愛する人の死、そして癒されるまで: 妻に先立たれた心理学者の悲嘆と癒し

著者 :
  • 大和出版
4.13
  • (6)
  • (7)
  • (2)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 38
感想 : 7
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784804761008

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • おすすめ度:100点

    絶望に打ちひしがれる自分が、この本と出会うことで救われた。
    他の人の体験を知り、自分の身の上に起こっている未知の事態を理解することができたからである。
    現在の自分の状態が分かり、自分が感じたり考えていることは決しておかしなことではないと知り、安心することができたからである。
    また、この先、何が起こるのか見通しがもてたことで、かすかな希望が実は未来には存在するらしいということを、信じられないと否定し、格闘しつつも、存在することそのものに、ほんの一筋ではあるが、光明を見出すことができたのである。
    死別体験というそれまで想像もしなかった真っ暗闇の中にひとり放り込まれた絶望する私の感情と、著者の感情とが共有し、分かち合うことができたことは、当時の自分にとって、生きていくうえで、とても大きな出来事でであった。
    このような素晴らしい本を著した筆者に深く感謝致します。
    ありがとうございました。

  • 私はまだとても近しい人と死に別れた経験はないが、参考になる本だった。

  • 友人からの推薦本。43歳で妻を無くした心理学者の著者が自らの経験を見つめ直し、そこから回復していく過程にどのような心境や感情を経験することになるのかをまとめた「悲嘆の心理学」。最愛の人の喪失、それは他人には決して理解できる苦しみではなく、可能ならば直面したくはない出来事。喪失後の自らの感情の推移を極力穏やかかつ冷静に振り返ろうとする内容は、感情の非常時にも確かに届いてくる。できれば使う機会が訪れないでほしいと思いながらも用意してくれればと願ってしまう、そんなこころの救命道具。

  • ちょっとしたきっかけで、悲しみが溢れ出してしまう。この様な事が、死別から最初の一年は、しばしば起こります。一年がすぎ、二年が過ぎるあたりから、だいぶ減るかもしれません、しかし、それから先も、まったくなくなることはないでしょう。何かをきっかけに、それまで抑えていた感情が突然こみ上げてくるときに、遺された者は、忘れているようでも深い悲しみが常に胸の内にあることに気付かされるのです。
    遺されたものが、後になってあれをしておけば防げたかも知れないと思うのは、死別前の平凡な時間が死別を経験したことによって特別な意味をもつからです。死別の前の平凡な時間は何事もなければ、すぐに忘れ去られてしまう何気ない会話や出来事の流れです。そのような流れが、死別によって断ち切られて、死別後にはそれまでとは異質な時間が流れ始めます。その異質な流れの中から死別前の時間を振り返ると、何気ない会話や出来事が、死を防ぐことができたかも知れない特別な会話や出来事のように感じられるんです。
    遺された者が故人とのことをあれこれ思い出すと、後悔と自責を呼び起こすような否定的なエピソードばかり思い浮かびます。それは、死別の衝撃による悲嘆状態の中で故人のことを思い出すからです。
    私達が何かを思い出すときには、頭の中に蓄えられている無数の記憶の中から、何らかの手がかりと合致したものを優先的に思い出します。悲嘆状態の中で故人との関わりを思いますと、頭の中にあるさまざまなエピソードのうち、悲嘆状態、つまり悲しみの感情、否定的な考え方、身体的・生理的なマイナス反応がてがかりとなって、これらと合致しやすい否定的なエピソードばかりが引っかかって、思い出されるのです。その結果、自分の言動が浅はかであった、至らなかった、言葉不足であった、取り消せるものなら取り消したいと後悔と自責の念が湧くのです。
    実際には否定的なエピソードばかりではなかったはずです。故人との関係を丁寧に振り返れば、後悔の念を呼ぶような出来事ばかりではなく、楽しいことや満足の行く出来事、正しい判断や言動もたくさんしていたはずです。
    故人との関係をゆっくり丁寧に思い出して見ることが肝心です。
    懐中電灯であまり先の方を照らしてしまうと、足元が暗くなって、このままあるいていいのか、右へ行くべきか、左に行くべきか、それとも止まった方がいいのか分からなくなってしまいます。懐中電灯は足元を照らすべきです。人生の暗闇においても、まだやってこない先の事を考え過ぎても、かえって足元が不安になります。
    私達は一瞬、一瞬を生きるしかありません。とりあえず目の前の問題を一つ一つ片付けて生きていくしまない。
    今は絶望的だが、今後もずっとこのままだとは限らない、一つの時代は終わったかもしれないが、すべてが終わったわけではない、人生は悲しみばかりではない、いろいろあるのが人生だ!
    ねばならないと言う思いが浮かんだら、それは願望なんだと思い直して、〜したいと思いに言い換えてみます。その上で、その願望が本当に実現させたいことなのか、または実現できることなのか、現実を良く観て考えてみます。そうすると、ねばならないが非合理的な思考であった事に気づくはずです。
    死別から4年以上の時間が実際に流れてみると、たしかに、時が解決してくれたと思える心の変化がありました。ただし、解決は言い過ぎだと思っています。時が心に変化をもたらしてくれるというのが実感です。悲嘆を癒やすためには、失ったものに気づき、大切な人が居ない環境に慣れること。
    死別後の新たしい役割を淡々とこなし、日常を無難に過ごし、多少でも将来への展望や希望があって、大切な人を記憶や面影を抱きつつも、それにとらわれず新しい人達との関係も始まっている、そういう自分を肯定できている。これが、悲哀の仕事を終えた後の一つの姿です。悲哀の仕事を終えることは、死別以前の状態に戻ることではありません、新しい自分になることです。

  • 心理学者が語る妻に先立たれて、自分の悲しみが癒えていくまでのプロセス。

  • 2010.04

全7件中 1 - 7件を表示

著者プロフィール

筑波大学大学院教授、心理学博士。広島大学大学院博士課程修了。宮崎大学助教授、東京学芸大学教授を経て現職。
[主な著書]『ピンチを解決!10歳からのライフスキル①友だちづきあいに悩まないソーシャルスキル』(監修、合同出版、2018年)、『大人になってこまらない マンガで身につく友だちとのつきあい方』(監修、金の星社、2017)、『上司と部下のためのソーシャルスキル』(共著、サイエンス社、2015)、『イラスト版子どものソーシャルスキル』(共著、合同出版、2010)など多数。

「2019年 『イラスト版 子どものモラルスキル』 で使われていた紹介文から引用しています。」

相川充の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×