〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす: 正義の反対は別の正義か

著者 :
  • 太郎次郎社エディタス
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感想 : 16
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784811808604

作品紹介・あらすじ

正義は暴走しないし、人それぞれでもない──。

アメリカ大統領選挙から、日本の「道徳」の授業まで、現代において「正義」や「公正」といった「正しいことば」はどのように使われているかを検討。

ジョン・ロールズ、リチャード・ローティ、アイザイア・バーリン、ジュディス・シュクラー、アイリス・マリオン・ヤング、スタンリー・カヴェルなどの議論を参照しながら、「正しいことば」の使いこなし方をプラグマティズム言語哲学から探る。

「正しさ」とはなにかを考えるうえで、わたしたち自身の〝ことばづかい〞を通して「正しいことば」をとらえなおす画期的論考。

感想・レビュー・書評

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  • 〈公正〉を乗りこなす | [Edit-us]
    https://www.editus.jp/topics/rensai/fairness

    ウェブ電通報 | 朱 喜哲
    https://dentsu-ho.com/people/1640

    〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす|太郎次郎社エディタス
    http://www.tarojiro.co.jp/product/6397/

    ーーーーーーーーーーーーーー
    電通の方かぁ、、、

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      【イベント情報】〈公正〉を乗りこなす●2023年9月26日(火)朱喜哲×古田徹也「公正/正義/言葉」@分倍河原・マルジナリア書店|太郎次郎社...
      【イベント情報】〈公正〉を乗りこなす●2023年9月26日(火)朱喜哲×古田徹也「公正/正義/言葉」@分倍河原・マルジナリア書店|太郎次郎社エディタス
      http://www.tarojiro.co.jp/news/6409/
      2023/09/07
  • ポリコレに対するめんどくささや、相対主義をどう克服するかという課題に対して、最近は考えている。
    そんな折、この本に出会い、思考の整理ができ、次に行けた気がする。

    この本ではまず、諸課題に対して、多様な人が関わり、会話を続ける(つまり常に改善し続ける)ことが一番重要であるとし、それを主眼に置く。
    すると、相対主義や、経験の訂正不可能性(それらをひとまとめにこの本では会話の「事故」と表現する)のそれらはすべて会話を止める可能性を孕むことになってしまうので、良くないとなる。
    論破とか「お前は若いからわかっていない」とかの言動もその類になる。
    その事故をなるべく起こさないために、ロールズを引用しながら、「善」と「正義」を分け、「正義」の土台となるのが、公平であるとしている。
    各人の宗教的な思想や信念を「善」、それとは別に、社会的な正義があると。「正義」とは、ここでは生産物を適切に分配する制度・システムを指す。適切とは公平であるとしている。
    例えば、トランプ支持者は熱心なキリスト教徒であり、その信念に従い、頑張ってきたが、
    今や移民やLGBTQのようなマイノリティが政治上の議論の俎上に上がっており、彼らにとっては、これまで頑張ってきた自分たちを差し置いて、割り込みされていると感じているとされている。
    このとき、マイノリティを目の敵にするのではなく、彼らがよくなるためにはどうしたらいいかを検討しようという姿勢こそ正義に与するし、会話を止めないことだと。
    LGBTQのような今までは可視化されていなかった弱者を公平(フェアネス)に救い上げる。
    彼らがすくわれることと自分が救われない(ように見える)こととを切り離すこと、
    LGBTQの問題の場合、ヘテロセクシャルの時点でマジョリティ側に属しており、マイノリティとの力の勾配を是正することが公平への前進であり、ひいては「正義」に寄与する。

    ただ、言っても我々は同族や同じ境遇にいる人に対しての共感をしてしまうもので、対岸の火事は他人事に見えがちである。
    ここで、善と正義を分ける意味が出てくる。
    つまり、そういうことは正義(社会・制度・システムの問題)として考えればよい、自分個人的な善においては、近いやつを愛せばよい。
    こういうロジックを提示してくれる。正義のレイヤーを個人的な善に過剰に押し付けられてしまうと、うっとおしくなるのである。

    ただ逆の話もあって、正義と善とのレイヤーが違うということであれば、
    なんでもかんでも自己の善を通すことつまり「言論の自由」を盾になんでもかんでも発言していいとするような態度を取ってよいのかという話にもなる。
    ここでも、結局公平さが軸となる。ここで、「積極的自由と消極的自由」という概念を導出する。
    つまり人から指図されない自由である「消極的自由」と、自由に自分を表現できるという「積極的な自由」である。
    このとき消極的自由が積極的な自由よりも優位に立つとし、積極的自由の行使は他人の消極的自由を侵さない範囲でということになる。
    その範囲とは、残酷さのない範囲だと。身体的・精神的な苦痛は割とどんな思想信条でも共通認識がされやすいからと。
    ここで、個人の善と正義がぐるっと一周回ってくる。
    どれだけそれら二つの概念を分けたところで、我々は社会的生物には変わりなく、生まれ落ちた時点で自分の場所をとる(そこに他の存在が存在しえた可能性を潰している)。
    我々の善に従った行動自体が、残酷さに容易に加担することもある。それが無自覚に不公平の再生産に寄与してしまう。
    そこで、会話である。
    不公平の再生産の歯止めをするためには、現状で残酷さの渦中にいる人の声を聴くこと。
    そういう人たちは言語を奪われていることもおおく、非言語的なコミュニケーションも会話として拾い上げることが大事。(ここで筆者は物語の重要性を説く。)
    ポリコレはその意味で有効であると思う。つまり、残酷さにいる人々の代弁をしているのだ。
    会話を止めないことが課題解決につながる、そのために今、残酷さを抱える人達の声を拾い上げて制度・システムに還元すること。
    (それが仮に自分の信条を変えることになろうとも。例えば、女性軽視の文化で育った場合においても、それを変えようとするような。)
    それが正義への道であり、他人との会話を止めたり、信念の押し付けをしたり、過剰に他人の利害に首をつっこんだりすることはそれに寄与するものではないと一蹴するような態度が大事だなと感じた。

    読後、相対主義は正義に与しないということで、自分の中でストンと腑に落ちたし、
    ポリコレは正義に寄与するものであると理解しつつも、少ししんどいときは、一定の距離を置くことも可能ではないかと思った。

    なんというか、この本の言ってることは、
    お互いの信条・思想を押し付け合ったり、優劣つけようとするよりも、どっちも大変ってことで、解決していこうぜみたいな、非常に前向きな哲学だなと思う。
    前提としてなんとか会話を続けることで、なんとか解決に向かえるとしていけると信じているので。
    読者として課せられた課題は、現実問題として、正義を適切に分配する制度・システムとしたときに、何をもって適切とするかを考えるべき事項だなと感じる。
    例えばそのときベーシックインカムみたいな制度が求められるのではないか。
    また残酷さの低減をするという際、非言語的なコミュニケーションを取り上げるために、物語が重要だとしているが、そうすると、共感性の高いもの、つまり過剰に劇的なものが目立ってしまい、不幸自慢のような争いになりそうな気もする。残酷さの優先順位など、政治的にどう決定するのかについても考えたい。

  • 人権…は人類の普遍的価値/正義のはずなのに、ことば・表現として使いこなせてない、変な使われ方が多い……。ではどうする? と、自分のことばの使い方、慣れ親しんでいるはずのことばとの向き合い方について、考えを整理できる1冊でした。

  • 朱先生ってこういうことを考えているのか。わかりやすく書いているが、専門家向きだと思う。ロールズからはじまって現在の政治的な状況をいろいろ哲学的に考えてるやつで、非常に興味深いんだけど、細かいところはいろいろ微妙な感じもありで、同世代、あるいはちょっと上の世代からの詳細な書評を読んでみたい。特に「正しいことば(の使い方)」っていうので考えているものがどういうものなのか……あがっている文献は、なるほどいまどきの若い先生たちはこういうの読んで育ったのか、という感じがある(ローティが専門なのね)。

  • 【書誌情報】
    『〈公正〉を乗りこなす――正義の反対は別の正義か』
    著者:朱 喜哲 (1985-)
    装丁:田渕 正敏 イラストレーター
    発行日 2023年08月発行
    判型 四六判・並製
    頁数 272ページ
    価格 本体2200円+税
    ISBN ISBN978-4-8118-0860-4
    Cコード C0010

    ◆正義は暴走しないし、人それぞれでもない──。
     アメリカ大統領選挙から、日本の「道徳」の授業まで、現代において「正義」や「公正」といった「正しいことば」はどのように使われているかを検討。ジョン・ロールズ、リチャード・ローティ、アイザイア・バーリン、ジュディス・シュクラー、アイリス・マリオン・ヤング、スタンリー・カヴェルなどの議論を参照しながら、「正しいことば」の使いこなし方をプラグマティズム言語哲学から探る。「正しさ」とはなにかを考えるうえで、わたしたち自身の〝ことばづかい〞を通して「正しいことば」をとらえなおす画期的論考。
    http://www.tarojiro.co.jp/product/6397/


    【目次】
    はじめに

    序章○正しいことばの使い方
    「正しいことば」はややこしい?◉ほんとうの意味を理解できなくても、正しく使うことはできる◉ことばを乗りこなすために◉ルールはあってもルールブックはない◉「会話を止めるな」


    第I部◎「正義」というテクニック

    1章○「正義」の模範運転とジョン・ロールズ
    アメリカ大統領選挙をとりまくことば◉「正しいことば」の帰還?◉ハリスの「正しいことば」◉バイデンが指し示した「理念」◉「正義」の凋落とジョン・ロールズの登場◉ロールズによる「正義」と「善」の区別◉「公正としての正義」◉「正しいことば」に息を吹きこむ

    2章○「正義」の前提としての「公正」
    アメリカの「正義」、再訪◉合意するための「場」◉みなでとりくむ「命がけの挑戦」◉現にともに生きているから、他者が気になる◉わたしたちは「適度な」正義を実現できる◉「全員にとっての利益」のための責務◉コロナ禍における「自粛」と公正◉「公正」は、思いやりや優しさではない

    3章○道徳教育と「正しいことば」の危険運転
    学校で学ぶ「正しいことば」◉「道徳」教科が掲げる目標◉公正とは「差別はよくない」ということ?◉道徳の延長線上にある「正義」◉法外な目標は「正しいことば」を空虚にする◉日本における「正義」の息苦しさ◉「道徳としての正義」と会話における事故◉会話の止め方――三つのタイプ

    4章○「道徳としての正義」とトランプ現象
    ドナルド・トランプと「正しいことば」◉トランプ現象を「予言」した哲学者◉なにが「予言」されたのか?◉「アイデンティティ・ポリティクス」の時代◉「マジョリティの怒り」を分節化する◉「感情」に火をつけたトランプ◉「当事者性のことば」と「正しいことば」

    コラム1●「交差性(インターセクショナリティ)」が行き交う世界


    第II部◎「正しいことば」のよりどころ

    5章○「会話」を止めるとはどういうことか
    あらためて、ことばを「乗りこなす」とは◉ローティのいう「会話」とはなにか◉「議論」や「探求」よりも「会話」が先にある◉「会話の豊さ」を毀損する話法◉ローティ流の「会話」と「正しいことば」◉正しいことばの使い方が「会話」を豊かにする◉「論破」ゲームの陥穽◉「正しいことば」を使いわけるために

    6章○「関心」をもつのはいいことか
    積極的無関心のすすめ◉「関心」と「interest」◉「関心」をかき立てる想像力◉社会学的想像力の副作用、「過剰な」関心◉「無関心」としての「寛容」◉「関心」を理解し、乗りこなす

    7章○「自由」を大切に使う
    正しいことばとしての「自由」◉現実政治と対峙する哲学者バーリン◉バーリンが区別する二種類の自由◉「信教の自由」から考えるバーリンの自由論◉自由と寛容/不寛容◉「不寛容に対する寛容」は成り立つか◉「自由」ということばの陥穽と例外

    8章○わたしたちの「残酷さ」と政治
    なにから自由を守るのか?◉だれもが弱者であり、強者でありうる◉「善」ではなく「悪」についての一致◉なによりまず「残酷さ」を低減せよ◉「残酷さ」への着目の系譜◉わたしたちの「残酷さ」を直視する

    コラム2●だれも「中立」ではいられない


    第III部◎「公正(フェアネス)」を乗りこなす

    9章○理論的なだけでは「公正」たりえない
    「残酷さ」への着目と「正義」の構想◉身体感覚としての「残酷さ」は相対的なのか?◉動物倫理と「文化・伝統」とのあいだの緊張◉あまりに「西洋的」でも、あまりに抽象的でもない◉ことばをもてないことの「残酷さ」◉理論的なことばだけでは足りない

    10章○「公」と「私」をつらぬく正義
    それでも「正義はよいものだ」と言うために◉社会において両立しえない複数の「善」◉理念が個人を殺戮するとき◉「まちがっていたくない」という怯懦◉「バザール」と「クラブ」◉比喩による「公/私」の整理とその限界◉バザールの「正義」◉わたしたちが生きる空間で響く複数の声

    11章○「公正」というシステムの責任者
    「公正としての正義」という仕組み◉「正義」とは構造の問題である◉「合理的配慮」の問題◉「配慮」ではなく「調節」◉ロールズの「正義」構想のデメリット◉問題は「構造的不正義」である◉「公正としての正義」を駆動させつづける責任

    12章○正義をめぐって会話する「われわれ」
    だれが「われわれ」なのか◉「正義をめぐる会話」への、届かぬ叫び◉黙らせ、不平等を正当化する「力」◉「憤激」と「ねたみ」◉だれが「力」を行使しているのか◉むすびにかえて

    あとがきにかえて

  • 東2法経図・6F開架:801.01A/C61f//K

  • 女子栄養大学図書館OPAC▼https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000067268

  • ロールズの正義を用いて、学術的に書いてある本でしたが、あまり理解出来ませんでした。まあ私の頭の悪さから来てると思われますが。

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著者プロフィール

1985年大阪生まれ。専門はプラグマティズム言語哲学とその思想史。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)。大阪大学社会技術共創研究センター招へい教員ほか。
著書に『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす』『バザールとクラブ』、共著に『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』『世界最先端の研究が教える すごい哲学』『在野研究ビギナーズ』『信頼を考える』など。共訳に『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』など。

「2024年 『人類の会話のための哲学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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