欲望の経済を終わらせる (インターナショナル新書)

著者 :
  • 集英社インターナショナル
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784797680539

作品紹介・あらすじ

気鋭の財政社会学者・井手英策が、新自由主義がなぜ先進国で必要とされ、広がり、影響力を持つことができたのか、歴史をつぶさに振り返り、スリリングに解き明かしていく。
そして経済と財政の本来の意味を確認し、経済成長がなくても、何か起きても安心して暮らせる財政改革を提言。
閉塞感を打破し、人間らしい自由な生き方ができる未来にするための必読の書!

市場原理を絶対視し、政府の介入を少なくすれば、富と福利が増大する、という新自由主義の考えは、80年代にレーガンとサッチャーよって実行され、米・英は好景気を迎える。
日本では、外圧や、政財界の思惑と駆け引き、都市と地方の分断などの要因から新自由主義が浸透。経済のグローバル化も起こり、格差が広がる。
勤労が美徳とされる「勤労国家」で、教育も医療も老後も、個人の貯金でまかなう「自己責任国家」、日本。財政が保障することは限られ、不安がつきまとう。
本来お金儲けではなく、共同体の「秩序」と深く結びついていた経済。共通利益をみんなで満たしあう財政への具体策を示し、基本的サービスを税で担う「頼り合える社会」を提言。貯金ゼロでも不安ゼロ、老後におびえなくてすむ社会に!

【目次より抜粋】
序章 レッテル貼りとしての新自由主義
奇妙な生いたち/新自由主義とグローバリゼーション
第1章 新自由主義へ舵を切れ!
日本をおそった3つのショック/2兆円減税
第2章 アメリカの圧力、日本の思惑
内政干渉を利用した日本の政治/クリントン政権の強硬な態度
第3章 新自由主義の何が問題なのか?
なぜ都市無党派層は新自由主義を支持したのか/論理ではなく願望をかたる政府
第4章 「経済」を誤解した新自由主義の人びと
戦争と病気がうみだした近代国家/「自己責任」と「共通のニーズ」のアンバランス
第5章 頼りあえる社会へ――人間の顔をした財政改革
税と貯蓄は「同じコインの表裏」/成長依存型社会からの脱却
第6章 リベラルであること、そして国を愛するということ
はたらくことが苦痛な社会/ベーシックインカムと人間の自由
終章 自由の条件を語るときがきた!
国家は必要悪ではなく、必要である/「所得制限」が生む不公平さと社会の分断

【著者略歴】
井手英策(いでえいさく)財政社会学者。慶應義塾大学経済学部教授。1972年、福岡県生まれ。東京大学卒業。東京大学大学院博士課程単位取得退学。専門は財政社会学、財政金融史。日本銀行金融研究所勤務などを経て現職。著書に『経済の時代の終焉』(岩波書店、大佛次郎論壇賞)、『幸福の増税論』(岩波書店)、『いまこそ税と社会保障の話をしよう』(東洋経済新報社)『ソーシャルワーカー』(共著、ちくま新書)など多数。

感想・レビュー・書評

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  • 同じ著者の本を読んだので続いて。
    主張されている内容に特に変わりなし。
    私の感想も特に変化なし。
    頼りあえる社会に生きたいと願うし、それが達成出来るのであれば高負担もやむなしという事は理解出来ます。

  • 本書では、財政をフル活用することで国民に対して無差別に「ベーシック・サービス」(医療、教育等)を提供し、それによって各人が安心・安全な生活を送れるようにすることを提唱しています。そのためには消費税を20%くらいにまで引き上げる必要があるとのこと。著者の主張が本当に効果的かどうかは別にして、感じた点を列挙します。

    まず、本書における新自由主義批判は、カール・ポランニーの思想を焼き直して日本の特殊な状況にあてはめようとしている印象を受けたこと。その意味で日本が米国などと異なる点についての解説は有効だと感じました。他方、著者が主張する「ベーシック・サービス」とは、ジョン・ロールズの基本財の「財」をサービスにしたものであって、特に目新しいものではないこと。そう考えると、ロールズに批判を加えたアマルティア・センの主張が頭をよぎるわけです。つまり、ベーシック・サービスを国民全員に無差別に提供しますよ、といっても、それを行使する能力(ケイパビリティ)には当然差があるわけで、ケイパビリティの高い人ほど良いサービスを受けられることになるということで、ベーシックサービスの提供、だけでは片手落ちだということです。

    最後に、本書で大きな違和感を持った箇所として、著者が財政を互酬の視点から論じていることです。互酬とは二者間の関係が対等であることが大前提であって、税金を取られる側と徴収する側に対等な関係性があると考えるのはあまりにナイーブでしょう(たとえ西側諸国の政府は国民のhumble servantだと建前上は言っていたとしても)。財政とは「略取と再分配」なのです。本書の中では「公・共・私のベストミックス」という概念が提唱されていますが、公が過半、いや7割くらいになることをもってベストミックスと呼んでいるのではないかという印象を持ちました。また財政学者である著者が財政のフル活用を主張しても何の驚きもなく、もしそこを主張するのであれば、市場原理主義との比較だけでなく、他の選択肢と比べて財政が格段に良い理由を丁寧に述べるべきでしょう。なぜコミュニタリアニズムよりも良いのか、あるいはシェアリング・エコノミーのように、純粋贈与と市場経済のハイブリッド型のようなスタイルよりもなぜ財政を活用するほうが良いのか。私は個人的には財政よりもシェアリング・エコノミーの発展に期待を持っており、新自由主義を終わらせるのは財政ではなくデジタルテクノロジーだと思っています。

  •  新自由主義は政府にGDPの上昇を至上命令とさせる。そして、GDPは市場の活動によってもたらされるのだから、市場に適さないものまで市場化される。公的な財源によってまかなわれていたことまで、市場へと。それが財政削減へとつながり、福利は縮小し、あまねく行き渡らなくなってしまった。

     そのために、機能不全に陥っている家族と共同体を、セーフティネットとして復権させようとした、そのような能力は、もはやないのに。これはまず、自助・自己責任があって、それに障害がおこると、かつて、そうであったとされているような、家族や共同体という共助が働く、というのは、過去への願望の投影でしかない。当時は「自己責任」などという発想はなかった、にもかかわらず。

     「平成30年国民生活基礎調査」では、生活が苦しいのは国民の6割だったが、4.2%しか下層と認識していない。低所得者は貧困になるかもしれないという恐怖から目を背けようと、ギリギリ中流、という幻想にしがみつく、視線をより下層に向けて。切実なのに「反貧困」という言葉は他人事、とやり過ごされるのだ、と指摘する。

     そもそも、日本では労働人口にしめる公務員の割合は低く、企業などの労働生産性は低い。企業が多すぎるために、競争による利益の減少があり、人材を必要なところへ配置できなくなってしまっている。つまり、〈政府は互酬や再配分の原理でできている。たとえ収支が赤字になっても、人間の命、くらしのためのサービスを提供する役割を担っている。一方、交換の原理に支えられた企業の目的は、より多くの利潤を手にすることだ。したがって、収支が赤字になれば、サービスの提供を打ちきるのは当然である。次元のちがうふたつの領域をくらべ、公務員の数を減らすイコール効率化と考えるのはあまりにも短絡的である〉、と述べられている。

  • 政治に興味が湧いた

    その興味が現実的な政策や歴史、今の社会と繋がったことはこの本に起因することだと思う

  • 東2法経図・6F開架:342.1A/I19y//K

  • 本書を読むと、経済・政治ともにどん詰まりの日本において、何をすれば現状を抜け出すことができるのかの「解」がようやく仄見える思いを持つ。やや硬い内容だが、パンドラの箱に残った「希望」に見えた。少なくとも現状の経済無策の自民党政治への対抗軸には充分なるだろう。
    2000年代の自民党や民主党が改革を競って主張した時代を思い起こすが、小泉旋風と新自由主義が世の中を席巻した時代があった。しかし改革と既得権攻撃をしても経済は成長しなかった。それらの状況の経済史的な位置と意味が本書では俯瞰できる。
    また、日本の都市部と地方の相反する利益と中央の政策の構造をリアルに解剖したり、日銀の政策の現実的な結果をはっきりと言い切る内容は小気味好い。
    なるほど、日銀の低金利政策によって失われた年数十兆円にもなる貯蓄の金利収入の行き先は「企業部門と中所得層(住宅ローンの借り入れを行える層)」となる。これでは「量的緩和政策は巨大な所得『逆』再配分を起こしかねない」。何と日銀が格差拡大を進める結果となっているという。
    政治経済が混迷し、国民各層の分断と格差が進行しつつある日本で、現在最高に説得力のある本であると思った。
    日本の未来に夢が持てる本として高く評価したい。

  • 新自由主義って何?「私は新自由主義です」って言う人あまり聞いたことない。1937年にアメリカの評論家ウォルター・リップマンが著者「善き社会」で企業が利益を独占する古典的な自由主義を民主主義に反するものとして批判したのが始まり。企業や富裕層への負担を増やすことや鉄道の国有化など「大きな政府」を提唱する。しかし今言う「新自由主義」は、シカゴ学派の経済学者ミルトン・フリードマン。財政を小さくし、規制を緩和すればよいという単純な主張。序章、ややまぎらわしく、新自由主義が広がって格差が広がったかのように書くが、1980年代~90年代、イギリスでもアメリカでも日本でも所得減税を行って消費税のような付加価値税を増やし、富裕層の負担を低所得層に付け替えるような政策が取られた。さらに非正規雇用の増加による労働組合の弱体化や株式資本主義で純利益至上主義が横行し、人件費を削ってでも純利益を水増しして株価を上げる動機が経営者に植え付けられた。
    政府規模の対GDP比(政府の大きさ)をジニ係数で割ると、小さな政府は格差を広げるのがわかる。(113ページグラフ)アメリカの経済学者ロバートライシュによると、自由な市場は幻想。規制緩和は自由な市場を目指すものではなく、ルールを変えて誰かが得をするためのもの。
    池田勇人は皆保険が実施された時の首相だが、福祉行政に国費を使うよ売り、経済を安定させ、高度の雇用を持続することのほうが重要だと考えていた。教育、住宅、病院などの現役世代への政府支出が日本はヨーロッパ諸国、アメリカと比べても低い(P136グラフ)
    消費税を19%にして(詳細は割愛)ベーシックインカムを全国民に支給すれば分断がなくなる。自助努力で倹約に励む自己責任社会から税によって頼り会える社会になる。消費税は富裕層の方がたくさん払うし、ベーシックインカムが例えば月15万円なら富裕層にとっては収入にしめる割合は少ないが、貧困層には50%にも及ぶ。
    所得制限は事務作業と分断を生む。
    ホモサピエンス(知性人)に対してホモパティエンス(苦悩人)。人は合理的に生きるほどズルをしただ乗りし、人を出し抜く。そうではなく、理想を高く持ち苦悩する存在こそ人なのだ。

  • これまでの詳しいいきさつを詳しく説明。

  • 日本で格差と分断が進む根本原因をなるほどと思える形で説明してくれる。
    経済とは金もうけのことだけではない、収入を得ることだけが仕事ではない、収入を得ることは手段であって目的ではない…当然のことが見失われている現実の社会。
    数多くの弱者がより弱者を非難する社会、自己責任が当然とされる社会、自分の隣人や身近なコミュニティでさえ信用しない・できないのになぜか日本礼賛…為政者にとっては都合の良い状態なのだろうが…。
    現状打破のために謳われる消費税減税やベイシックインカムの副作用の怖さ、それらが社会の崩壊につながる危険性もなるほどと思った。
    税金は自分のために使われていないという認識の根本にある再配分の問題を、国民全員が相応に負担し、等しく社会サービスを受けられるように行うべき施策案が語られているが、特に所得制限により発生する手続きの煩雑さは再配分の原資をいたずらに浪費するだけというのはそのとおり。
    どちらにしても税の徴収と再配分ルールがきちんと社会全体で連動することが大切だと思うが、縦割りの視点と既得権限、既存ルールの死守にかけては天才的な官僚・役人たちの足並みを揃えらさせられるだけの政治の道のりは果たして…。

  • あとがきまでいって、著者が神野直彦さんの弟子であることがわかった。とすると書かれていることはさもありなん。師匠との連続性を感じる。新自由主義とリベラルが相反するものではなく、後者が前者を呼び込んでしまう、との指摘は鮮やかだった。政府の再分配機能への見解は、わたしはもっと懐疑的だが、方向性としては理解できる。

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著者プロフィール

慶應義塾大学教授

「2022年 『財政社会学とは何か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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