ナボコフ自伝―記憶よ、語れ

制作 : 大津 栄一郎 
  • 晶文社
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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794922397

感想・レビュー・書評

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  • 自伝といっても、一気に自分の半生を書いたものではなくて、章ごとに個別に発表した作品をまとめたもの。
    そのせいか、全体の8~9割は少年時代のことである。

    そして、それが大変に素晴らしい。

    帝政ロシアで上流貴族の家系の長男として生まれたナボコフは、ペテルブルグの邸宅と田舎の本邸、そして西ヨーロッパのあちこちにある保養地の別宅(そこにすら常に50人からの使用人がいた)で何不自由のない少年時代を過ごした。
    多忙な政治家であり愛情深い父と、何よりも子どもを愛してくれた母。たくさんの叔父や叔母やいとこたちと過ごす日々。

    上質の小説のように生き生きと描かれる少年時代の彼の暮らしぶり。見たもの、聞いたもの、風や匂い。
    上等なものに囲まれ、知識を蓄え、自然の中で体を使って遊び、詩や小説を味わい、音楽に心を震わせる。
    生きる歓びに溢れた彼の少年時代は、彼の心にこそ本当の豊かさを与えてくれる。

    ナボコフは共感覚の持主だったらしい。
    アルファベットに色が見える。
    彼の母もそうだったからなのか、共感覚の部分を隠すのではなく、伸ばすように育ててくれたという。
    そして両親ともに絶対音感の持主であった。
    彼自身は絶対音感は持ち合わせていなかったようだが、芸術家としての血を色濃く持っていたのだろう。

    また、彼の興味は博物学の方へも向かい、特に蝶に対しては、生涯その収集・研究を続けていた。
    少年時代の彼の、蝶への情熱もまた美しい文章で語られるので、蝶嫌いの私でさえうっかり蝶の魅力にとり込まれそうになってしまう。

    この本では、ロシア革命前の満ち足りた少年時代、亡命してヨーロッパのあちこちを転々としていた時代、つまり、ナチスの台頭を逃れ第二次世界大戦勃発前にアメリカに渡るまで、が書かれている。

    亡命したことによって失われた財産は膨大であったらしいが、ナボコフが惜しむのはその額の多大ではなく、二度と取り返すことのできない少年時代のその世界なのである。
    西ヨーロッパの人たちの作品で散見される、洗練されていないなどのロシア人への偏見。
    ナボコフは逆に、西ヨーロッパの野暮ったさ、暗さ、非衛生、ロシアの現状に対する無知と偏見について、合理的を追求するあまりの心の貧しさを嘆く。

    記録ではなく、記憶を頼りに書かれた自伝。
    些細な事柄であっても、美しいものを記憶にとどめようとする意志の力。
    もちろん持って生まれた記憶力のよさもあるのだろうが、美しいものを美しいと認識する心の豊かさがあってこそ蘇る、色鮮やかな少年時代。
    そして、そんな少年時代を過ごしたからこそ、自分の子どもに対して溢れんばかりの愛情と共感の心を、素直に表現してはばからないのであろう。

    “ずっと後になってのことだが、哲学者の友人はよくこう言ったものだった。科学者は宇宙のある一点で起きる一切のことを見きわめようとするが、詩人は時間のある一点で起きる一切のことを感じとろうとするのだ。”

  • 2014/5/10購入

  • 難解なイメージのナボコフに、ぐんと近づける本。焼け付くようなノスタルジヤ。

  • 喪われて二度と戻らぬものだからこそだろうか、故郷喪失者(ハイマートロス)が故郷を回顧する視線や、年老いた者が子どもの頃を回想する文章には、ある種の物狂おしい熱情が感じられるものだ。

    ナボコフは、帝政ロシアの上流貴族の長男として生まれ、幼少時をペテルブルグにある自宅と、そこから50マイル程離れた父の領地にある別荘で過ごす。父はリベラルな人で領民にも慕われていた。入れ替わり立ち替わり現れる家庭教師(ナボコフは、なかなか手の焼ける子どもだったらしい)のもとで、教育を受け、美しく優しい母親に愛されて何不自由なく育つ。

    ネヴァ河の流れるペテルブルグは、運河が網の目のように広がり、北のベネティアと呼ばれる美しい街だ。また、ペテルブルグ近郊の田舎は樺の木や樅の林の続く美しい自然に恵まれている。短い滞在だったが、その光景は今でも評者の目に焼きついている。そんな中で、お気に入りの蝶を採集したり、詩を書いたりしていた少年が、革命によって故国を追われてしまうのだ。故郷と幼少年時代を懐旧するナボコフの筆が必要以上に熱を帯びるのも仕方がない。

    スターリンはともかく、レーニンやボルシェビキに対するナボコフの呵責のない攻撃は、マルクス・レーニン主義の政治的実験が潰えてしまった今だからこそ、当たり前のように読めるものの、ナボコフがアメリカに亡命した時何かと骨を折ってくれたエドマンド・ウィルソン(『フィンランド駅へ』という革命家群像を書いた)のように、レーニン贔屓にとっては、ずいぶんと反動的な物言いのように思われたのではないだろうか。

    「自伝」と訳されているが、もともとは、ニューヨーカーその他の雑誌に掲載された文章を集め、『記憶よ、語れ』という題名を新たに附されて出版されたものである。いくつかの挿話は、そのまま短編集の中の一篇に使われている。避暑地で会った女の子の犬の名前が、打ち寄せる波の光景とともに記憶に立ち戻ってくる印象を描いた「初恋」の一文などは、若島正氏が、その著書『英米短篇講義』の中で、「ナボコフが書き得た最も美しい文章の一つ」とさえ書いているほどだ。

    その他にも、おそらく『賜物』の中で出会ったのではないだろうか、長男に甘い母親が、プレゼント用に文房具店の巨大な広告用鉛筆を馬車で買いに行く光景を、家にいるナボコフが幻視する場面などにも見覚えがある。ナボコフ自身、すでに小説の中に書いてしまったエピソードには、自分だけのものという思いが失せてしまうという後悔めいた告白をしているので、これ以外にも小説の中に採用している話は数多いのだろう。

    記憶を辿り、過去を呼び戻す能力に長けていることは自らも認めているが、それにしてもナボコフの筆になるロシアの夏の暮らしの何と生き生きとして瑞々しいこと。夏休みに読むのに相応しい恰好の読み物かも知れない。上流貴族の子弟と比べるのも畏れ多いが、捕虫網を手にして、めずらしい蝶や蛾を追いかけるナボコフ少年の姿に幼い頃の自分を重ねる読者もいるだろう。ここには、民族や国の違いをこえた、夏の日の少年の姿が活写されている。

    一話完結の文章をまとめた物らしく、それぞれの章の終わりに結びの一文が用意されているのだが、余韻をにじませる終わり方に、他の小説作品にはないナボコフの一面を見たような気がする。自己の小説作品にも言及するなど、肩肘張らないナボコフに触れることのできる作品である。蝶の他にも、言葉遊びやチェス・プローブレムというナボコフ偏愛のアイテムを主題にした章もあり、ファンにとっては、たまらない一冊と言えるだろう。

  • 図書館でかりる

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