や創造性、対人能力といった「ポスト近代型能力」がますます要請されるようになっている)これは、人間の人格を評価にさらすものであり、どうすれば獲得できるかも不透明だ。

    P30 コミュ障とされる人が「持たない」とされている力、すなわち「学校の休み時間などにノリで盛り上がる力=コミュ力」について検討すると?学校の成績や職業能力に直結するわけではなく、恋人や親友を持つうえでの必要条件ともいえない。あえて一般的な基準で価値判断をすると「長期的に見れば大して重要ではない」?個々の努力や経験の積み重ねによって身に着けうるとも限らない?「なんとなく」作られる「空気」になじめるかどうかにすぎない とすると、コミュ障のいったい何が問題なのだろうか。なぜ私たちはコミュ障と名指しされることを恐れ、何とかしたいと思うのだろう?
    コミュ障の奇妙さは、制度的不利益のあいまいさと滑稽な外観に比して主観的には不釣り合いなくらい深刻な生きづらさを当人にもたらしうることだ。

    P40 コミュ力のある人もコミュ障の人も実は同じ文脈で空気を読みあいながら生きている。


    P91 生きづらさという箱のふたを開けても、そこには「これが私の生きづらさである」と言えるものがごろりと入っているわけではなく「中身が見えない」。そのことが二次的に、さらなる生きづらさの箱を出現させる。そのように生きづらさの原因が認識できない状態が生きづらいのである。【中略】「私が漏れ落ちたのは、私が差別に遭遇したためではなく、私の選択が間違っていたから/能力が及ばなかったから」この認識は、個の尊厳に傷をつけるだろう。

    P117 「そのままでよい、いつかは問題なく社会に出ていける」とする周囲の者の語りは、たとえ本人の生の在り方を尊重しようという意図のもとになされたものであっても、時として本人の生の在り方や苦しみの内容を限定的に意味づける効果を持ってしまうためである。「働くことはつらい、けれども働かないことはもっとつらい」と考える本人にしてみれば、単に「働かなくてもよい」と言われても、その困難は止みがたい。

    P131 ひきこもっている人は、繰り返し繰り返し「なぜひきこもっているのか」を問われます。ひきこもり支援とは「社会復帰させること」だし、支援者は自分の仕事について「いかに復帰させるか」を考えればいいのであって「なぜ復帰させるのか」は考えなくていいことになっている。ここに根本的なすれ違いを感じます。【中略】ひきこもる人を「ひきこもらないように」変化させるのではなくその人がひきこもりに至る自己の核心を捨てたり変えたりすることなく、社会とつながるための支援。

    P161 「働かないことが苦しい」という事態は「働くべき」という価値があらかじめ本人に内面化されていなければ起こりえない。他社から見て無価値であるだろう己の姿が、自分で「見えて」いるからこそ、「苦しみ」は生じる。これを踏まえれば「苦しみ」を抱える若者はすでに十分に「社会的存在」になっていると言える。働かないことに苦しみを覚える若者を「非社会的」とするのは適切ではない。

    P176 「大人」は、「他者から測られ、他者を測る」ことから完全には自由であれない。

    P182 「働くべき」という時、そこに想定されている仕事とは何か?「自活し子供を養うために欠かせない収入源であり、平日のほとんどの時間を費やす主要な所属先」と李ジッドにとらえるのであれば、そのような仕事はますます減少して織、より多くの働かない・働けない若者を生み出し続けてしまう。働くことを「食い扶持を得ること「子供を持つこと」「アイデンティティの帰属先であること」などと切り離し「社会とつながる」活動を幅広く指すものとして緩やかに構想していく必要がある。

    P205 目的設定の間接性は、づら研の母体である若者の居場所においてとりわけあてはまる。居場所とはそもそも、就労や修学といった短期的なゴール設定を避けて、人々が安心して休むことができ、「自分でいられる」場を指す。誰も頑張って助けようとしない点がよかったとかったように、明示的な目的を有する支援者の不在が、参加者にとってポジティブな意味合いを持つ場合は少なくない。実際に無業の若者支援の現場では「私はあなたを支援します」と上から目線で接する支援者を「あの人は支援臭がする」などと揶揄する言葉がしばしば聞こえる。

    P205 「不登校に対する望ましい対応」にひとつの正しい答えを出すことはできない。その答えを「当事者は知っている」と考え、「だから語ってくれ」と迫る時、もしかしたらそこでは、周囲の側が引き受けるべき試行錯誤が本人に押し付けられてしまってはいないだろうか。</blockquote>

  • 20180922~

  • ◎信州大学附属図書館OPACのリンクはこちら:
    https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB25997900

  • ふむ

  • 社会学ないし教育社会学を不登校問題で学習するにはわかりやすい本である。筆者が当事者であるので当事者研究ということでもある。はじめにとおわりにが書き下しで、あとは投稿したエッセイの再掲載であるから、筆者の論文をまとめて読む機会としてはいいと思われる。データがない本当の当事者研究の本である。

  • 第1部 「コミュ力」時代の生きづらさ
    若者の対人関係における「コミュ障」
    「生きづらさ」の増殖をどう考えるか―みんなが「当事者」になる時代
    リスク社会と不登校

    第2部 「当事者」と「専門家」のあいだで
    「生きづらい私」とつながる「生きづらい誰か」―「当事者の語り」再考
    「学校」の問い直しから「社会」とのかかわりの再考へ―不登校の「その後」をどう語るか 
    支援者と当事者のあいだ
    不登校のこどもの居場所を運営する人びと

    第3部 新たな「社会とのつながり」へ
    「働かないことが苦しい」という「豊かさ」をめぐって
    「自己」が生まれる場―「生きづらさ」をめぐる自助活動としての居場所と当事者研究
    不登校からみる共同性の意義
    書くことのススメ

    第4部 「当事者」に伴走する
    「当事者」に向き合う「私」とは何か―不登校への「よい対応」とは
    家族とコミュニケーション
    学校不適応でも大丈夫と言いつづけるために

  • 2022年5月・6月期展示本です。
    最新の所在はOPACを確認してください。

    TEA-OPACへのリンクはこちら↓
    https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00539071

  • 1回読んだだけでは難しかった。
    ましてこの本を手に取った当時と
    今の自分では当然状況が異なるからだ。
    以下備忘録

    コミュ力がないなら、コミュ障だとは気づかない
    自然な態度が周囲からのまなざしで意識的に曲げられる
    異文化コミュニケーションにおいて「コミュ障」かどうかを考えることは害
     →日本人と外国人など、前提が違えば常識も変わる
     →コミュ障は近いコミュニティにおける会話前提
    所属に切れ目がなく、履歴に空白がないことが求められる
     →不登校、はありえないことであった
     →学校に行くことは手段ではなく目的であった
    学校に行っても将来は保障されないが
    行かなければ確実に不利になる
     →84ページグラフよりキャリアに関して
    「漏れ落ちた人」と「まだ漏れ落ちてない人」にわかれ、それは地続きである
     →どこかで漏れ落ちることも大いにある
    「働かないことが苦しい」という事態は
    「働くべき」という価値観があらかじめ本人に内面化されてなければ起こりえない
    抗う前に諦めてしまうことが自分の息苦しさの根本(信田)
    今働けない人に必要なのは差し伸べる手の数を増やすことより、既に差し伸べてる手で承認してあげること
    他者とのつながりが回復されていくことで、
    過去の辛い経験は「問うべき価値のあるテーマ」に
    再定義される
    個人の語りであっても独白ではなく対話
    →自分は1人ではないと感じることができるから
    生きづらさを抱えた人は「書く」べき
    →自分自身を取材対象
    →本や漫画のレビューでない

  • 自信も子供の頃不登校を経験した筆者が、スクールカーストや不登校、夫婦別姓、子育てなどを題材に、空気を読むことを半ば強制される社会を論じるエッセイ風の本。

    人と関わって生きる以上、社会や空気といったものに従わざるを得ないところはある。人の価値観も多様化した今、というよりも普遍的に人間が抱える社会との関わりとその悩みが、人の権利を尊重できる世の中に変わってきたことで逆に顕在化したのだと思える。

    筆者自らの体験とそこで感じた心境を交えて語られているので読みやすい。「社会をこう変えていくべきだ」と強く主張をしているわけでもなく、当事者及びその周囲の人たちが少しずつでも、「コミュ障」と総合的に言われる現象を特殊事としてではなく、力みすぎずに関わっていけることを願うような印象だった。

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著者プロフィール

関西学院大学社会学部准教授

「2022年 『「生きづらさ」を聴く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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