潮路はるかに 慶長遣欧使節船出帆400年

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  • Amazon.co.jp ・本 (127ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784812499146

作品紹介・あらすじ

独眼竜が描いた夢、400年の時を経て鮮やかに蘇る!『河北新報』好評連載企画、待望の書籍化。伊達政宗に学ぶ、復興の気概!

感想・レビュー・書評

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  • 宮城県慶長使節船ミュージアム(愛称:サン・ファン館)
    http://www.santjuan.or.jp/

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    「岩倉具視を正使とする明治政府の使節団は1873年、ベネチアの公文書館を訪れ、日本人の署名がある書簡2通を観覧した。支倉常長という署名者は伊達政宗の家臣であるとの説明に、岩倉らは首をかしげた。「伊達氏ノ西洋ニ交通スルハ、殆ト怪ムヘキニ似タリ」と。しかし、江戸初期、仙台藩の慶長遣欧使節がスペイン、ローマを訪れ、交易の実現と宣教師派遣を求めたのは紛れもない事実であった。
    1611年、慶長三陸地震に伴う大津波で仙台藩は大きな被害を受けた。藩主伊達政宗は領国立て直しの一策として太平洋交易の実現を思い描く。支倉常長らの慶長遣欧使節はその2年後の1613年10月、サン・ファン・バウティスタ号で牡鹿半島南端の月浦を出帆した。支倉はメキシコを経てスペインに渡り、時の国王フェリペ3世に交易の許可を願い出る。許可を待つ間、スペインの援助を受けてローマ・バチカンに法王パウロ5世を訪ね、宣教師派遣に関する政宗の親書を奉呈する栄誉にも浴した。だが、結局、交易実現、宣教師派遣の願いはかなわず、支倉は1617年7月にスペインを退去、3年後の20年9月、仙台に帰着する。
    本書は、仙台藩の慶長遣欧使節派遣までの経緯、スペイン、ローマまでの支倉らの足跡を丹念にたどり、先人たちの気概、勇気、努力を浮き彫りにした。慶長三陸地震から400年後の2011年3月11日、東北太平洋沿岸はまたしても巨大地震、巨大津波に襲われた。東日本大震災である。被害は甚大であり、復興までには長く険しい道のりが続く。本書は、復興に当たるすべての人の羅針盤となるに違いない。 」

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