あなたは私の手になれますか: 心地よいケアを受けるために

  • 中央法規出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784805815489

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  • 【心地よいケアの教科書】

    身体障害者が自分らしく生きるとは?
    福祉の世界、障害者支援(精神障害者ではあるが)にいるにも関わらず、全く分かっていなかったと刺激を受けました。

    『施設より居宅』
    初めて福祉の仕事に就く時に施設での勤務を選びました。
    ヘルパーの仕事は全く眼中になく、その理由は「人の家にあがりこんで仕事をする」ことに大きな抵抗があったからです。
    スキル(料理、洗濯、清掃)に自信が無かったことが大きな理由でした。
    本当に難しいことは利用者さんと信頼関係を築くことなのでしょう。
    「歯を磨く時、もう少し磨いて欲しい」
    「頭が痒い、もっと掻いて欲しい」
    言われなくてできるのがベスト、遠慮無く言ってもらえるのがベター。
    頼む側にある葛藤「こんなことまで頼んだらもう来てくれないのでは?」と「自分らしく暮らしたい」が常にある。これは思っていた以上に大変です。
    これが施設なら利用者さんが周りを見ながら遠慮して…となるのでしょう。自分らしく生きることができるのは自分の家…改めて考えることができました。

    『わがままこそが自分らしさ』
    「わがまま」と言えば「自分勝手」という悪いイメージがあるのではないだろうか?
    「我が」=「自分」
    「まま」=「らしさ」
    なのではないか?
    そもそも「わがまま」の意味は「自分らしく振舞うこと」
    つまり「わがまま大歓迎」こそケアなのではないだろうか?

    この書籍で学んだこと
    『わがまま』を大切にする!
    自分が発する「わがまま」という言葉の意味を変えます!

  • 脳性麻痺

  • 「他者をケアする」とはどういうことなのか、あるいは「生きることの壮絶さやたくましさ」が痛いほど伝わってきます。

  •  〔施設に入り、初めて看護婦さんにお尻を拭いてもらった時、お尻にまだ便がついている感じで気持ちが悪かった。しかし「もっと拭いてください」とは言えなかった。ただ私は心のなかで“あなたも自分のお尻をこうして拭くの?”と繰り返していた。〕(本文P24)
    著者は1953年生まれ、9歳で施設に入ったその当時では今ほどの備品もなく低コストで入手できるものは少なかっただろうと想像できます。お尻に付いた汚れを取るのも大変だったろうと思えるし、そんな先人の苦労から学び改良を続け今、とても便利になってきています。利用者にとっても支援員にとっても有難いことです。

     〔いちご会のケア・システムでは時給600円にしている。しかし、私は三時間ケアを受けても、二時間の料金しか払っていない。一時間はボランティア精神をわかってほしいからだ。〕(P30)
    ボランティアは本人の自発的な自由意思で行うことであり、賃金カットでその精神が養われるとは思えないのです。

     〔ボランティアが夜八時ごろ帰ってしまうと一人きりの部屋になる。言葉で表せないほどの心地よさである。中略 しかしどんなに心地よくなっても、私の頭のなかから“トイレ”という三文字は消えなかった(P91)〕
    トイレの不安もさることながら〔一人になった時の心地よさ〕に驚かされた。いつも介助を必要とする人にとっても“自由”であることがいかに必要で大切なことであることか。

     トイレでカーテン一枚の仕切りのなかで用を足すことでプライバシーが保てないと書いてある(P195)。
    利用者さんたちにとって守られるべきプライバシーとはなにかを今一度考え直さなければといけないのだと思います。

     〔介護者をなるべく部屋に一人にしておかないこと。大切なものは同じ場所に置かずバラバラに置いておくこと。また一人の介助者に印鑑をとってもらい、次に来た介助者に通帳をとってもらう、など。こうしたテクニックを使わなければ、信頼関係は保たれない。(P134)〕
    読んで信頼関係とは何ぞやと哀しくなりますが、このような考えに至るほどの被害にあったのだと思えばとても酷なことだと思います。更なる人に罪を犯させないためにもとてもいい案なのかもしれないという考えに至りました。

    心ない数人の支援員・看護婦さんの人としてとってはいけない行動、また専門職のプロとしての職業倫理に背いた行動をとることにより、個人の問題が、介護という専門職全体が社会的信頼を失うことになります。いい加減な気持ちで介護の世界に入る人はいないでしょう。信念を持って職に付いたのに、ある一瞬の迷いの時、自分で自分を律することが出来ず道を誤ってしまう、介護者の力や言葉による暴力により身体のみならず利用者さんの心にまでもいつまでも残る深い傷を負わせてしまう、もしかしたら介護者の誰でもが起こしてしまう可能性がないとは言い切れない、そう考えると介護という職の恐ろしさが垣間見えてきます。

    著者は、生きている限り介護を受け続けなければいけない立場にあり、介護者や行政の行きとどかないところに日々憤りを感じ、溜まりに溜まった不満が爆発し、もっと質の良い介護を!と望み、一人先陣を切り活動している様が文中からありありと見てとれます。その行動力に敬意を払い、障害を持った人の言葉を真摯に受け止め微力ながら頑張りたいと思いました。
    とはいうものの、P131に著者である小山内美智子さんが車いすに乗り店内で買い物をしている写真が載っています。陳列棚の前で車いすに座ったまま右足の靴を脱ぎ、その足で商品を取ろうとしています。私は愕然としました。手が使えないのだから、足は手の代わりなのだからと自分を納得させようとしても心のどこかに“不潔さ”を感じてしまいます。理屈ではわかっていても自分の感性から生まれる感情は如何ともしがたい、しかしながら、心で思っていても決して表に出してはいけない感情だと思います。そしていつかそれが“不潔”から“当然”と自然に思える日が来るほど(私が)成長できればと願ってます。

  • 当事者の声を知るには充分すぎる一冊。
    ただ、これはステロタイプではない。一障害者の魂の叫び。

  • 尿意を催したとき、お風呂に入る時、背中がかゆい時、歯を磨く時、ご飯を食べる時、デートをする時…


    どんなときも障害者には困難が立ちふさがっている。それをケアするのが介助者。人はひとりひとりちがう人であって同じケアではケアとして成り立たない。だからケアを受ける側は「自分の介助者の教師は自分しかいない」という意識を持たなければいけない。介助者もケアを受ける側の目線になって欲しいということが実践的に、そして小山内さんの強く優しく素直な気持ちで書かれている本。


    まさにケアをする側、ケアを受ける側の教科書。10年以上前に書かれた本だけれど本質は変わらないとおもう。
    「ケアされていない人はこの世に誰もいないのだから」と。


    今まで高齢者にしか対象を持っていなかったけれど障害者に対して興味をいだくきっかけになりました。小山内さんのスウェーデン旅行記についても近々読んでみたいと思います。

  • 2012.01.04. 障害者福祉論のレポートを書くにあたり、図書館で借りました。脳性マヒで、小さい頃は知的障害もあるとされていた小山内さんのエッセイ。こういうテーマが初めての私でも、読みやすいです。やっぱり、障害のある人は発信者にならなければ生活して行きにくい社会なんだなって思う。延々と誰かにケアを受けなければ生きていけないというのは、どれだけストレスがあるだろう。マイナス面ばかり見るのはよそう、とは思うけど、どうしても、そちらを考えてしまう。

  • ケアを受けるプロ。耳慣れない言葉ですが、本書を読めばその意味が分かります。誰でも生まれながらにして誰かにケアを受けるものである。今でも社会は障害者にとって生活しづらい環境ですが、ケアを受ける側、ケアを提供する側がお互いを尊敬しあって忌憚ない態度で接し合うことが重要で、その姿勢なの中にこそこれからの福祉社会を考えるヒントが隠されている気がしました。

  • あまり興味のなかった障害者福祉に興味を持てた本。
    障害者福祉だけでなく、ケアという意味ではいろいろ当てはまる箇所がある。特に障害者の性に関する問題は、これまで何も疑問に思ってこなかった自分が恥ずかしくなった。障害者の方たちを同じ目線で見ていなかった証拠だと思う。反省した。

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