脱病院化社会: 医療の限界 (晶文社クラシックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794912626

作品紹介・あらすじ

現代の医療システムは、患者生産工場と化し、人間の誕生から死までを技術の管理下におく。誤診、薬づけ、検査づけ…医療そのものから発する「医源病」こそ、今日のわたしたちの健康を脅かしている。「健康とは何か」という根源的な問いにたちもどって新しい病源にメスを入れ、世界中で先駆的な本として読みつがれる医療化社会批判の書。

感想・レビュー・書評

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  • 工業化社会に適応できない個人を修理するための病院。病院に頼れば頼るほど自律的に健康を維持できなくなる個人。自分の痛みも表現できず、無名の患者として、計測しうる病気だけを治療される個人。特権的な医学、医師。

    今日の人々の病いを取り巻く環境をきめ細かく論述し、工業化社会に組み込まれた無名の個人となる人々の問題を提起する一冊。
    健康やアンチエイジングなどが持て囃され、ますます健康が消費されそのコストが上がる現代を生きる我々が、本当はどのような選択をするのがよいのか、ということを考えさせてくれる名著である。

  • このあいだ入院した時にいろいろあった。
    ・医者が診る前から再燃の原因を決めてかかってた。しかも誤った認識。自分の場合食事は関係ないのに。マニュアル通りの対応しかできない。病気を見て患者を見ていない。
    ・薬を大量に飲まされた。全く効いてないと訴えてる薬も飲まされるし、整腸剤は何故か2種類あるし(後日、別の病院で必要ないとはっきり言われる)。
    ・保険に入ってるのをいいことに高額の治療を勧められた。1回12万の治療をとりあえず10回やりましょうって、とりあえずって何だ。しかもどの値が減っててどの程度効いてるのか聞いても答えられない。医療費問題とかどうでもいいんだろうか。自分が負担するんじゃないからいいやと思える程クズじゃない。
    ・看護士による過保護。薬は置いといてくれれば自分で決まった時間に飲むのに毎回持ってくるし、髪の毛も自分で洗わせてくれないし、トイレに行くときもいちいちついてくる。無駄に仕事を増やしてる気がしてならなかった。
    ・爺さんたち何もしない。元気なのに寝てるかテレビ見てるか。失礼だけど、素朴な疑問として、何のために生きてるんだろうと思った。
    ・これはやばいと思って入院申請してから2週間も待たされたのに、一旦入るとなかなか退院させてくれない。すっかり回復して外来で十分対応可能になってもまだ退院できない。入院前の自分のように、部屋が空くのを苦しみながら待ってる人がたくさんいるかもしれないのに。医者は患者の生活は眼中になく、問題を起こさず治療する事しか考えてない様子。医者が良しと言うまでは病人でいなければならない。医者の言いなりにならざるをえない。我慢の限界で自主退院。

    もちろん全ての病院がこんな状態ではないと思う(J天堂はひどかったけどK東病院はすごく良かった)。大学病院(経験の浅い若い医者が担当に就く。話せる時間が超短い)特有のものかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも医療が逆に悪影響を及ぼすこと、病気をつくり出すことはありえるなぁと思って、この本のこと思い出して、読んでみた。『生きる意味』を読んだときは極端なこと言う人だなーって印象だったけど。この本でもその傾向はあるとはいえ、言いたい事は至極真っ当だと思った。以下まとめ。

    著者の一貫した文明批判(機械化・産業化が進むと、ある段階までは人類に有益だけど閾値を超えると有害になるよ)の交通、教育、労働に次ぐ医療編。

    最初は医療のプラス面が一般に認識されてるほど大きくないことの説明。結核、コレラ、赤痢、チフス等による死亡数の減少は栄養の改善によるもので、抗生物質のお陰ではない(抗生物質普及以前に死亡数減少)。死亡率に影響するのは自然環境(食料・水・空気)の改善であって、それに比べると特異な医学的治療は存在しないに等しい。医師の数や病室数もほとんど無関係。などなど。

    次に医療のマイナス面。医原病を3つに分類。
    「臨床的医原病」-治療法、医師、病院などが因子となる治療的副作用全般。薬の副作用がイメージしやすい(pharmakon:薬/毒の両義性)けどほかにも、ある地域では病気でもないのに心臓治療のために不具になった子供の数が心臓病で有効な治療を受けてる子供の数以上とか、典型的な研究病院に入院した患者の五人に一人は医原病をもらい三十人に一人は死に至るとか。

    「社会的医原病」-社会的に医療化が進む事によって自分自身で自己の身体に干渉する機会が失われること。
    医療なしの死に対する恐怖は18世紀のエリートが初めて感じたが、今は平等主義で貧富の差関係なく広がってる。死から逃れる需要は際限なく、高額治療を是とする偏見も手伝って医療費は増加の一途。老年なんかは昔は決して病気とは考えられてなかったのに、最近では医師の管理下に置かれるように。でも平均寿命が増加(出生児の平均余命が著しく増加)しただけで最高寿命は変わってない。医学は老化やそれと結びついた病気に対し非力。
    医療の介入は死ぬ時だけでなくあらゆる時期に及び、人生は検査・診断を繰り返す、計画された生存期間に貶められた(出産と死亡の間の多くの生化学的ケアは機械的な子宮、作られた都市のイメージ)。
    診断では病気を見過ごすより病気があるとした方が良いとされ、多くの誤診を生む。また、病的社会では不健康と診断される方が遥かに望ましいという信仰が強い(労働・義務・責任から逃れる免罪符)。医師は人々に不能力を定義付け、不活動を課し、未来における医学の発見に関心を集めさせる。こうした社会の医療化の全てが自律性を喪失させ、また専門家の権威に従わざるをえなくする。人々は自分たちが機械であり、修理工場に行かないと長持ちしないという信仰を強めていき、商品としての健康、余命に費用を払う。

    「文化的医原病」-伝統的文化が持っていた、人が現実に耐え忍ぶ意志が奪われること。
    痛みの変化。伝統的文化において痛みは、宇宙的悪の辛い経験、自然の弱点の現れ、悪魔の意志の現れ、神の呪いの表現等であり、全ての文化で宗教的、神話的な論理的根拠がみられ、痛みに対して威厳をもって耐えられるようになっていた。専門家が技術的に痛みを殺すという観念はなく、痛みはそれを受ける人間によって耐え、和らげ、解釈されるべきものだった。また病気と痛みは同義だった。デカルトが肉体と魂を分離してから、痛みを、身体が自己防衛する際の反応のシグナルと解するようになった。医学文明は痛みを客観化し、痛みを技術の問題に変えた。
    死の変化。医療ケアの下で健康な老年期に訪れる「自然な死」のイメージはごく近年のもの。原始的社会において死は何か異質な作動者の干渉の結果。中世では死は神の配慮に満ちた個人への干渉の結果(キリスト教、イスラム教の影響)。16世紀に、あの世への通過点としてだけでなく、人生の終わりとして意識されるようになる。でもまだ医師は延命の力を否定。死は地位に関わらず平等に訪れた。人命を延ばす事が医師の仕事だと最初に言ったのがフランシス・ベーコン。でもそのために喜んで金を払う顧客がたくさん現れるのは150年ほど後。ブルジョアの興隆と共に死が平等でなくなり、余裕のある者が死を遠ざけるために金を払い始める。年をとる事が資本主義化された生を生きる一つの方法となる。老人の経済的地位に伴い、彼らの身体的機能の価値が上昇。昔は老人殺しが広く行われていたが、家長が文字通り理想とされる。年寄りは長生きする事を望み、健康を気にする人が生まれ、上品な老衰とともに現代の医師の経済力に対する基礎が18世紀に築かれる。疾病が存在し始めたのは19世紀後半。20世紀に、医師の下での死が初めて市民の権利として認められた。死の医療化によって健康ケアは世界宗教になった。人は生まれつき病人であるという烙印を押され、正しく生きようとすればあらゆる治療を必要とする。医療における消費は、不健康な労働、汚れた都市、神経をまいらせる交通を和らげるための手段として用いられ、人々は殺人的な環境を思い患うことがない。人々は障害や苦痛と共に生活する能力がなくなり、専門化したサービスを業とする人々に全ての不快を処理してもらおうと依存的になった。いまや患者ではなく医師が死と闘う。

    最終章は医原病を減少させるための提案。
    過度に産業化された社会では、人々は物事を自らなすというより、それをなすように条件付けられる。自ら学び、自ら癒し、自分で自分の道を見出すよりは、教えられ、動かされ、治療され、導かれることを欲する。自ら生き自ら癒すという市民の自由を取り戻すためには「医療の非専門化」が必要。
    高額でそのくせ効き目の乏しい治療に税金が使われること、老人やある患者にだけ他人以上に多くの治療用資源を浪費させることに反対し、医療サービスをもっと有効で基本的なものに限って、平等にサービスを受けられるようにする。一般大衆を煙に巻く医療の独占に反対し、知識ある患者によっても効果的に自身を治療できるようにする。
    痛み、病気、死と自律的に闘う能力は健康に対して基本的なもの。医療の介入が最低限しか行われない世界が、健康が最も良い状態で広く行き渡っている世界。

    35年前の本だけど今でも適用できる部分は多いと思った。最後に、著者の主張する、現代社会で規範となるべき倫理的基礎を。
    「あなたの行動の結果が純粋な人間生活の永遠性と両立しうるように行動せよ。」具体的に適用された場合は「この行動があなたの孫に影響を与えないことがはっきりしない限り、放射能の水準を上げてはいけない。」

  • ずっと気になっていたイリイチのおよそ40年前の著作。改めて学問の力強さを感じる。自律性というキーワードは“不考社会”につながるものがあり、常に社会や自己に対して意識的であることの重みを痛感する。地域福祉と近いテーマだけに現場を思い返しつつ。『脱学校化社会』が楽しみ。

  • 分類=医療。98年10月(79年初出)。

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