- Amazon.co.jp ・本 (582ページ)
- / ISBN・EAN: 9784831505668
感想・レビュー・書評
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『日本人の心』(1984年、東京大学出版会)と『日本の思想』(1989年、ぺりかん社)のほか、10編の論考を収録しています。
『日本人の心』と『日本の思想』はともに、比較的平明なことばで日本思想史における重要なテーマを論じた著作です。とくに著者が強い関心を寄せているのが「誠」や「正直」といった概念で、これらに関連して日本思想における「自然」や「道理」といった概念のもつ特徴が解き明かされています。
著者は、芸道や武道における「道」の概念の検討を通して、「窮理」の欠如と「無私」の追求という特徴が日本思想史において広く見られると主張しています。また、中国の儒学のように「理」を判断する能力に基づいて本来的な「心」のありようを対象的に認識しようとする志向が優位に立つことはなく、みずからを全体性のうちに帰一させようとする「心」の純粋性が追求されてきたと述べています。
さらに、丸山眞男が「作為」の思想家として取り上げている荻生徂徠の思想にあらためて検討をおこなっています。著者によれば、徂徠は「自然」に対立するような「作為」の立場を標榜した思想家ではありません。むしろ彼は、「おのずから」成り来たった勢いを受けてこれを新たに未来への創造に向けていくことが人間の営みだと考えていました。人間の「作為」はそれを包む「自然」への随順に支えられており、「おのずから」を「みずから」生きるところに、日本思想の基礎的な発想のあり方を見ることができると著者は考えています。
本巻に収められている論文「誠実ということ」のなかで著者は、日本人が「誠実」に高い価値を置いていることに触れつつ、「誠実であればよいのか」という問題を提起しています。こうした問題は日本思想史のなかにおける「清明心」や「誠」、「正直」といった概念の検討につながり、そこでは同質的な共同体のなかで私心なく振る舞うことに大きな意義があたえられてきたことが明らかにされます。とくに著者は、近世における古学派や国学の思想にそうした傾向を見いだし、他方で中世における「道理」の意味の変遷を負うことで、丸山が批判した「通奏低音」に相当するような、日本思想史をつらぬく固有の傾向性を浮き彫りにしています。詳細をみるコメント0件をすべて表示