作家、学者、哲学者は世界を旅する (叢書人類学の転回)

  • 水声社
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  • Amazon.co.jp ・本 (227ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784801001985

作品紹介・あらすじ

21世紀になり新たに勃興したモノやノン・ヒューマンを巡るさまざまな思索や、人類学の存在論的転回とも深く絡み合いながら、諸学問の歴史にまつわる知見の膨大な蓄積を背景に、セールの思想の画期的な新展開が、ここに語られる。

感想・レビュー・書評

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  • ミシェル・セール(清水高志訳)『作家、学者、哲学者は世界を旅する』水声社、2016年

    セールの本ははじめてだけど、とてもおもしろいです。訳者の注釈が充実しているので、わからなくなりそうだったらたすけてくれます。とてもありがたい。

     著者、セール(1930-)が2009年に書いた本です。中井履軒(だったか?)も「学問は八十を過ぎてすすむものなり」というていたけど、これを地でいく人だなと思う。著者はフランスの田舎人としての背骨を大事にしつつ、人類の文化やインターネット、宇宙や素粒子と人間の関係まで考えていて、なんとも壮大な哲学者(というより「賢者」)です。情報科学についても考察があるので、文系の学問をやっている人はもとより、情報技術の関係者が読んでも得るところが多いと思います。(宇宙の放射線や遺伝子の情報なども、現代では「物語」を語っているころがわかっているので、これらの「物語」を解釈することも、けっきょく文学といえないこともない。そういえば、動物の眼は植物からもらった遺伝子でできているという「物語」をテレビでみた。ここまでくると科学も歴史だし、文系・理系というテリトリーを守るより、もっとたがいに学ばないといけないと思う。)

     序章は「三つの旅」について書いてある。「哲学者が世界を旅する」こと、「知識の旅」、「人間たちの旅」です。

     デカルトも「世界という大きな書物」を読みに旅にでるし、デカルトの同門のイエズス会士も中国くんだりまで来たりするけど、やっぱりヨーロッパ人は「探検趣味」があるんだなと思う(中国からヨーロッパに行った人もいたにはいたけど少ない)。西洋人のこうした好奇心はやっぱりいいなーと思う。哲学者は旅をするもんなんでしょう。

     「知識の旅」については、近年の情報技術の発展で「可能なかぎりの知識のすべてに容易にアクセスできる無数の扉」について言及しています。いわゆるデジタル・ネイティブにはこういう感動はすくないかもしれないけど、セールは人生の終わりに訪れた「とてつもない僥倖」について、やっぱり考えなければならないと思ったんだろうな。というより、思わず考えちゃうんだろうな。

     最後の「人間たちの旅」が、この本の主題につながるんだけど、フィリップ・デスコラという人が二〇〇五年、人類の文化を四つに分類したのです。文化というのは世界像にもとづいていて、「四つの世界像」が、アニミストの世界像、ナチュラリズムの世界像、トーテミストの世界像、アナロジストの世界像です。著者はどれかが正しいというているのではなくて、自分のなかにあるこれらのズレを楽しんでしまうのだから、達人です。

     第一章はトーテミストの世界像について書いてあります。トーテミズムというのは人間の間の差異を動植物の種の差異によって理解し、照応させる考えのことです。レヴィ・ストロースという文化人類学者が『野生の思考』などで分析したものです。語源の解説でアリストテレスが設立した「リュケイオン」、フランスでは「リセ」となっている学校の名前が、オオカミ(仏loup、ラlupas)にもとづいていると指摘があって、「フランスは高校生(リセの学生)が小さな狼であることを夢みたのだ」としています。これはトーテミズムの発想だそうです。あらためて、イヌの重要さを思い知りました。人間ってイヌからいろいろと学んでいるんだなと思う。ほかにもラ・フォンテーヌ『寓話』やイソップ、アヒカルなど、寓話の分析があります。大学人は専門や職種などの分類が好きな人々で、なにより自分を分類しようとしていて、著者は「もっとも進歩した連中が古代的と思われているものと同じようにふるまい、思考している」としています。ちょっとイジワルだけど、その通りだと思います。ここで、すこし気になったのが、「種」の根拠となる「生殖隔離」のことです。これは要するに、子どもができるなら同種ということなんだけど、ロバとウマでもラバという一代雑種ができるし、ライオンとチョウチョじゃ、たぶん自然界じゃ子どもはできないけど、バイオテクノロジーでむりやり混ぜ合わせると、鱗粉のあるライオンくらいできるかもしれない。こういう「種」をわける根拠とか、自然の「種」をはみだしたものって、トーテミストの思考じゃどうなるんだろうということです。まあ、でも、トーテミズムは人間の「差異」を認識して、それを自然界の「差異」に照らし合わせるところにキモがあるんだから、ラバだってチョウランオンだって、トーテミズムの参照にはなるんだろうなと思う。身近な例では、幼稚園の組わけなども「パンダ組」とか「ウサギ組」とか、トーテミズムの香りがします。

     第二章はアニミズムの世界像について書いあります。アニミズムというのは、あらゆる存在のなかには同一の魂があって、めいめい独自の身体をまとっているという考えです。アニミズムの考えではイヌも人間なんだけど、衣装がちがうだけとなります。ここでなんともおもしろかったのは、自然科学の数量化の話です。いろいろ科学史の議論もあるけど、要するに、ピタゴラスとかプラトン、ガリレオなどがやったこと、自然界のいろんなもの(各自の衣装をきている物)のなかに数という「魂」があると考えるのは、アニミズムの考えだそうです。これは眼から鱗の指摘でした。中国科学史ではどうして中国の自然学は(暦以外では)精密科学にならなかったのかという点が問題になったりするけど、西洋アニミズムの「魂」が数であったとすれば、中国アニミズム(儒者はシャーマンだし、アニミスト)の「魂」は、「理」や「気」だったんだなと思う。衣装のなかにある「魂」のちがいなんだなと思いました。迷信と科学のちがいじゃないのではないかと、ちょっと考えたりします。

     第三章はアナロジストの世界像について書いてあります。アナロジストの考えでは実在するものはすべて異なっており、無秩序で離散的(平たく言えばバラバラ)なもののうちに可能な関係を発見することを一生懸命やります。ライブニッツのモナドとか、百科全書とか、インターネットのリンクとか、変身とか、憑依とか、とにかく何かと何かがつながる(所有)のなかに潜む考えが深く書いてあります。根底には数学があるそうです。たとえば、順序の考えがあらゆる順序をもつものにつかわれるようにです。Mental Leaps(邦題『アナロジーの力』)という本を読んだことがあるけど、科学の発見でもウロポロス(自分の尾を食べる蛇)とベンゼン環(化学構造)とか、思わぬものがリンクして発見につながったりします。日本の三浦梅園という学者もいろんな図を描いて、万物をリンクさせようとしているけど、かれもアナロジストなのかなと思う。おかしな例えかもしれないけど、「ペン・パイナッポー・アッポー・ペン」もリンクの面白さかもしれません。

     第四章はナチュラリストの世界像と「第五の文化」がでてきます。ナチュラリズムの考えでは、身体が分子などの同じ成分でできており、内面の魂だけは人間だけがもち、各人が異なる魂をもっているということになります。近年の西洋に特徴的な世界像だそうです。著者によれば、ナチュラリズムは「仮構」のもので、なんらかの発見を促すものでもなく、人文科学の出現に都合のよかったもので、教育や伝達に有用な「模倣の情熱にとってのあり得べき最良のフォーマット」でしかないようです。それで、この世界像を書きかえていくことになるんだけど、近年の科学の知見から「もはや私たちだけが話したり、書いたりするのではなく、世界のあらゆる事物がそれをする」ということが指摘されています。宇宙の放射はその歴史を物語っているし、遺伝子や地層や化石なども「物語」をもっています。こういう「大いなる物語」は人間がいなくてもあるもので、ノン・ヒューマンの哲学という流れにつながるようです。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784801001985

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