- Amazon.co.jp ・本 (181ページ)
- / ISBN・EAN: 9784797443349
感想・レビュー・書評
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2000年前後、京大には「きのこ部」と呼ばれる学生サークルがあった。それは、当時まだ合法だったマジックマッシュルーム(MM)を愛好する若者たちが、それを使ってパーティーをし、また当時議論になっていた法規制に反対して、普及啓発を行うサークルだった。
本書は、きのこ部を立ち上げた部長であるテイジハルヒト(元々はピガヤスヒトと名乗っていたようであるが)が書き記した、その活動の記録であり、そしてもちろんMMを摂取した様子を克明に記録した体験記でもある。
あまり知られていない話ではあるが、この「MM日記」を書いたテイジハルヒトという人物は、「京大卒ニート」として有名な作家(?)のphaであるということが、一部で指摘されている。そのため、この本は「phaの幻の処女作」とも呼ばれることがある。
そのことを指摘したネットの記事はもう削除されており、直接に見ることはできない(魚拓は残っているので一応読むことはできる)。断定は避けるが、僕はその説は事実なのだろうと思っている。
というのも僕自身、「テイジハルヒト=pha」という話を聞いた時は、かなり意外な組み合わせでビックリしたのだが、この本を読むと、妙に納得させられるものがあるのである。
本書において、テイジハルヒトは、MMを摂取する意義について、アメリカの人類学者であるカスタネダの本に言及しながら、以下のように説明している。
「幻覚性植物によるトリップは、それ自体が目的ではなく、手段にすぎない。それは何のための手段かというと、「自分が日常的に何かを認識しているやり方は絶対的なものではないことを知ること」とでも言えばいいだろうか。トリップはそのことを悟るための補助にすぎない」
「世界の非自明性を知ること」(p63)
つまり、中南米に暮らす先住民族の賢者が儀式の場においてそうするように、MMを活用することで、物事を別の視点で見ることの重要性と、その感覚を知るヒントが得られるのである。
そして、この「物事の非自明性」というのは、他ならぬphaがその著作で強調していることである。彼は「人間は働かないといけない」に代表されるような、「別に当たり前ではないはずだが、当たり前だとされていること」に、批判的である。そして、そうした規範に必ずしも縛られなくても良いのだと思うからこそ、「ニートでもいいんじゃない」という発想が導かれる。
その意味で、彼の視点や関心は学生時代から一貫しているのだな、ということがわかった。僕がこの本を読んで一番強く感じたことである。
もちろん、MMを使わなければその視点が得られないというわけではないだろうが、直感的・体感的に知る(悟る)ための入り口としては優秀なアイテムであるということなのだろう。
きのこ部の活動は一定の知名度を得るが、しかし結果として規制法は成立し、きのこ部は解散する。テイジハルヒト自身は、「MMは逮捕の危険を犯してまでやるものではない」と語っているので、その後はもうやってはいないのだろうとは思うが、彼の語る「さみしさ」には共感するところがある。世界的には規制緩和の流れにある大麻もやみくもに規制し続け、きのこまで規制し、人間の想像力を檻にぶち込むこの国は、一体どこに行くのか。
ところで、蛇足ながら完全に業界ネタのどうでもいいマニア情報を書いてみると、京大きのこ部についてのネットでの書き込みによると、テイジハルヒトはだめ連のぺぺ長谷川と「週刊SPA!」で対談していたりするという。そこに、僕はヒッピーカルチャーとインテリ大学生、そしてノンセクトゆる左翼界隈を繋ぐ地下水脈を見たような気持ちになった。
pha自身はインテリではありつつ、左翼的なにおいや文化とはあまり縁がなさそうだと感じていたので、そうした文化圏との接点が垣間見られたのは興味深い。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
昔の合法時代の体験記を日記風に綴ってある貴重な書
「キノコ部」・・京大の部活として正式にこよなくキノコを愛する人たちの清く正しい活動記が垣間見れて楽しいです
時々読み返して、昔良きあの時代を思い出してます
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「シラフの世界を豊かにするためにラリるのだ。」
個人的にこの言葉がすっごく好き。