愛という名の支配

著者 :
  • 太郎次郎社エディタス
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  • Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784811805511

作品紹介・あらすじ

恋愛、仕事、結婚、子育て、生き方……。さわやかに女と男の抑圧関係を超え、”女らしさ”の鎖をぶっちぎり、あなたらしさを発見して、大きく大きく元気になれる本です。東ちづるさん評…女性にとってモヤモヤした抑圧を解き放つよう、背中をプッシュしてくれる本です。

感想・レビュー・書評

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  • およそ30年前に出版されたというのに、全く古く感じないということは…。

  • ★フェミニズムではなく自分の解決手段★1990年代にテレビ番組で男性相手に叫んでいた印象ばかりだが、92年発行の本書を読むと、2020年時点で何一つ違和感がない。

    「男らしく」は自分中心、「女らしく」は他人のため、という刷り込みがなされる社会構造を自覚して、そこから立ち向かうために経済・生活の自立をしてドレイから脱しろ、たとえ愛されていてもペットに向けられた愛情では自分に選ぶ権利がない、と説く。女性だから素晴らしい、女性も働け、と単純に唱えるのではなく、なぜ女性がこうした立ち位置にあるのかを分析する。

    それはすべて母親から抑圧された自分の体験にケリをつけるためであり、その結果がたまたま世間でいうところのフェミニズムという学問であったそうだ。
    テレビなどでのラジカルな言い回しや声音に勘違いさせられていたが、すべては自らに立脚した論であり、予想以上に説得力がある。落ち着いて話せば(今となっては)非常にまっとうだが、そういう振る舞いでは取り上げてもらえなかったのが当時のテレビだったのだろう。

    最後に触れていた、日本でのフェミニズムは冠付きだった、という指摘も興味深い。エコロジカル・フェミニズムや反近代フェミニズム、マルクス主義フェミニズムなど他分野の人が都合よくフェミニズムを使ったという側面が大きかったのだろう。だからこそ「ただのフェミニズム」を求めるというのがよく分かった。

  • 皆さんの感想に書いてある通り、約30年前の出版にもかかわらず、現在の日本女性の置かれてる状況が大きく変わってないことに落胆。アメリカから20年遅れてると書いてあるが、30年経ってもその差は埋まっているとは思えない。日本男女の意識向上がまだまだ必要なのだろう。

  • 関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
    https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB00196571

  •  
    ── 田嶋 陽子《愛という名の支配 19921115 太郎次郎社 20191027 新潮文庫
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4101016518
     
    ── 森田 一義アワー
    《笑っていいとも! 19821004-20140331 12:00-13:00 フジテレビ》
     
     30年前『いいとも』で初バラエティ“非難の嵐”でも田嶋 陽子が出演
    http://a.msn.com/01/ja-jp/AAJNI6U?ocid=st 笹山 敬輔 20191104
    「母にいじめられたことが原点」田嶋 陽子(78)が明かす
    “私がフェミニストになった日” から続く
     
     Tajima Youko 英文学 194104‥ 岡山 静岡育ち/津田塾大学英文学科、
    同博士課程を経て津田塾大非常勤講師に。元法政大学教授。元参院議員。
    女性学研究家。
     フェミニズム(女性学)の第一人者として、またオピニオンリーダー
    として、マスコミなどで活躍。最近は歌手活動や「書アート」活動も。
    著書多数。
     
    …… フェミニズムの“パイオニア”田嶋 陽子さん。1990年『いいと
    も』の1コーナーがきっかけでテレビに出始めました。当時、“非難の
    嵐”だったといいますが、なぜ30年近く、テレビ出演を続けてきたので
    しょうか?
     聞き手は演劇史研究者の笹山 敬輔(全3回の2回目/ #1 、 #3 へ)
     
     1990年、初めて『いいとも』に出た日
     
    ―― 先生がテレビでご活躍されるのは、お母さまと和解した後なんで
    すね。きっかけは、1990年7月、『笑っていいとも!』の1コーナー「花
    婿アカデミー」。
     
    田嶋 そのころ、一般男性を対象にした「花婿学校」というのがあって、
    雑誌や新聞で評判になってたんですよ。校長が樋口 恵子さん、副校長が
    斎藤 茂男さんで、私も講師をしてました。『笑っていいとも』のスタッ
    フがそれに目をつけて、私が出ることになった。忙しくてテレビを見て
    なかったから、『笑っていいとも』を知りませんでした。それで、初め
    て出た日、私のコーナーがずっと続いて、他にあった3つのコーナーを
    全部飛ばしたんです。
     
    ―― よっぽど盛り上がったんですね。
     
    田嶋 盛り上がったもヘチマもない(笑)。私がすごく真面目に話そう
    としたら、みんなで邪魔してくるんです。なんて失礼なんだと思いまし
    たよ。頭にきて、目の前にあった水差しの水をかけてやろうと構えたと
    ころで番組が終わったんです。
     
    「田嶋先生!」アルタを出ると手を振られた
     
    ―― 先生が出演したのは、笑福亭 鶴瓶さんやウッチャンナンチャン
    が出てた曜日ですよね。
     
    田嶋 私に攻撃を仕掛けてきたのは、ウッチャンナンチャンです(笑)。
    でも、あの人たちの攻撃はそんなに悪意がなくて、常識の範囲内でした
    けどね。みんな、吹っかけ方が見事でしたよ。だから1時間もったんで
    しょう。最後に、鶴瓶さんが「新しいタレントが誕生しました」と言っ
    たんだよ。そのときは意味が分からなかったけど。
     
    ―― さすが鶴瓶さんです。フェミニストがバラエティ番組に出たのは、
    きっと初めてですよね。反響も大きかったんじゃないですか?
     
    田嶋 番組が終わってアルタから新宿駅に向かったら、エスカレーター
    の上から「ワーッ」という声がして、女の人たちが手を振ってるんです。
    誰にだろうと思って後ろを振り返っても誰もいない。そしたら「田嶋先
    生!」って言うんですよ。アルタに来てた女性たちが私を見つけて、手
    を振ってくれたんですね。
     
     その日の夜にパチンコ屋の前を通ったときも、いきなり「キャーッ」っ
    て声がして、見たら中学生の女の子。その子が、「先生、今度は何言う
    の? 面白かったー」って言ってくれました。帰りの電車の中でも、子
    ども連れのお母さんが、「先生、よく言ってくれました」って涙を流す
    んです。ほんとにびっくりしました。でも、そんなのは最初の日ぐらい
    で、あとは非難ごうごう。
    「大学教授が笑いものになってどうするんだ」
     
    ―― どんな非難が多かったですか?
     
    田嶋 友達のフェミニストに「あれでよかったのかなあ」って相談した
    んですよ。そしたら、「人は誰でも間違いってものがあるんだから」と
    言われて、「エーッ」となった。すごく悩んだのは、自分が一番尊敬し
    ている論文の指導教官から絶縁されたことです。私が卒業論文を書けな
    かったとき、下宿にまで来てくれた先生。番組に出て1週間くらいして
    から、「大学教授があんな番組に出て、笑いものになってどうするんだ。
    俺は恥ずかしい」と言われて、破門されました。そんなのが続いて、し
    ばらくは胃を痛めておかゆばかり食べてました。
     
    ―― 『笑っていいとも』のコーナーは10回で終わりますが、その後
    『ビートたけしのTVタックル』などテレビへの出演が続きます。そのと
    きも、他のフェミニストからの批判が多かったんですよね。
     
    「フェミニストたちは、私のことを嫌いました」
     
    田嶋 フェミニストたちは、ほんとに私のことを嫌いましたね。あのこ
    ろのフェミニストは左翼系の人が多くて、反近代主義が盛んだったから、
    テレビを超軽蔑してました。面と向かって「フェミニズムのことをもっ
    とちゃんと言わなきゃダメじゃない」と言われたこともあります。だか
    ら、「あなたを紹介するから、代わりに出てよ」と言ったら、「私はダ
    メよ」だって。その後、実際に出た人もいるけど、ワッと言われると何
    も反論できなかったですね。NHKならいいけど、お笑い番組に対応でき
    る人はいなかったですよ。
     
    ―― 90年代以降、フェミニズムに関して、テレビの世界では田嶋先生
    が一人で戦っていたように思います。そのことに孤独を感じたことは?
     
    田嶋 それはないです。私は自分が正しいと思ってたし、批判してくる
    フェミニストたちには「じゃあ、あんたたち、私のように身銭を切って
    みなさいよ」と思ってました。でも、寂しかったのは、テレビ局の廊下
    で女性タレントとすれ違うとき、みんな下を向いて知らん顔するんです
    よ。テレビ局の中で、田嶋陽子の考えに共感してると思われたら、男た
    ちに嫌われると思ったんでしょう。仕方ないなとは思ったんだけど、そ
    れはすごく寂しかったです。
     
     それでもバラエティ番組に出続けたのはなぜ?
     
    ―― どれだけ批判されてもバラエティ番組に出続けたのは、どんな思
    いがあったんですか?
     
    田嶋 それはやっぱり、フェミニズムの考え方を広めたかったからです。
    ライフアーティストの駒尺喜美さんから「テレビは拡声器だよ」って言
    われたの。『TVタックル』だと、視聴率が20%を超えたこともあります。
    NHKで真面目にフェミニズムを語っても、誰も見ないですよ。当時は出
    演者も原稿を読むだけだから、言葉も自分の言葉になってなくて、既成
    の言葉でしょ。私でさえ退屈しちゃう。
     
    ―― バラエティ番組はたくさんの人が見てますから、賛否があっても
    考えが広く届きますよね。その一方で、演出上、あえて対立をあおるよ
    うなこともあります。
     
    田嶋 今から思えば、視聴率を取るために、私を邪魔して怒らせたのか
    もね(笑)。相手に変なおじさんばっかり連れてくるし、でも、その頃、
    女の人が人前で怒るなんて、考えられなかったんだよね、「女らしくな
    い」って。だから、私が怒ったり、きつくなったりしてると、ほんとに
    女の評判が下がるわけです。誰も私のことを女と思ってなかったかもし
    れないけど、それはすごくイヤでしたね。
     
    ―― 私が記憶に残ってるのは、『TVタックル』で「女の敵は女」とい
    うテーマで女同士を討論させようとした回です。はじまってすぐに先生
    が「こういうのはやりたくない」と言って、その構図を拒否したのを覚
    えています。
     
    田嶋 ほんと? そうね、女の人はほとんどがフェミニストになりたく
    なかったんですよ。男社会に嫌われたら、女の人は生きていけないから。
    心の中に不満を抱えていても、構造としての女性差別があるなんて思え
    ないし、思いたくもない。だから、私が言いたい放題言うと、不安にな
    るんでしょうね。男たちは、そこに目をつけて、女同士を戦わせようと
    する。あれは闘犬と同じよねえ。すごく卑怯だと思う。
     
     たけしさんは、私の言うことを一番わかってた
     
    ―― 『TVタックル』で長く共演されているビートたけしさんについて
    は、どんな印象ですか?
     
    田嶋 たけしさんは、私の言うことを一番わかってた人だと思う。とく
    にアフリカから来たゾマホンさんと仲良くしてから変わったね。あると
    き、「先生が女に下駄をはかせなきゃいけないと言ってたのが、よくわ
    かったよ。アフリカ見てると、抜け出そうと思っても抜け出せないもん
    な。ある程度、下駄をはかせないとダメだよ」って言ってくれたね。う
    ん、それはすごくうれしかった。
     
    ―― 2003年からは『たかじんのそこまで言って委員会』にも数多く出
    演しています。亡くなったやしきたかじんさんや三宅久之さんとの思い
    出はありますか?
     
    田嶋 たかじんさんは、すごくシャイな人で、お酒を飲んでもなかなか
    打ち解けない人でした。亡くなる数年前に『ラスト・ショー』という歌
    を贈って下さったけど、難しい歌で生前には歌えなかった。亡くなって
    から3年間歌い続けました。
     
     三宅さんとはよくケンカしたんですけど、ほんとにいい人なんですよ。
    番組が終わって新幹線で一緒になると、「先ほどは失礼しました」って
    謝るの。でも毎回だから、そのうち謝るのがイヤになったんでしょうね、
    飛行機に乗るようになって。それまでは、いつも私に謝ってたんだよ。
    私が歌のコンサートを開くときには、大きな花と一緒に手紙をくださっ
    てね。手紙には、「みなさんの前でお読みください」と但し書きが入っ
    てる。舞台上で読み上げると、いきなり「みなさん、こんなヘタな歌を
    よく聴きにきてくださいました」って書いてある(笑)。そして、「そ
    れでも頑張ってるから、どうぞ応援よろしくお願いします」って。本当
    に面白くて、優しい人でした。
     
    ―― 先生は、三宅さんのように思想の異なる方との交流も多いですよ
    ね。人づきあいで心がけていることはありますか?
     
    田嶋 一つだけ決まり事があるんです。私は、すごく気が弱いんですよ。
    『TVタックル』に出た最初のころ、出演者のみんなと一緒に飲んだこと
    がありました。でも、気持ちが通じちゃうと番組で立ち向かえなくなる
    んです。どうでもいいことは批判できても、根本を批判できない。それ
    じゃあ、自分が何のためにテレビに出てるのか分からなくなる。それ以
    来、番組の出演者とは一緒に飲みに行かないと決めたの。それほど気が
    弱いのね(笑)。だから、それだけは守ってる。
     
    毎回1つでもいいから100回出ればいい
     
    ―― 『そこまで言って委員会』は「右傾化番組」の代表のように言わ
    れることもありますが、どんな思いで出演を続けてらっしゃいますか?
     
    田嶋 私のファンの人は、『TVタックル』のころからいるんですよ。番
    組で私がいくら批判されても、見てくれてる人はいる。別に番組のこと
    を考えてるわけじゃないんだけど、私が出なかったら私の立場でものを
    言う人がいなくなりますよね。世の中は、違う意見の人同士が一緒に暮
    らしてるわけだから、番組を右翼だけで固めるというのも不自然でしょ
    う。私は、喧嘩しようがしまいが、自分の意見表明の場だと思ってます。
    上の人に私と同じ意見の人をもう1人増やしてくださいとお願いしたん
    だけど、「センセイ1人で十分ですよ」って聞いてもらえなかった(笑)。

    ―― 先生がテレビに出続けることで、多くの人にとって田嶋先生がフェ
    ミニズムの入口になってきたと思います。
     
    田嶋 最初のころは、毎回あれ言おうこれ言おうと思って出て、邪魔さ
    れて1つしか言わせてもらえなくて悔しくて。そのとき、毎回1つでもい
    いから100回出ればいいと思った。今考えると、テレビは自分が出たく
    て出られるわけじゃないんだから、傲慢だよねえ(笑)。結果的には10
    0回以上出てるわけだけどね。
     
     でも、自分の考えが間違ってなかったと思うのは、このインタビュー
    もそうだけど、最近になって30代、40代の人に取り上げてもらうことが
    増えてきたことです。きっと、あのとき怒ってた変なおばさんの言うこ
    とが、正しかったのかもと思ってくれてるんでしょう。たくさんケンカ
    して、批判されて、足蹴にされてきたけど、そうやって種をまくことは
    できたのかなって。
     
    ( #3
    「『最近のフェミニズムどうですか?』田嶋陽子さんに聞いてみた」
    に続く)#KuToo、上野千鶴子さん東大祝辞 へ続く
    (笹山 敬輔)写真=白澤 正/文藝春秋
     
    http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/30%e5%b9%b4%e5%89%8d%e3%80%8e%e3%81%84%e3%81%84%e3%81%a8%e3%82%82%e3%80%8f%e3%81%a7%e5%88%9d%e3%83%90%e3%83%a9%e3%82%a8%e3%83%86%e3%82%a3-%e2%80%9c%e9%9d%9e%e9%9b%a3%e3%81%ae%e5%b5%90%e2%80%9d%e3%81%a7%e3%82%82%e7%94%b0%e5%b6%8b%e9%99%bd%e5%ad%90%e3%81%8c%e3%83%86%e3%83%ac%e3%83%93%e3%81%ab%e5%87%ba%e7%b6%9a%e3%81%91%e3%81%a6%e3%81%8d%e3%81%9f%e7%90%86%e7%94%b1/ar-AAJNI6U?ocid=iehp#page=2
    (20191104)
     

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著者プロフィール

田嶋 陽子(タジマ ヨウコ)
英文学・女性学研究者。元法政大学教授。元参議院議員。
さまざまなメディアをとおして身近でわかりやすいフェミニズムを説く。
1941年、岡山県に生まれ、静岡県沼津市で育つ。津田塾大学大学院博士課程修了。65歳からシャンソン歌手として、また70歳から書アート作家として活動をはじめ、コンサートや個展などを精力的におこなっている。
著書に『フィルムの中の女』(新水社、のち講談社+α文庫『ヒロインはなぜ殺されるのか』)、『もう、「女」はやってられない』(講談社)、『それでも恋がしたいあなたへ』(徳間文庫)、『だから、なんなのさ!』(TV朝日)、『田嶋陽子が人生の先達と考える女の大老境』(マガジンハウス)、『だから、女は「男」をあてにしない』(講談社)、『女は愛でバカになる』(集英社be文庫)などがある。

「2019年 『愛という名の支配』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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