地形と水脈で読み解く! 新しい日本史 (宝島社新書)

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  • 宝島社
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784800297327

感想・レビュー・書評

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  • とってもいい話。もっと深掘りされてるとさらに楽しいはず。

  • どうしてそこに都が築かれたのか。
    神武天皇の東征から始まり家康の江戸の整備まで、水に影響され整備し利用してきた観点から日本史を読み解く。
    奈良盆地は湖だったのは知らなかった。
    蘇我氏は後進ながらも奈良湖の縮小により農地を広げ力をつけてきた。
    江戸時代、東北の米を運ぶための航路開拓と塩飽水夫の活躍など、非常に面白く読んだ。

  • 社会人になって初めて気づいたことの一つに、いまだに物流の主力は水上輸送であることです。小口輸送はとラックなどの陸上輸送があり、本当に急ぐものは航空輸送がありますが、大きな物の輸送は船が使われているようです。

    船を使うには、海・川・湖を利用することになりますが、その観点で日本の地形を見ると、実に恵まれていることを、このほんの著者である竹内氏は解説してくれています。ながねんに渡って、ダム・河川事業に携わってこられたプロだからこそ書ける書籍なのだと思います。

    この本は地形と水脈の観点から日本史を解説してくれています、日本通史を様々な切り口で見てみると、また新たな気づきを得ることが出来ます。この本からもそのような素晴らしい知識を得ることができました。

    以下は気になったポイントです。

    ・平成以降の約30年間で、縄文時代についての認識は大きく変化した。例えば漆製品に代表される彼らの高い技術と文化レベル、そして河川や海を往来して交易した事実が浮かび上がってくる(p29)

    ・全国二位の規模を誇る大きさの誉田山古墳は、大仙古墳よりも内陸部に築造されているが、その場所は石川と大和川の合流点に近く、奈良盆地と大阪湾を繋ぐ水運の拠点とも言える場所である。近くには現在の堺市から奈良県葛城市に至る日本最古の官道の「長尾街道」(古代には大津道と呼ばれた)が走っている(p43)

    ・兵庫県最大の古墳である五式塚こふんは、西国街道沿いで、なおかつ淡路島を望む台地上にあり、明石海峡を通過する船や西国街道を行き交う人々からとても目立つように築造されている。これも大仙古墳と同様にヤマト王権の権威付家のためのランドマークだったと見られている(p44)

    ・蘇我氏が勢力を拡大できたのは、彼らが奈良湖の湖岸を埋め立てて開発できたことである。奈良湖は現在では完全に陸地化して消滅している(p50)ヤマトおうけんが東北地方を残して実質的に国内統一を果たし、いわゆる大和朝廷が成立した時期には、すでに奈良盆地は日本の中心であった。短期的に大阪府内、滋賀県内に宮城・皇居が置かれたこともあるが、少なくとも応神天皇が軽島豊明宮を現在の橿原市においた390ねんより平安京遷都までの約400年間、奈良は日本の中心であり続けた(p56)

    ・聖徳太子が遣隋使として瑞に送った小野妹子は、隋の使者とともに帰国し、難波津を経由して、海拓榴市(三輪山近くの、つばいち)に到着したと記されている。奈良は内陸にありながらも、海拓榴市などの河港と大和川の水運により、世界と繋がっていたのである。平城京、奈良の都をシルクロードの終着点と呼ぶことができる(p70)

    ・白村江の戦いで大敗し、国内政治の不安定、または新羅と唐の侵攻を恐れた中大兄皇子(のちの天智天皇)は、都を近江の大津へと移しているが、天智天皇の死後、天武天皇が即位すると、改めて都は奈良の飛鳥浄御原宮へと遷都され、その後も藤原京、平城京と奈良盆地が都とされ続けた(p81)安全で清潔な清水が湧き、資源に恵まれ舟の便の良かった奈良盆地は、300年経過すると資源が枯渇、水害が多発、疫病が蔓延し、交通の便が悪い悲惨な土地となっていった。桓武天皇が奈良から脱出したのは、奈良盆地の自然環境とインフラの崩壊にあった(p85)


    ・桓武平氏の祖とされる平高望は桓武天皇の曽孫で、宇多天皇の時代に平姓を賜与(いよ)されて、臣籍降下し、上総介に任官した。長男の平国香をはじめとする一族は、それぞれの土地の名を名字として、上総氏・千葉氏・三浦氏と名乗り、坂東平氏・武家平氏と呼ばれるようになる。平氏には、桓武平氏・仁明平氏・文徳平氏・光孝平氏の4流があるが、桓武平氏のうちの伊勢平氏が台頭した(p93)

    ・源氏にも有力な東国の水軍があり、西国の水軍も完全に平家に支配されていた訳ではなかった。海上を制したことで天下を治めた平氏は、海上勢力に見限られたことで力を失い、滅亡した(p106)

    ・安土城天守はこれまで明智秀満、または織田信雄が焼いたとされてきたが、近年では秀満退場直後に略奪目的で侵入した何者かによって消失したとの説が有力になっている。その後も廃城とはならず、信長孫の三法師が織田信雄のこうけんで城主となっている。しかし秀吉が織田勢力圏をほぼ継承した1585年に廃城とされている、これが織田政権の完全なる終焉であった(p130)

    ・秀吉の長浜城、光秀の坂本城、織田信澄の大溝城、安土城を含む4城が琵琶湖でつながる水上ネットワークを構成していた。安土城を攻めるものは、まず先に長浜、大溝、坂本城を攻め落とす必要がある・安土城はあらゆる点で死角のない、壮大な規模での防御システムを備えた難攻不落の城として築かれていた(p132)

    ・大坂城の築城が進んでいる最中の1584年、秀吉は小牧長久手の戦いで講和を果たし、同年11月には秀吉は平姓を名乗って、従三位大納言に任じられ、織田家の家臣という立場を脱却し、実質的な天下人として朝廷に認められている。1585年には近衛前久の猶子となることで藤原に改姓、7月には関白宣下を受けて朝廷より晴れて天下人として認めれられている、翌年には天皇から豊臣姓を下賜され、太政大臣となった(p153)

    ・家康が江戸に幕府を開設したのちも豊臣家は大坂城に構えていた、西国には毛利、島津、黒田など、天下を狙える戦国大名が構えていた。家康は関東の可能性を信じていた、武蔵野台地の雑木林は豊かな森林エネルギーであった。江戸城の目前に広がる大湿地帯は、日本一の米所になる可能性を秘めていた(p171)

    ・江戸城外堀を利用した貯水池は、明治に入って後もしばらくは東京市民に水を提供し続けたが、急激な東京の人口増加により環境は悪化し、水質もそれにつれて劣化した。1898年、多摩川の水は新宿西口に完成した淀橋浄水場に直接送り込まれて貯水池に清浄な水の流入はストップした。その後、埋め立てられて跡地には「溜池」という地名だけが残っている(p176)

    ・玉川上水を水源として、青山・赤坂方面に給水する青山上水、白金を潤す三田上水、神田川以北から湯島、浅草方面に配水する千川上水が開鑿された。隅田川東岸の本所・深川では、元荒川を水源とする本所上水が開鑿されている、神田上水と合わせて「江戸の六上水」という(p182)

    ・大木戸とは江戸内外の境界に設けられた関所で、四谷の大木戸は甲州街道、当初は夜間には城戸が閉められていたが、後に木戸は撤去されている(p185)

    ・徳川家が行った関東の河川改修において特筆すべきは、利根川の東遷(江戸湾に注いでいたものを太平洋にうつしかえる)と荒川の西遷である(p192)利根川のとうせんは、江戸と東北を直接に繋げたという意味で、江戸の物流にとって革命的な出来事にもなった(p194)荒川はもともと利根川の支流で、古利根川に合流していた河川であるが、利根川水系から荒川を切り離し、荒川は入間川と合流する形で隅田川の最上流の河川となった。新田開発、荒川を利用した水運が活発になった(p194)

    ・水路ネットワークで全国が繋がったことで、情報・言葉・文字が共有化され、地形で分断されていた津々浦々の人々は日本という共同体意識を醸成していった。日本中に金毘羅詣でが広まったように、日本全国の人々が文化を共有できたのは、発達した水上交通のおかげである(p201)

    ・大名達が安定した地方政権として存在し続けられたのは、大名の領地がそれぞれ地形による境界で支配されていたから、複数のぐんを領地する大藩も、一万石程度の小藩も、それぞれの領地はまとまりの良い地形構成であった。多くが川の流域・水系ごとのまとまりであった(p220)

    ・ダムの潜在力を引き出す方法として、1)ダムの運用変更:ダムの空き容量を利用して発電に活用する、2)既存ダムの嵩上げ、高さを10%上げるだけで、発電量は70%も増加する、10%の嵩上げはダムをもう一つ造るのに近い効果をもたらす、3)発電に使われていないダムを用いて発電する(p247)

    2020年11月28日作成

  • 著者は、これまで地形、気象、交流軸という視点で眺めた歴史に関する著書を多数発表していますが、今回は「水」という新たな視点を加え、太古から近現代、将来にわたって、新たな日本史を語っています。
    日本の国土は長大で、水路によるつながりによって、言語、文化に一定の共通性を持ち一つの文化圏を形成してきました。また、世界でも有数の「きれいな水」に恵まれ、古代からその恩恵に浴してきました。そして、水を大切な資源として認識される現代にあって、その優位性についても説いています。水害が各地で起こっている昨今ですが、日本人がこれまで、どのように水を活かし生活をしてきたか、そして、今後どのように水と付き合うべきか、著者独自の視点による見解は非常に重要です。

    <目次>
    第1章 日本文明の萌芽と地形―旧石器時代と縄文時代
    第2章 日本国のあけぼのと水脈―弥生時代から奈良時代
    第3章 水上ネットワークの時代―平安・鎌倉時代
    第4章 戦国乱世を終焉に導いた、信長、秀吉の地政学
    第5章 水上ネットワークの完成―江戸時代
    終章 水と共に歩む日本の未来
    あとがきにかえて―21世紀は水の時代

  • 読みやすくて一気に読めました。
    水上ネットワーク、水運が歴史が動いたというのは面白い視点だと思います。
    縄文時代の貝塚や古くからの神社や街道は津波の被害を免れたこと。
    昔の人たちの知恵は偉大だと思います。

  •  日本史を、地形と水脈(いわゆる下部構造)から見た本書。

     特に、奈良盆地に池があったとは初見であったし、驚いた。

     まさか奈良に巨椋池(京都)みたいな存在があったとは。

     京都(平安京)に都が置かれた理由はなんとなしに理解していたが、奈良については死角になっていた。

     やはり、初見のある本は面白い。

     

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著者プロフィール

日本水フォーラム代表理事。博士(工学)。
1945年生まれ、神奈川県出身。昭和45年東北大学工学部土木工学科修士修了。同年建設省入省、近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。2001退職。一貫して河川、水資源、環境問題に従事。人事院研修所客員教授。
著書に『日本史の謎は「地形」で解ける』(PHP文庫3部作)、『土地の文明』『幸運な文明』(以上、PHP研究所)、『日本文明の謎を解く』(清流出版)、『水力発電が日本を救う』(東洋経済新報社)など多数がある。

「2021年 『“地形と気象”で解く! 日本の都市 誕生の謎』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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