裏切られた自由 下: フーバー大統領が語る第二次世界大戦の隠された歴史とその後遺症

制作 : ジョージ・H・ナッシュ 
  • 草思社
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感想 : 3
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  • Amazon.co.jp ・本 (608ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794222763

作品紹介・あらすじ

本書は第31代アメリカ大統領ハーバート・フーバー(任期1929~33)が第二次世界大戦の過程を詳細に検証した回顧録です。誰もが避けたいと思っていたにもかかわらず、二度目の世界大戦が起こってしまったのはなぜか。そして、あの戦争についていまだ語られざる真実とは――。「正義の連合国」対「邪悪な全体主義国」という従来の見方を真っ向から否定する本書は長いあいだ公にされませんでしたが、2011年に米国で刊行され議論を呼んでいます。さまざまな情報にアクセスできたアメリカの最高権力者が、20年の歳月をかけて完成させた第一級の史料です。

感想・レビュー・書評

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  •  日本が、一九四一年に、和平に向けての申し入れを三度も行っていることを忘れてはならない。しかし我が国は一切それを行っていない。わずかに、天皇に向けての虚しい和平提案を、真珠湾攻撃の前日に行っただけである。
     太平洋方面での和平は可能だった。そうなっていれば、中国が(共産主義者に)強姦(ravishment)されるようなことにもならなかったし、我が国の太平洋方面の安全も脅かされることもなかったのである。さらに言えば、ルーズベルトが、どうしてもドイツとの戦争を望み、彼らが我慢できずに戦いを挑んでくると考えていたら、太平洋方面では防衛を固めるべきであり、それこそがまともな判断であろう。そうしておけばヨーロッパ戦線での戦いが制約を受けることもないのである。――下巻 P.494

     彼(チャーチル)は自身をリベラルと呼んだが実質は違った。ベルサイユ条約締結時に、ウィルソンはヨーロッパの民主化プログラムを提案したが彼は反対した。共産主義には反対していたものの、結局は西側民主主義国家とヒトラーを衝突させた。その意味ではスターリンの強力なサポーターであったと言える。このことにはこれからの歴史家はしっかりと目を向けなくてはならない。――下巻 P.519

    本文ではトルーマンに対してどちらかというと好意的な、あるいは平板な意見しか述べられていなかった。それゆえ、本書を個人的課題解決の決定版としえないと判断しかけていたのだが、付属関連文書においてそれは補完され、暫定的にではあるがここを終着点とみなせると思えるようになった。日本はなぜ太平洋戦争をすることになったのかという問いに、ひとまずの区切りを与えることができそうだと。

    これまで得てきた知識から生まれた最大の謎は、なぜにこうスターリンの一人勝ち状態で終わったのか、だった。日本の行為を否定した挙げ句、それ以上の権益をソ連に許したのはなぜだったのか。そこから得られる印象は、アメリカは思い込みで動き事態を悪化させるアレな国だったのか? あるいは現在進行形でそうなのか?
    というものだった。

    本書を経てその謎に一つの解釈が得られたことになる。これまで個人的に近代における人類悪はスターリンと毛沢東だと考えていたが、これにルーズベルトを加えねばならなくなったということだ。
    アメリカは間抜けだったころもあった。今もそうかもしれない。そういうことでいいらしい。

  • 『#裏切られた自由(下)』

    ほぼ日書評 Day520

    個人的に下巻は上巻の数倍面白く、500頁超をほぼ一気に読み終えた。

    抜粋ができる書ではないのだが、雰囲気だけでも伝えるために、印象に残った箇所を幾つか拾っておこう。

    まず、今日ではその政権内に多数の共産主義スパイの入り込んでいたことが明らかとなっているFDR(フランクリン・ルーズベルト)だが、彼はスターリンのことを本当に信じていたのか? スターリン評を示す発言が興味深い。

    (テヘラン会談の三カ月後の)1944年3月8日、FDRは「ロシア人は実に人懐っこい連中だ。彼らがヨーロッパを飲み込もうなどと考えているはずはない。彼らには征服欲などない。私の周りでは、ロシアがヨーロッパを支配しようとしていると言う言説が流布しているが、私は決してそんな事はないと思っている」と断言した。

    今では歴史上の事実と認識されているカチンの森の虐殺についても「私は、ロシアがそんなことはしていないことを百パーセントわかっている」とも述べた。

    1944年10月には「ポーランド系アメリカ人会議」の代表団に対し、(後日ソ連に併合される際の国境であるカーゾン線ではなく)「従来の国境線に同意しているものと解釈」できる発言を行い、結果、同年の大統領選への支援を取り付けている。

    北方領土のソ連への割譲を定めることとなったヤルタ会談は、その僅か4カ月後のことである。

    続いて、後半「朝鮮のケーススタディ」の部におけるフーバー自身の見聞による記述も、彼の国他が主張する非人間的な隷属支配とは大きくかけ離れていることの証左となるものだ。

    「私(フーバー)が初めてこの国を訪れたのは1909年のことである(…)人は栄養不足だった。身に着けるものも少なく(…)衛生状態も悪く(…)盗賊が跋扈し、秩序はなかった。日本の支配による35年間で、朝鮮の生活は革命的に改善した。日本はまず最も重要な、秩序を持ち込んだ。港湾施設、鉄道、通信施設、公共施設、そして民家も改良された。衛生状況も良くなり、農業もより良い耕作方法が導入された(…)教育を一般に広げ、国民の技能を上げた。汚れた衣服はしだいに明るい色の清潔なものに替わっていった」

    残念ながら日本の残した「素晴らしい肥料工場」や当時世界一の水力発電施設は北緯38度戦以北にあり、南北分断後は電力も肥料も南へは入らなくなり、多くの人民が上に苦しんだという。

    フーバーは、欧州に続き挑戦でも食糧を中心とした支援活動のための調査に直接携わっており、記述の信頼性はかなり高いものであるはずだ。

    さらに、最終盤にはフーバーとマッカーサーが計5時間に渡り2人切りで話し合った様が語られる。

    マッカーサー自身も「第二次世界大戦の太平洋方面の戦い(対日戦争)は "どうしても戦争をしたかった狂人" がもたらしたもの」という論に与し、また原爆投下も不要、もっと早くに講和する機会を活かしておればソ連の満洲進入も防ぐことができたという考えだった。
    ではありながら、マッカーサーが率いた占領軍による「教育」が、多くの戦後日本人がむしろFDRを神格化し、自虐史観のもと近隣諸国に対する自己卑下的外交を繰り返す契機となったのは歴史の皮肉であろうか。

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  • 大学図・1F開架 209.7A/H85u/2

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著者プロフィール

1874年アイオワ生まれ。スタンフォード大学卒業後、鉱山事業で成功をおさめ、ハーディング大統領、クーリッジ大統領の下で商務長官を歴任、1929年~1933年米国大統領(第31代)。人道主義者として知られ、母校スタンフォードにフーバー研究所を創設。1964年死去。

「2017年 『裏切られた自由 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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