リクガメの憂鬱: 博物学者と暮らしたカメの生活と意見

  • 草思社
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  • Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794216618

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  • 200年以上前に書かれた『セルボーンの博物誌』に登場するリクガメの視点で、ロンドン郊外の村セルボーンの自然や村の人々を物語った本。

    トルコ南岸部のキリキアで生まれたリクガメは、人間に捕まりイギリスへ連れてこられる。その後、牧師補であり博物学者のギルバート・ホワイト氏に引き取られ、「ティモシー」と名付けられる。
    夏目漱石の『吾輩は猫である』ほどユーモアはないけれど、人間の生活や人間中心の宗教感をちょっと批判的に見ていたり・・・。
    冬眠や長寿によるのか、リクガメの時間はゆったりと過ぎていく。

    アガサ・クリスティーのミス・マープルの風景が脳裏に浮かびます。

  • 本当に憂鬱になる本。実は実在というオチ。

  • (読む前の印象)
    表紙の色合いとリクガメの絵にキュンとする。
    カメ目線の物語らしい。しかも博物学者だって。決めつけだけど家の中は物で溢れているに違いない。でもってちょっと変わった人が出てくるのだ。

  • 「自然の最初の命令のひとつ」と、ギルバート・ホワイト氏は母性愛のことをそう書いている。しかし母性愛とは生まれたばかりの赤ん坊と同じほど無力なものだ。

  • 18世紀イギリスの聖職者であり博物学者でもあったギルバート・ホワイト氏。
    彼の著作『セルボーンの博物誌』に登場するリクガメ・ティモシーが本書の語り手です。

    「吾輩はカメである」…とはいきませんが、ティモシーはカメの目を通して、人間のおかしさを皮肉をこめてユーモラスに語っています。
    確かに4本の足をどっしり地面につけているカメから見たら、2本足でふらふら歩く人間は危なっかしくてしかたがなかっただろうな…。

    人間の手が入った整えられた"自然"は自然なのか?
    なぜ人間は「神の家族」から人間以外の生物を切り捨てるのか?
    なぜ人間はほかの生物から遠ざかりたがるのか?

    ティモシーの疑問や意見には、むむぅ…とうならされました。

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