- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784798701707
作品紹介・あらすじ
「絶望することにも絶望するとき、私たちは『幸福という神秘』に包まれる」
――中島岳志 氏 推薦!
「不幸なのに、どうしようもなく苦しいのに、死んだ方が楽であるのに、
なぜ生きていかねばならないのか?」
……そう問う人に、あなたならどう答えるか。
身近な人の死や貧困、いじめ、そして大きくは戦争や自然災害など、この世は苦痛や痛みで溢れている。
もちろん、比較的幸福な人生を送る人も少なからずいるだろうが、その人たちとていつか不幸に陥るかもしれない。
そもそも他人から見て「幸福」な人生であったとしても、「何のために生きているのか」という人生の意味に悩まされるのが人間だともいえる。その点で、幸福と人生の意味とは密接に関連している。
では、いったい幸福とは何か? 人生の意味とは何なのか?
本書は、そうした問いに哲学の観点から答えようとするものである。
人は誰も「不幸の可能性」から逃れられない。
「どうせ死ぬのだから、人生は無意味だ」ということも、哲学的には正しい。
しかし、その「絶望」を超えて、なお人生が生きるに値すると示しうるならば、それはどのようにしてか。
パスカル、カント、ウィトゲンシュタイン、ネーゲル、中島義道、長谷川宏、船木英哲ら古今の思想家やトルストイ、カミュ、中島敦ら文学者の言葉を手掛かりに、私たち一人ひとりが人生と向き合うための思考の軌跡を示し、哲学の新たな可能性を拓く。
感想・レビュー・書評
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感想を書き忘れていました。
幸福とは、人生の意味とは何かを、著者が魂を込めて記した一冊。著者の実直な姿勢が伝わってきます。幸福や人生の意味についてそこまでじっくり深く考え抜いたことなどなくて、生き方に迷い続けている私には良き気づきを与えてくれました。
人の哲学は、その人が外部から受けてきたあらゆる刺激(本だけでなく、漫画、映画、アニメ、旅行、他人)と持ち前の志向や感受性との反応によって構成されていて、まさにその人の人生そのものです。その哲学が本一冊にまとまっていて、私がそれを読むことができることのなんという贅沢さ。
私もたくさんのものに触れて、それらへの感受性に敏感に、そして抱いた感情を守って、自分なりの生き方の哲学を築きたい、などと大それたことを考えました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「人生に意味があると信じて生きること」そのものが人生の意味だ
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この世は苦悩や苦痛で溢れている。
なぜ生きていかなければならないのか。
人生は馬鹿馬鹿しいあり方をしている。すなわち、根本的にはどうでもいい事柄を、人生の一大事として生きている。
こうした不条理な生をどう生きるかという問いに対する1つの答えがアイロニカルな生き方だ。アイロニーとは、立ち居振る舞いによって無知を演ずること、道化。一大事として譲れない価値観に対し、一歩引いたところから観て相対化し、生の偶然性を自覚する生き方。
著者いわく「人生の意味」は極めて重要なものだが、「語りえぬもの」である。
幸福は超越的である。それは眼前に現れうる物とは区別される。
眼前に現れうる物の例として人や車があり、超越したものとして時間や空間がある。
著者の主張では、苦しみに満ちたこの生を私たちはしかと見ることができ、そしてそれによって個別的な出来事の成否に左右されない「安心」の幸福が可能になる。
ウィトゲンシュタインを引用する。
「時間の中ではなく、現在の中で生きる人のみが幸福である。現在の中での制にとって、死は存在しない。」
神秘的な「超越」の声を信じて、今この瞬間、悔いのない様に生きることが大切である。この「超越」への進行を持たない場合には、分かりやすい享楽に没頭して、振り返れば「虚しさ」しか残らない。
自分を超えた語りえぬものの声を信じて、ひとつずつ点を打っていった末に、それらが結びついて、何かしらの意味のある線が浮かび上がる。
これは、「人生の意味」に関する大事な見方である。 -
さんまいおろし推薦
再度読みたい -
幸福について論じた本は数あるが、その中でも最も地に足ついた「幸福像」を示してくれていると思う。ニヒリズムに陥って幸福自体を否定することもなく、マッチョイズムに走って「お前が幸せになれば幸せだ!」とも言わない。「何かを信じること」の困難さから目を反らすことなく、論理的かつ説得的に、「幸福とはなにか」、「人生の意味とはなにか」という問題に誠実に回答を試みている。何より一人ひとりの人間の実存を無視しない姿勢が○。
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著者自身の哲学的幸福論の試みです。
著者は、人生のままならなさを正面から受け止め、幸福の実現しがたいことを認めたうえで、絶望を越えて幸福という「超越的なものへの信仰」の意義をえがきだそうとしています。そうした著者の立場は、人生の確たる意味をつかむことができない「アイロニー」という態度によって特徴づけられていますが、一方で著者は、「アイロニー」が人生に対する気の緩んだ態度に結びついてしまうことへの警戒をくり返し表明しています。こうした著者の態度は、哲学的なしかたで幸福について論じる態度そのものにも反映しており、学説を整理することに終始している論者に対する厳しい批判をおこなっています。
「幸福」というテーマに向きあおうとする著者の真摯な態度には、敬意をおぼえました。ただ、著者みずからこのテーマに体当たりでぶつかっていくというスタイルのためもあって、エッセイ(試論)的な内容となっており、ときおり説明が充分になされていないのではないかという印象もあります。とくに著者の「弁証法的」ということばの意味があまり明確に規定されているとはいいがたいように思えて、もどかしさが募りました。