コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ
- ビー・エヌ・エヌ (2021年5月21日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784802511964
作品紹介・あらすじ
本書は、思想家/文明批評家のイヴァン・イリイチが提唱した概念「コンヴィヴィアリティ(自立共生)」を足がかりに、これからの人間とテクノロジーのあり方を探る一冊です。
テクノロジーが飛躍的に発展し、豊かさを手に入れた私たちは、道具を使いこなしているようでいて、実は道具に使われてしまってはいないでしょうか。また、「人新世」とも呼ばれる気候変動危機の時代にあるいま、行き過ぎたテクノロジーはいかにして再び「ちょうどいい道具」になれるのでしょうか。そのカギは、イリイチが示した適度なバランスを保つための「二つの分水嶺」という考え方にあります。
人間にとってテクノロジーとはどのようなものなのか。これからのテクノロジーはどうあるべきなのか。テクノロジー自体が自律性を持ち始めたAI時代に、人間と人間、人間と自然、そして人間とテクノロジーが共に生きるための「コンヴィヴィアル・テクノロジー」とは何なのか ── デザイン・イノベーション・ファームTakramで数々の先駆的なプロジェクトを率いてきた気鋭のデザインエンジニア・緒方壽人氏が、先人たちのさまざまな言説を辿り、思考を巡らせながら紐解きます。
実世界のあらゆるモノ同士がつながるIoTの未来を研究する「万有情報網プロジェクト」の各研究領域リーダーたちとの対話も収録した本書は、ものづくりに携わる人たちはもちろん、もはやテクノロジーと切り離せない生活を送るあらゆる人にとって確かな指針となるでしょう。
感想・レビュー・書評
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これは自分に課せられた命題でもある。
テクノロジーに関わる身として社会実装を進めていく立場として、忘れてはいけない。
ちょうどいい道具とは。常にここに立ち戻らないと!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
イヴァン・イリイチ
自分とは異なる他者との出会い、共に生きる技術
ちょうどいい道具としての自転車 バランス
過剰なテクノロジー 物理的な力ではなく、圧倒的な量の複雑な情報の力
デザイン =人間に着目し人間を動かす
科学と技術が出会うのは19世紀から→人間が従う→人間中心デザインへ
テクネー 自然の中にある隠された力を現わせさせるための知
脱人間主義 ⇔ 人類至上主義 原子力は自然からの自立
わたしたち
正しさ 「反証可能性」を残しつつも、反証されていないこと
自立 依存先を増やしていくこと(熊谷普一郎)
日本語の「共話」≠対話 相手の話を途中でテイクオーバーし発話を重ねていく
閉じた安心社会から 開かれた信頼社会へ さらに、なめらかな社会へ(鈴木健)
使い続けてもらえる「道具」 つくれる、手放せる「道具」
手の技は生きるための必要はなくなり、機械のボタンを押すだけに(新山龍馬)
環境との調和 オンとオフが溶けてゆく(筧康明)
マニュアルよりも レシピ
本当にバッテリーレスで動くものって、腕時計と電卓くらいしかない(高宮真)
充電の無い世界 マルチモード準静空洞共振器 QSCR 無線給電タイル Alvus
空間LED光源 luciola -
コンヴィヴィアルという言葉をテクノロジーの人がどうやって使っているのかに関心があり購入。テクノロジーの依存によって自律性が奪われるという危機感については深く賛同するし、道具や制度によっても同じことが起こりうる。
デザインエンジニアという肩書も面白い。シンガーソングライターのような、何か2つを同時にやってしまうというあり方は面白いかもしれない。 -
分水嶺という考え方を学んだ。
"自転車"がコンヴィヴィアルである
という見解にグッときた。
答えを出すでなく
自分で考えるための著書。
わたしも物事と物事の間合いを
取れるようになりたい。 -
イワンイリイチのコンヴィヴィアルについて考察した本
何事も行き過ぎは良くない -
二つの分水嶺という考え方が良かった。ちょうど良いとは何か、これから考えていかないといけない
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テクノロジーが急速に発達する中で、過度に依存せず共生していくにはどうすれば良いか。
テクノロジーのブラックボックス化は今後も進んでいくと思うが、ある程度はその中身を理解して、テクノロジーを自ら操作・調整できるようにしておく事が、良い距離感を保つ上では大事になると思う。
自分だけでは出来ない部分を、他者、自然、テクノロジーで補いながら、バランスを取って生きていきたい。