- Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794810038
作品紹介・あらすじ
沖縄・宮古島の精神障がい者支援を題材とした前著『せいしんしょうがいしゃの皆サマの、ステキすぎる毎日』の刊行から八年が経過。次はどんな話を書こうか……と考えた筆者、ドクターファンタスティポ★嶋守さやかは、「大都会の社会福祉について書いてみよう」と思い立つ。「日々の生活を支えるサービスを提供する社会福祉機関・施設だけでなく、仕事や娯楽、毎日の過ごし方を自分で好きなように選ぶことができる所」を探し、辿り着いた所が、裕福で社会福祉資源も豊かな東京・世田谷区とその対極のイメージの代表格である山谷、そして西の代表格大阪・釜ヶ崎だった。対照的なイメージのこれらの地域にあっても、等しくあったのは「孤独死」と「その看取り」であった。
筆者は孤独死、あるいはその看取りまでの生活を支える人たちをインタビューし、積極的にフィールドワークを行った。そこで出会う人たちが語ったこと、そして筆者自身が目や耳にしたことをありのまま本書で紹介している。取材対象者は、生活保護や介護保険サービスを受給しながら「ドヤ」で暮らす滞在客を世話し、その看取りの傍らで涙するホテル白根の女性経営者、医師に診療拒否された挙句に孤独死した精神障がい者を支えた障害者就労継続支援B型事業所ハーモニーの所長、そして釜ヶ崎で音楽活動をした結果、その関わりがホームレス達の自立生活支援となった即興楽団UDje( )である。
インタビューでは、それぞれの支援内容とともに、支援者たちのライフスタイルや仕事、生活環境について語ってもらっている。印象的だったのは、取材対象者がすべて「家族ではないけれど、家族ごっこが本気になる。気持ちが通じ合う瞬間がある」という生活時間をもっていることだった。
ごく普通の日常生活ではなかなか知る機会のない地域で、社会福祉的な支援が実際にどのように行われているかを知ることで、孤独死を看取ろうとする支援者たちの存在を身近に感じてもらえればありがたい。また、映画『ファンタスティポ』のテーマでもあった「家族愛とは何か」、を改めて考えていただければと思っている。
感想・レビュー・書評
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図書館の新刊の棚にあったので、つい手に取る。
つい手に取ったのは「孤独死」というワードを身近に感じることと「看取り」を過去に何度も経験してそのしんどさばかりでなく、いまは、そうされることがいかに恵まれていることかとわかるから。
カゾクがどういうものか、考え続け、考えたまま、筆におこすことには共感を覚える。一方、たれながしのようで、ちょっと辟易する。
何かに問題意識があるということは、過去の自分自身がそこにとり残されたりしている実感があるからだ、ということかな。私が求める私はどういう私なのか。最近、どこかで聞いたそのことばが妙に実感される本であった。詳細をみるコメント0件をすべて表示