ぼくの命は言葉とともにある (9歳で失明、18歳で聴力も失ったぼくが東大教授となり、考えてきたこと)
- 致知出版社 (2015年5月30日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
- / ISBN・EAN: 9784800910721
作品紹介・あらすじ
18歳で光と音を失った著者は、絶望の淵からいかにして希望を見出したのか-米国TIME誌が選んだ「アジアの英雄」福島智氏初の人生論。
感想・レビュー・書評
-
3歳で右目を、9歳で左目を失明。18歳で失聴し、全盲ろうとなった、福島聡さん。盲ろう者として初の大学進学を果たす。2008年より東京大学教授。
盲ろうの方の世界を想像してみた。真っ暗で音のない世界。周りに誰かいるのかいないのかもわからない宇宙から放り出されたような怖い浮遊感。この絶望の中から、福島さんが生きるためにどう考えて進んできたのかが書かれていた。
○宇宙の中で、自分が存在しているのは、自分の力によってではない。そう考えると、自分が経験する苦悩も、自分の外部のどこかから降ってきたようなものだと思うことができた。そう思うことによって、その降ってきたものをまず受け止めて、その上でどう生きるかが問題なのだろうと意識を転換した。同時に、おそらくそこにしか自分の生きる道はない、自分の気持ちを落ち着かせ、納得させて生きる方法はそこにしかないだろうと思ったのです。
自分が納得すること、つまり、自分の状態にや「意味」を見いだすことが救いになるのだと思います。
そして、盲ろう者だからこそ気づいた言葉への思い。
○盲ろう者の私には、外界や他者を把握する方法としては、言葉しかないといっても過言ではありません。かといって、ただ一言だけ発せられた言葉によって、突然世界が開ける事はありません。誰が誰に向かって、どういう背景のもと、どういう意味を込めて発言しているのか。あるいは、その発言の前後には、どういう言葉が発せられているのか。そういう関係性や背景が理解できて、ようやく意味が理解できます。
言葉をどのようにつなぎ合わせるかと言う関係性、あるいは文脈性が言葉に命を吹き込む。
○どうしても前に進めないという状況になった時は、「後ろ向きになったまま後ずさりする」という裏技がある。こうすれば、結局ゆっくりですが、前進することになります。
「極限状況の中でこそ人間の本当の方が発揮される」という福島さんも辿り着いた考えは、
ビクトール・E・フランクルも言っている。
フランクルは、『死と愛』の中で人が生きる上で実現する価値には3つの段階があると主張している。
1.何かを生産する「創造価値」
2.美しい風景に感動するなどの「体験価値」
3.「態度価値」。1と2の価値が制約され、生命が大いなる苦悩に直面した時にも、その苦悩にどう対処するかにより実現されるもの。
この3つ目の価値こそ『夜と霧』の真髄であると、私自身この本を読んでよりしっかりと理解できたように思う。
フランクルの公式「絶望=苦悩−意味」
その他、心に響いたところ
『宇宙からの帰還』立花隆より
「眼下の地球を見ているとね、いま現に、このどこかで人間と人間が領土や、イデオロギーのために血を流し合っているというのが、ほんとに信じられないくらいバカげていると思えてくる。…地球上に住んでいる人間は、種族、民族が違うかもしれないが、同じホモ・サピエンスという種に属するものではないかと感じる。対立、抗争というのは、すべて何らかの違いを前提としたもので、同じものの間には争いがないはずだ。同じだという認識が足りないから、争いが起こる」(アポロ7号、アイズリ)
ハンセン病を描いた『いのちの初夜』(北條民雄/著)において、「(癩病になった人は)人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。」という佐柄木の台詞からの考察。
○いったんこの純粋な生命の中核を掘り出し、えぐり出すこと、つまり虚飾に満ちた「外殻」を削り落とすことによって、人間は、自らが授かった、本来の命を見つけ直し、新たな存在として、再び復活するのだ、という思想ではないでしょうか。
思想家、吉本隆明さんの言葉。
「幸せになる秘訣は?」ときかれ、
「幸福というのは、近い将来を見つめる視線にあるのではなく、どこか現在自分が生きていることをうしろから見ている視線のなかに、含まれるような気がするんです。」
人生は苦悩の連続で、思うようにいくことなどまずない。その苦悩の中で、「自分を納得させて生きる方法」を探る福島さんの姿勢に大いなる学びをもらった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者、福島智さん。
どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。
福島 智(ふくしま さとし、1962年12月25日 - )は、日本のバリアフリー研究者。東京大学教授(博士(学術)、東京大学)。専門は、バリアフリー教育、障害学、障害者福祉、アクセシビリティ。
社会福祉法人全国盲ろう者協会理事。世界盲ろう者連盟アジア地域代表。世界で初めて常勤の大学教員となった盲ろう者。
兵庫県神戸市出身。生後5ヶ月で眼病を患い3歳で右目、9歳で左目を失明する。18歳のときに特発性難聴で失聴し全盲ろう者になる。そのため、18歳までの音の記憶が残っており、自分の声を聴くことはできないが、よどみなく口で発話する事ができる。実際、講義や講演会でも発声して話している。神戸出身のため日常生活では関西弁を話す。また、ピアノの演奏も行う。
と、多くの方々に勇気を与えている方と想像します。
で、こちらの本の内容は、
18歳で光と音を失った著者は、絶望の淵からいかにして希望を見出したのか-米国TIME誌が選んだ「アジアの英雄」福島智氏初の人生論。 -
図書館で何気なく手に取って、その場で読み始めたら止まらなくなり、結局借りて帰った本書。
エッセイの体は成しているが、これは哲学書だ。全盲ろう者でなければたどり着けない境地にたどり着いた著者が語る、人間の存在意義を問う哲学書と言っていいと思う。
ただその語り口は優しく平易で、すっと気持ちの中に入ってくる。
目も耳も中途障害で、どれほどの苦悩を超えてここまでたどり着いたのかと思わずにいられない境地だ。
途中、『夜の霧』のフランクルについて書いている場面が出てくるが、人間存在の意義そのものを問われるほどの経験をしたという意味で、フランクルも著者も同じところにいたのだと思える。
フランクルの公式のくだりは、非常に示唆に富み、こう考えられるからこその、全盲ろう者でありながらの大学教授なのだろうな、と感じた。 -
もう何年も前に多分新聞か何かで紹介されていて、ずぅ〜っと気になっていた本です。
著者である福島智さんは1962年生まれ。3歳で右目を、9歳で左目を失明し、18歳で聴力も失ってしまいます。しかしその後、東京都立大学(現在の首都大学東京)に盲ろう者として日本で初めて大学へ進学し、金沢大学助教授などを経て、東京大学で盲ろう者としては世界初の大学教授となった方です。
もし自分の目が見えなくなったら、もし自分の耳が聞こえなくなったら…どちらか片方だけでもなかなか想像するのが難しいことなのに、目も見えない耳も聞こえない世界って、いったいどんななんだろう…?しかもそんな方が大学教授にまでなるなんて、いったいどれだけのバイタリティを持っていらしたのか?とても興味を覚えました。
さすが大学教授にまでなる方なので、その思考は哲学的でしたが、使われている言葉はシンプルでわかりやすく、とても前向きで説得力がありました。
言葉とは…
生命とは…
幸せとは…
生きる意味とは…
タイトルの「ぼくの命は言葉とともにある」は著者の『指先の宇宙』(114頁)という詩の一節から取られています。とても素敵な詩でした。また、平成19年度の東京大学入学式での祝辞(244頁〜)も本当に素晴らしかったです。
もうねぇ、紹介したいエピソードや引用したい文章だらけでした。以下はその中からの選りすぐりです。
***
「自分の中にすべての答えがあるのです。生きる意味というものも、自分の中にあるものです。生きる意味を自分の味方にするか敵にするかは自分次第です」(50頁)
「「後ろ向きになったまま、後ずさりする」という裏技があります。こうすれば、結局、ゆっくりですが、前進することになります」(52頁)
「何があっても生きていれば、人生というテストに八十点から九十点は取れたようなものじゃないかと思います。」(73頁)
「盲ろう者となり自由に言葉を交わすことができなくなって、コミュニケーションが水や空気や食べ物のように、生きる上で絶対に必要なものだなと私は痛感しました。「コミュニケーションは心の酸素」と私は言っているのですが、コミュニケーションがないと人は窒息してしまうのです」(113頁)
「「自分の人生にあまり不満を感じないですむこつ」を紹介したい。簡単に言えば、それは自分の人生の「主語」を常に自分にする、ということだ。つまり、自分が人生で何をしたいのかは、「自分(あなた)」が考え、どんな生き方をするかも「自分」が決める、ということである」(187頁)
「人は苦悩の中で希望を抱くことで、生きる意味を見出せる。人は交わりを伴ったコミュニケーションを行うことで、他者との関係性を生み出し、それによって生きている実感が持てるようになる」(243頁)
***
追記です!
なんと福島智さんの生い立ちを描いた『桜色の風が咲く』という映画が11月に公開されるとのこと、びっくりです。主演は福島さんの母・令子役で小雪さんだそうです。うわ〜気になります。 -
福島さんの生き方、考え方に圧倒された。
かなりの量の読書をされていると思う。そしてその読書を通しての思索から紡ぎ出されている彼の言葉、思考は深い。多くの気づきを与えてくれる。
言葉がいかに大切なものであるか。そのことが心奥深くまで伝わってくる。聖書に「はじめにことばがあった。ことばは神と共にあり、ことばは神であった。」とあるけれど、この本のタイトル『ぼくの命は言葉とともにある』というのは、そのことを的確に表していると思う。 -
凄いバイタリティ、前向きさ。その想いや源をわかりやすく説明されていて、言葉というものの凄さ、著者のようなポジティブに物事を捉えることの素晴らしさを感じました。
著者は9歳で失明、18歳で聴力も失って盲ろう者に。盲ろう者として初の大学進学者になり、現在は東大教授を務めています。その著者が、自らの生い立ちや「言葉」というものをどう捉えているのか、彼を支えてくれた家族・友人や読書についてを語った本です。
絶望的な状況の中でも思索をつづけ、辿り着いた著者の言葉は、難しい言い回しは一切なくて明快なのですが、それゆえじわじわと感じてくるような重みがあります。
「『自分らしく生きよう』などと、気負ってあまりおおげさに考えず、もっと肩の力を抜けば、また違った生き方が見えてくるのではないでしょうか」という言葉は、甘ったれた?自分探し的な風潮に釘を刺すようです。
読書に関して書かれた章では、著者の言葉の受け取り方が実に繊細で、その本を書いた人もここまで深く読んでもらって嬉しいだろうなぁと思うくらい。著者と小松左京氏とのやり取りが載っていましたが、それを読んでいて胸が熱くなりました。
これだけの言葉を紡いでおられるのが凄い。良著でした。 -
視覚も聴覚もない状態であっても、人は思索を深め、論ずることができるのだと、勇気付けてくれる。
著者はただ本を読んでいたのではない、その言葉を味わって、生きる糧としたことが作品から感じとられる。
一人の本好きとして共感できて、読書案内として教えてもらったものもえるし、一人の人間の生き方、感じ方に触れて世界のみかたを、ひとつ教えてもらった。
なんにせよ、本当に読んでよかったと思える作品。 -
目も見えない
耳も聞こえない
それは宇宙にぽつんと一人で
取り残された感じ。
自分が生きているのかもわからない。
福島さんの言葉はとてもシンプルで
わかりやすい。
ところどころにフランクルを引用し
自分が人生の様々なことに
どのように選択するか自由があること。
障害をお持ちの方がこれだけ前向きに生きているのだから
健常者の自分がちっぽけなことで悩むのなんて
下らないと言った
単純で稚拙な感想じゃなくて
純粋に生きるということのテーマを
与えられた生に対して
真摯に考えなくてはいけないなと思った。 -
魂に響く人生論
聴覚と視覚を失って宇宙的孤独を味わった著者が、その孤独を乗り越えていく姿とその思索で、私たちに生きる意味を考えさせてくれる。
著者の人生においては常に読書が重要な支えになっている。本書で紹介されたどの本も、その言葉は本当に素晴らしくて暖かいものばかりである。知っている言葉もあったが、この本の中で聞くその言葉は、これまでとはまた違った風にこの心を輝かせてくれた。
また著者が、それら本の作者のメッセージを自分の言葉で考え、理解し、生きる原動力にし、その過程を記す様は、一読書好きとして大いに見習いたい姿勢であった。 -
福島さんは、これまでに何度も自分との対話を重ねてきたのだと思った。盲ろうで生きていくなんて自分には想像できなかったけれど、福島さんは落ち着いているし、自分の人生を楽しんでいる。
福島さんにとって、「コミュニケーションは心の酸素」。そして、指点字はあくまでコミュニケーションの手段であって、指点字通訳する「人」が助けてくれるから、その人から伝えられる言葉の力でエネルギーが与えられたと言っている。
今の自分は、周りと比べて焦って、悩んで…皆どんどん先に進んでいるのに、自分は何もできていないような気になっていた。
けれど、福島さんは、ステップアップすることだけが挑戦ではなく、日常の困難を解決してしっかりと生きていくことも挑戦なのだと言っていて、とっても救われたし勇気をもらった。
競争ではなく、協力を伴って生きていく人生の楽しさ。私も、感謝の気持ちを忘れずに、周りの人とも自分とも対話しながら、自分の人生をしっかりと生きていけるように挑戦していきたい。