対訳でたのしむ屋島・八島

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  • Amazon.co.jp ・本 (34ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784827910391

感想・レビュー・書評

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  • 初心者ですがぼちぼちと能を学んでいます。
    「対訳でたのしむ」は、薄い冊子に詞章と現代語訳、見どころや衣装がコンパクトにまとめられています。

    何だかんだと市民講座にまで通い始めましたw
    今回はそこで取り上げられていた演目。

    正式な形の能は原則、五番立で上演されるそうです。
    これは「神」「男(修羅)」「女」「狂」「鬼」の5種類の能を順に演じるということで、基本、能の演目はこのうちのどれかに分類されます。5種類を全部やればフルコースですが、時間もかかるので、現代ではいつもそうというわけではありません。が、3種なら3種で、「神」「女」「鬼」とか、「男」「女」「狂」とか、五番立の順序に則って演じられるのが原則です。

    本作はこのうち、「男」=修羅ものにあたります。
    要は武士のお話です。武士というのは、もちろん、戦をするものです。興福寺に阿修羅像がありますが、あの阿修羅も闘いの神です。
    さて、生前に戦いを生業としたものは、六道のうちの修羅道に堕ちます。そして永遠に戦い続ける定めを負います。死してなお戦わねばならない業を背負うのですね。

    本作は複式夢幻能という形を取ります。
    前半と後半に分かれ、前半ではある場所を訪ねた僧などの前に、昔の物語をする人物が現れます。これが実は昔の出来事の当人の霊で、後半で真の姿を現し、ひとしきり自分の物語を舞ってみせ、去っていきます。

    本作に登場する武士は義経です。屋島に着いた旅の僧の前に、漁翁として現れ、屋島の合戦の話をします。そのあまりの詳しさに不審に思った僧が問いただすと、あとで名乗ると消えていきます。夜半に現れたのは甲冑をまとった義経で、ありし日の戦の有様を演じてみせるのでした。
    やがて空が白み、夜が明けていきます。鬨の声かと思われたのは浦風、入り乱れる船と見えたのは白波、はなばなしい合戦は朝日にはかなく消えていきます。

    戦を語る義経には、やはりどこかその戦いの高揚感が感じられます。血沸き肉躍る興奮があり、けれどもそれはいずれ消える幻。その高揚と寂寥を、終わることなく繰り返し繰り返し味わう「修羅」とは、はたしてどんな思いがするものでしょうね。戦いを忘れることができないということも煩悩のうちなのでしょうか。

    本作は世阿弥作とされています。いまだ騒乱の世。そしてその後、太平の世を迎えるまで、多くの武士たちもこの能を見たことでしょう。
    彼らはどんな思いで「修羅」を生きたのでしょうか。

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著者プロフィール

早稲田大学名誉教授、東京生まれ。
早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。
著書に、『観阿弥・世阿弥時代の能楽』(明治書院)、『風姿花伝・三道』(角川学芸出版)他がある。

「2023年 『対訳でたのしむ百万』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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