時代を拓いた教師たち: 戦後教育実践からのメッセージ

制作 : 田中 耕治 
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  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784820802563

作品紹介・あらすじ

未来へ引き継ぐ確かな実践がここにある!"名人"たちでさえ、悩みを抱え、挫折をし、それを乗り越えることで、自らを磨きあげてきた-。

感想・レビュー・書評

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  • 「時代を拓いた教師たち」シリーズ第1作目。戦後日本の教育実践に影響を与えた、全国の教師たちの取り組みがまとめられている。教科教育や生活指導など様々な領域に渡る各実践から、教師たちが何を思い実践に移したのか、彼らなりの「哲学」をぜひ見出して欲しい。(A.S)

  •  戦後日本において教育のあり方は転換期を迎え、様々な教育改革がなされてきました。この本では、大きく移り変わる時代と社会状況のなかで、目の前の子どもたちと向き合い、よりよい教育を追究し続けた教師たちの実践が「実践記録」をもとに描き出されています。彼らが蓄積してきた実践やその記録は、過去の記録であるばかりではなく、現代の教師たちにとっても教育実践を創造するための方法論として示唆に富むものではないでしょうか。この本を通して、「教師や子どもはどんな存在か」「子どもの学びとは何か」など教育の根底をなす問いを改めて考えるきっかけにもなるかもしれません。『時代を拓いた教師たち』は現在(2024年1月時点)第3巻まで出版されています。興味をもっていただいた方はぜひ第2巻や第3巻もご覧ください。
    (ラーニング・アドバイザー/教育 FUJI)

    ▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
    https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/opac/volume/1800916

  • 教育の世界で働いていて、一度は聞いたり、見たりしたことのある人や教育運動が出てきて、自分が一緒に働いた、また、働いている人を思い起こし、彼らの背景にはこのような考え方があったのかと考え、面白かった。例として2点挙げる。

    一つは、5章.斉藤基博(p88)の授業づくりにおける「ゆさぶり」であり、これは、今一緒に働いているボスの授業に対する背景として思い起こされた。彼の言動からは、この「ゆさぶり」に対する高い意識やこの存在がいい授業の証のように聞こえてくる。
    ここでは、よい授業とは、教員の発問による「ゆさぶり」によって、子どもたちがまるで一団となって集団思考をして、論理を出しあって否定したり、衝突したりしていく。その結果、の他の世界に移行し、新しいものを発見するものだという。教員が児童集団を「ゆさぶる」ことで、子どもたちが新しい認識と出会い、自分を変革するような経験をするのだという。
    私は、この考え方のベースにある「集団思考」という捉え方に違和感を覚える。それは、第一に、すぐれた「ゆさぶり」をする教員の「全能性」が掲げられ、児童集団と教員の認識の差にあまりに大きな先見的な違いを置いていること、また、それゆえ教員自身による自己の認識の絶対性が前提とされているように見えることである。
    教員一人の頭と経験、何十人もの児童の頭と個性、多様な経験があったときに、ここまで「ゆさぶる」というような、一方向的で個人的にはえらそうにも聞こえる操作を教員というものはできるのだろうか。集団を児童というだけで、ひとまとまりと考え、「集団思考」なる捉え方を30、40人の児童に対してしてよいのだろうか。意見の違いを出しあうとは言え、やはり何十人もの人間が同じ思考をして困惑し、新しい世界へ開眼することは、一人一人に同じように本当に起きていることなのだろうか?
    もちろん、このような対話を教員と児童が1対1ですることは否定しない。世界の見方を広げ、時に、変えていくことが学びだとも思う。しかし、この実践形式はあくまで一斉授業をベースにとした囚われから抜け出ていないように私には思えてしまう。

    もう一人は、「岸本裕史と学力の基礎」(p141)の章で思い起した。それは、私が組んだ二人目のベテラン教員だ。彼女の日記指導やコピーフリーのA3の大きさの計算問題集を使ったわかった上での反復練習、「『力』を付けるには、・・・が必要。」という発言の背後には、この考え方があったのだと思う。
     「できる」ようになるための反復ではなく、「わかったこと」を再生する一種の表現活動としての反復訓練である。このことは、一緒に働いているときには理解していなかったし、彼女の授業の在り方や考え方には、賛同していなかった。勤めていた学校を去った一つの理由も、彼女に共感しきれなかったことにある。しかし、今、このようなまっとうな考え方に基づいた、まじめな実践であり、人だったのだなと考え直している。
     それでも、「どの子も伸びる 国語力/算数力」にあるような、多くの経験を積んだ教員が口にする「力」の考え方、使い方には、今も共感できない。曖昧で、一人一人異なった認識をしている、そもそもは物理的な概念である「力」をつけるなどという、言論には乗れない。せめて、語彙数などの言葉を使ってほしいと今も思っている。

    以上、他にも、あの人の取り組みの背景には、この考え方があったとか、これってこういうことだったとか、気づくことが多くあった。続編も手に取りたい。

    最後に、余談だが、「仲本正夫と・・・」の章で、金八先生が注目した仲本実践として、授業実践が金八先生のドラマの中で出てきていたことに驚いた。というのも、どの学校ドラマも道徳的な説き聞かせや休み時間の場面はあっても、数学や理科などの具体的な授業が出てくることは見たことがないし、ないとと思っていたからだ。
     金八先生も、漢字の説明はしても、それ以外の国語の授業を正面から捉えた映像など見たことがない。授業はドラマにならないと思っていた。
     しかし、この考えも改めなければならないのかもしれない。「白熱授業」として、最近ある授業が最初から最後まで放送されることもある。それでも、それはやはり教員による集団に対する講義、見るべきショートしての授業であり、少し学生からの発言があっても、それが主体になることはない。あくまでも活動主体は教員。一番たくさんしゃべり、みんなに見られるのは教員。児童や生徒が主役の授業はドラマになるだろうか?

  • 戦後教育の重要な流れを、実践家の取り組みから俯瞰する非常に面白く意義深い本。向山洋一の取組など非常に有名なものを、客観的に論評する姿勢は他の本にはない貴重なもの。
    教師になる者は読んでおいたほうがいい。
    しかし、本当にこの本の面白さがわかるのは、いろいろな実践家の著書を読み、実際に自分でやってきた経験がある教師だろう。
    教師関係者への推薦図書。

  • 分類=斎藤喜博、遠山啓ほか。05年9月。

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