楽園の島と忘れられたジェノサイド - バリに眠る狂気の記憶をめぐって

著者 :
  • 千倉書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784805112052

作品紹介・あらすじ

楽園の島で昨日まで共に暮らしてきた人々はなぜ殺人者と被害者に別れたのか。国軍や宗教を含む政治対立が招いた悲劇の全体像を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 1965年のインドネシアで起きた虐殺事件、殺害されたのは100万人?調べてみると、当時のインドネシアの人口は1億人なので、1%に相当する。中でもバリ島は規模が大きく、人口160万人のうち、約8万人が殺されたという。

    ここでも、歴史は勝者の側から記録される。被害者の数も正確に掴めないようす。2002年にバリ島で起こった、イスラム過激派による爆弾テロは、「平和なバリで起こった史上最悪の事件」とバリ州知事は発言、犠牲者を悼むモニュメントもあるが、1965年の事件は観光客の目や耳には届かない。加害者側が32年間政権を握っていたことも理由だが、今でも歴史教科書にも記載されないという。そして、今でも殺した側と殺された側の家族たちが同じ一つの村社会に、すぐ隣り合わせで生きている。

    インドネシアにおける事の発端は、1965年9月30日、ときのスカルノ政権を転覆させようとした企てを制圧したことに始まる。バリ島では騒ぎにはならず2ヶ月ほどが過ぎたが、共産系PKIの会合を中止させようと訪ねたPNI系の二人が殺害された事件から、PKIに対する大規模な報復が始まった。住民が住民を虐殺する、それも前半は規模の大きな権力による統制もなく。3ヶ月ほど経って、本土からNUグループが到着、今度は組織的な虐殺が続いた。

    この本は1965年の事件のうちバリ島について著されているが、同じ著者がインドネシア全体について纏めた新書もあるらしい。

  • インドネシアで、しかもバリ島で虐殺があったなんて知らなかった。

    なぜ隣人を殺すような虐殺が起きたのか?普通では考えられないような行動を、丹念な聞き取り調査を通じて明らかにしていく。価値のある一冊。

  • ☆全国各地で住民による住民の大量虐殺。1965年のインドネシアでのクーデター未遂事件に端を発する。

  • 楽園の島と忘れられたジェノサイド - バリに眠る狂気の記憶をめぐって。倉沢 愛子先生の著書。バリに眠る狂気の記憶。おそろしいジェノサイド。狂気の記憶は忘れてはならない。でもおそろしいジェノサイドは決して繰り返されてはならない。楽園の島が楽園の島であり続けるにはおそろしいジェノサイドが二度と起きないようにしなくてはならいのは当たり前のこと。

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著者プロフィール

慶應義塾大学名誉教授
Ph.D. in History(Cornel University)、博士(学術)東京大学
1970年東京大学教養学部卒業、1978年コーネル大学大学院修士課程修了、1979年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。1993年名古屋大学大学院国際開発研究科教授、1997年慶應義塾大学経済学部教授、2012年より同大学名誉教授。専門はインドネシア社会史。
主な業績:『日本占領下のジャワ農村の変容』(草思社、1992年)、『東南アジア史のなかの日本占領』(編著、早稲田大学出版部、2001年)、『「大東亜」戦争を知っていますか』(講談社、2002年)、『岩波講座 アジア・太平洋戦争(全8巻)』(編著、岩波書店、2005~2006年)」、『戦後日本=インドネシア関係史』(草思社、2011年)、『資源の戦争――「大東亜共栄圏」の人流・物流』(岩波書店、2012年)ほか。

「2017年 『日本帝国の崩壊 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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