- Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
- / ISBN・EAN: 9784794971555
作品紹介・あらすじ
この村では誰もが、誰かの秘密を知っている。
2013年の夏、わずか12人が暮らす山口県の集落で、一夜にして5人の村人が殺害された。
犯人の家に貼られた川柳は〈戦慄の犯行予告〉として世間を騒がせたが……
それらはすべて〈うわさ話〉に過ぎなかった。
気鋭のノンフィクションライターが、ネットとマスコミによって拡散された〈うわさ話〉を一歩ずつ、
ひとつずつ地道に足でつぶし、閉ざされた村をゆく。
〈山口連続殺人放火事件〉の真相解明に挑んだ新世代〈調査ノンフィクション〉に、震えが止まらない!
つけびして 煙り喜ぶ 田舎者
感想・レビュー・書評
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ルポなのにホラー小説を読んでいるようだった。
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丁寧な調査と説明でとても面白かった。白黒パキッと分かりやすい物語は疑ったほうがいいのだなと学んだ。
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著者の取材の過程が綴られてるだけで、何か大きな事実が明らかになるわけではないけど、限界集落の気味悪さがリアルに伝わってくる。多かれ少なかれ、田舎だけではなく限られたコミュニティってこういう気味悪さがあるなあと。こっちの言ってる常識が伝わらない、自分たちの常識の中で生きてるって感じ。一体誰の言っていることが本当なのか、、モヤモヤした気分になりながらも、携帯も繋がらない、夜になると真っ暗になる限界集落に、著者である女性が何度も一人で訪れる描写にゾクゾクしながら読み進めてしまう。
犯罪もののノンフィクションというより、閉鎖された田舎の怖さに関するちょっと特殊なルポって感じ。
あとがきが良かった。「うわさ」というものに対する著者の思いも納得できたし、本書の構成の意図について綴られていて、ちょっとモヤモヤがすっきりした。 -
✓現実を噛み締めたい方にオススメ
連続放火事件を淡々と調査しまとめたルポ。
事件自体はショッキングな始まりだが、
劇的な結末はなく、これが現実。
私たちはそんな現実に生きていて、
雁字搦めになっても、もがくしかない。 -
面白い小説だった。と言いたくなる。
中身は事件のルポだけど、読みすすめるごとに『何の事件だった?』と忘れそうになる。
限界集落で起きた殺人事件。
興味があって、事件当時はネットで調べられるだけ調べたので、覚えている。
「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」
この言葉も覚えている。結局その後は調べることもなく、何が事実だったのか分からず仕舞いだった。
本も出たのは知っていたけれども、図書館の本はずっと貸し出し中。コロナに突入しても貸し出し中のマークが消えてなかった。
最近やっと、図書館に行って借りる事が出来た。
で、読めば読むだけ事件の真相は……闇の中だった。
うわさの不気味さは、身近にもあるのでよく分かるが、『うわさ』の不気味さだけで本が構成されているように感じてしまった。
表で仲良くしている子が、裏では悪口を言う……というのはよくある事だけれども、村人の誰もが『裏の顔』を持っているように感じる。
けど、「よそ者」であるライターにどこまでその顔を見せたのかは謎である。
表に出てくるのは結局、綺麗な『裏に見せかけた表』なのかもしれない。
いろいろな『うわさ話』が書かれているが、事実確認は無理だし、結局『うわさ』としか書きようがない。
ラストに事件の真相として村人が話すのは、『氏神様の祟り』という……田舎ならばありそうな話に着地する。引っ張るので、何だろうとワクワクしてしまったが、著者の『拍子抜けした』という感想と同じく、私も拍子抜けした。
これが小説ならば、それを信じ切っている村人たちがさらに『よからぬうわさ』に火をつける…なんて事になりそうだが、事件ルポでこれは、拍子抜け以外の感想は持てない。
ここで著者は、『神社(氏神)に関する事を調べる』という方向に舵を切っているが、そこで判るのは『地方の祭り事は衰退している』という事である。
書かれなくても知っている。ただでさえ衰退している地方の祭りは、いつ消えてもおかしくはない。
これは、『地方のあれこれ』について書いたことだったろうか?と、読みながら思ってしまった。地方の今を知るには最良の本かもしれない。限界集落ではなくても、程度の差はあれ、こんなものだと思って間違いはないと思う。
最後は判決について、書いてあった。
妄想性障害は認められず、死刑求刑。
それを読みながら、全く別の事件の判決を思い出した。
警察官から銃を奪ったという事件。警察官と警備員の二人がなくなって、犯人も撃たれて体が不自由になっている。
発達障害の影響があるという点は認められたが、減刑には値しないとして無期が言い渡された。(この事件は控訴されているのでまだ、決定していない)
本の最後に書いてあったのは
『”有名事件”であるか否か、ということと、被害者の人数が、判断に大きく作用しているのでは?と思われされる判決が多々、見受けられる』
ということ。いくつかの事件を上げて、有名事件で無罪判決が下る事はほぼない。とまとめてあった。
大きく報道されるかどうかで、判決が決まる。遺族の意向ではなくて、世間の意向が判決を決めている。事実かどうかはさておき、人間はそんなものと思えば
『限界集落のうわさ』も、どこまでが「うわさ」なのかと首を傾げる。
最後は犯人の妄想性障害は進み、現実の認識が出来ていないとなっていた。
人を殺した罪悪感で精神に異常をきたしたのならば、まだしも、最初からそうだったのでは救いがない。でも、どこまでが妄想かは、誰にも分からない。
最後まで、誰にも事実も真実も分からない。
でも、『事件』の真相は意外とそんなものなのかもしれない……
あるのは『人を殺した(人が死んだ)』という事実だけ。 -
2023/11/18
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【まとめ】
1 まえがき
2013年7月21日、山口県周南市、須金・金峰地区の郷集落には、この日も朝から強い日差しが降り注いでいた。そよ風すら吹いていないのはいつものことだ。わずか12人が暮らす小さな山村は、周南市街地から16キロほどしか離れていないが、半数以上が高齢者のいわゆる限界集落である。
その日の21時ごろ、突如として貞森家と山本家から火の手が上がった。この火事で3名が亡くなった。家の間は70メートルほど離れており、燃え移るものはなかった。
そして翌日、近所に住む2名が撲殺遺体で発見された。「2軒の火災による3人の死亡」が、「5人の連続殺人と放火」に姿を変えた瞬間だった。
捜査の結果、容疑者として保見光成――通称「カラオケの男」が挙がった。男は事件直後に行方がわからなくなっていたが、4日後に山中で発見される。彼は抵抗することなく警察の任意同行に応じた。
犯行動機は保見の被害妄想であり、近隣住民が保見に「うわさ」や「挑発行為」そして「嫌がらせ」を行っていたと思い込み、徐々に妄想を深めて村人たちを恨んだ結果、事件を起こしたと認定された。
保見の家のガラス窓には次のような不気味な貼り紙が掲げられていた。
つけびして 煙り喜ぶ 田舎者
保見は事件後に発見されたICレコーダーに、「うわさ話ばかっし、うわさ話ばっかし。田舎には娯楽はないんだ、田舎には娯楽はないんだ。ただ悪口しかない」と残していた。
いったい、この集落に何があったのか?
2 異常な村
金峰地区の郷集落で生まれ育った保見は中学卒業後に上京し、長らく関東で働いていたが、90年代にUターンしてきた。しかし村人たちの輪に溶け込めず「草刈機を燃やされる」「家の裏に除草剤を撒かれる」「『犬が臭い』と文句を言われる」など、村人たちとの間に摩擦があったことをうかがわせる出来事が起こっていたのだ、と大手女性週刊誌は報じていた。
また被害者のひとりである貞森誠さんが、かつて保見を刺したことがあったらしいと週刊誌は報じていた。
筆者の取材に対し、河村二次男さんはこう語る。
「(つけびの貼り紙に対して)これ、うちのうしろ(家の風呂場)に火をつけられたことがあるんですよ。わしはそれじゃないかも思うんですよ。今回の事件とは犯人が違うと思うんや。保見以外にも悪いやつがおったんよ」
他の村人たちも河村さんと同様のことを語る。つけ火貼り紙の発端となったのは河村邸放火事件だったが、それは保見の犯行ではない。さらに、郷集落での火災は一度ではなく、窃盗も日常茶飯事だったことがわかった。住人たちは「事件のおかげで村に平穏が訪れた」と安心したような口ぶりであった。
3 村八分
事件直前の保見は、関東に住んでいたときの人物像とはまるでかけ離れた攻撃的な村人として、集落で敬遠されていた。村人に暴力をふるい、毎日のようにカラオケを大音量で流して熱唱していた。集落の作業にも自治会の仕事にも参加していなかった。
保見は村人との交流が上手く行っていなかった。保見は都会から戻ってきた若者――と言っても、すでにこのとき40代半ばだったが――なのに、年長者たちに礼を言わず、集落の仕事にも参加をしない。川崎・稲田堤に住んでいた時とは違う尊大な態度の保見に、集落の村人たちは距離を置いていった。
郷に入りては、郷に従え。とくに人口の少ない集落においては重要かつ唯一ともいえる処世術を、保見は拒否し、村人たちもそんな態度の保見を苦々しく思っていた。もともと保見の父親は村人から泥棒として知られており、保見も最初から良い目では見られていなかった。
しかし、当初報じられていた「草刈り機を燃やす」というような具体的ないじめ行為は確認できなかった。
4 うわさが村人を殺したのか?
では、つけびの貼り紙が指す放火事件は誰の犯行だったのか?村人によると「殺された5人のうちの一人」だったという。その一人(仮にAとする)は保見を憎んでおり、保見が昔飼っていた犬や猫を毒殺した犯人と周囲から思われていた。
村人「Aはいい人じゃなかった。殺されて当たり前ぐらいの人だった」
加えて、Aと仲が良かったとされるBにも同じく犬猫毒殺の噂が流れていた。
金峰地区ではコープの共同購入をしており、保見の家の向かいに住んでいた吉本さんの家が受取場所となっていた。ここで毎週金曜日に集まってはうわさ話をし、それが村中に拡がるという流れができていたという。村人の一人は「あれは危険なグループだった」と証言している。
携帯電話も使えず、すぐに手に入る娯楽はテレビとラジオ程度。スマホも持つものがいないこの郷集落で「うわさ話」は都会におけるインターネットと同じような、当たり前の娯楽のひとつだった。他にする楽しみがないがゆえに、爪の先ほどの小さな情報が数人の輪の中で増幅し、肥大化し拡散されてゆく。
そんな環境のなか、犬や猫が次々と死に、ボヤ騒ぎが起こる。これらの犯罪は、コープの寄り合いとは無関係の村人に嫌疑がかかっているが、疑心暗鬼になる者がいてもおかしくはない。あそこの集まりで悪口を言われたら、恐ろしい目に遭うのではないか――。
本当に、この村はうわさ話ばかりだった。
保見とその父、風呂場を燃やされた河村さん、コープの寄り合いの家の吉村さん、別の村人……、誰もかれもに対するうわさ話、しかも良くないことばかりが色々な人の口から出てきた。表面上は何事もないようにコミュニケーションを取るが、いない場所では悪口を言う、この村は、そのような者たちの集まりだった。他の集落からはこの郷集落自体が、「仲の悪い人間たちの集まりだ」と思われていた。
「ここの地域の特性じゃな、これは。特性ちゅうのは······貧乏人の揃い、ちゅうたら大変失礼じゃけど、ここは、そんなに裕福な人が少なかったために、自分中心にしかものが考えられんかったちゅうことじゃな。ここで生まれたものは皆、自分を中心にしかものを考えんじゃった。自分さえよければ相手はどうなってもいい、という考え方で生活をして来たから、そういうふうなのが、あっちもこっちも、すべて、やることなすことすべて出ていた。
度重なる犬や猫の薬殺、ボヤ騒ぎ。それらの事件は、妄想を加速させる燃料となった。村人たちはそんな事件をネタに、また「うわさ話」をはじめる。そして保見がいなくなったいまも、村人たちは「うわさ話」を続けていた。
あいつが保身の本命だった。あいつは恨まれていた。あの人は犬を殺していた――と。
金峰地区の生き字引、田村さんは、事件の真相を「氏神様の祟り」だと語る。
「『氏神様があっても同じことで神主もつまらんし、氏神様もつまらんし、わしはもう氏子でもなんでもない』と口々に皆言いよった。それを言った人はね、全部淘汰されたね、あの事件で。考えてみるとね、氏神様のことで喧嘩をしたり文句を言ったり、神主の悪口を言ったり、氏神様の氏子を外れるちゅうて駄々をこねたりするのは······すべてすべて、今回の事件で死んでる。今考えてみると氏神様ちゅうのは力が強かったんやなと思うよ。
そうは言うが、結局の原因は、保見の精神病であろう。
両親が亡くなった。経済的にも安定しているとはいえない。村人たちとは距離がある。そういった状況下で妄想性障害を発症した保見は、もともとの性格が災いして、村人から助けられることもなく、ひとり症状を進行させていった。そうして貯金が底をつきかけたころ、凶行に手を染めた――。
だが、保見の精神病を悪化させた村人の「うわさ」は、たしかに存在したのだった。 -
入念な取材に基づいています。こういったノンフィクションも大切だと思いました。
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集合体の寛容さ、差別的思想の怖さ、バランスが崩れることの危うさを考えさせられる。
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ずいぶん前ですが話題になりオススメにもなっていたので読んでみました。田舎の村で起きたある事件ノンフィクション。
取材はよく頑張ったな〜、都会より苦労しただろう…というのがまず感想。
でもこれが、神の祟りにより起きたことなのか?と思ったら怖くなりました。書いてあるような村の情景を想像しながら読み、それでさえ寒々しく怖い雰囲気でした。そこへきて神の話もあったので、怖くてゾクゾクしました。
村の噂によって起きた事件だったのか…祟りなのか…。
思うに、かなり色々と悪い条件が重なっていたかなと…。ワタル以外にもこの村では犯罪なる噂も出ていたみたいだし単なるワタルの思い込みであると片付けてほしくない気持ちもある。ワタルが妄想障害であったのは事実だろうし、ワタルが障害をかかえてしまってからの環境が悪かったと思う。
そして裁判でよく問題になる心神喪失、心神耗弱、責任能力あるかないか…などについても疑問が残る。その部分を含めた判決が、精神医療に関わらない人間によるものの判断となるのは、考えなければならない課題のひとつではないのか…。