- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784845632596
感想・レビュー・書評
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永遠に遅れる列車わたくしの十六歳が駅に待つてゐる
紫宮【しぐう】透(高原英理)
1990年、28歳の若さで事故死した伝説の歌人・紫宮透。高原英理の新刊小説に登場する人物名である。
作中人物なので、当然架空の人物のはずだが、紫宮透作とされる短歌にまつわる関連情報や、80年代の雑誌、漫画などサブカルチャー情報がぎっしり書き込まれ、あたかも「紫宮透」が実在したかのような錯覚にとらわれる。
しかも、紫宮透は高校生のころ、塚本邦雄(実在した歌人)の短歌と出合って作歌を始めたという設定と、その傾倒ぶりにはリアリティがある。また、「人間存在自体の邪悪さを詠み続けた」塚本邦雄の営為が多数の脚注で解説され、現代短歌論としても読みごたえがある。
加えて注目されるのは、本書が80年代カルチャーへの愛惜というか、再評価につながっている点である。紫宮透は、62年、和歌山県生まれという設定。東京の大学での友人が、「WAVE」(輸入レコード店)と「ぽえむぱろうる」(詩歌集専門の書店)に通い、それらの文化を摂取しながら青春期を送ったという設定も、当時の文系青年を濃厚に再現している。
引用された膨大な固有名詞は私にも親しいものばかりだが、私たちは、もう過去には戻れない。掲出歌からは、多感な青春期を振り返ることはできるが、過去という列車には乗ることができない喪失感すら感じられる。
とはいえ、さまざまな記憶が喚起され、創作意欲を大いに刺激された。(2018年12月2日掲載) -
ゴス歌人・紫宮透という架空のニューウェーブ・アイコンを中心として紡がれる80年代サブカル曼荼羅。
別に「エモコア水墨画」とか「グラムメタル演歌」とかでも良かったのかもしれないが、別の時代では咲きえなかった徒花として「ゴス」の刹那性に説得力がある。
人生の終え方が「らしいなぁ」と思わせる。 -
満ちきたる波の大きを見上げたり見上ぐるままに溺れてゐたり (紫宮透)
本作はあくまでフィクショナルな人物として1980年代を活躍した「天才ゴス歌人」こと紫宮透の、短く、そしてはるかな生涯を追っていく作品です。メタ的な読み方は慎むべきですが、それでも、本文中の紫宮の短歌からそれに関する批評から註釈までが、著者である高原さんから産み出されたのだと考えると圧巻ですよね。実在の人物や歴史的背景に造詣があるからこそ、本作のような「極度に文系な魂」のこもった素晴らしい作品が出来上がったのだと思います。
ここからは作品自体の感想ですが、本作、何よりも紫宮透という人物の魅力が間然とすることなく際立っています。 紫宮透の歌人としての出発点が塚本邦雄というところが、まさしくゴス的かつ高原さんの他著(特に『ゴシックスピリット』)にあるようなイメージを体現させるようであり、高原さんの著作の耽読者である私からみて、とても魅力的なキャラクターでした。本作では彼の歌を初期のものから順番に繙いていくわけですが、晩年に向かうにつれ、初期にあった物々しさやおどろおどろしい作風がガラリと変化したり、解脱を思わせる感性の作品が増えていくところなどは、なるほど「その手」の作家たちの生涯と似通っている部分もあって頷ける部分もあり…とにかく80年代のゴス作家の雰囲気が余すところなく伝わってくるのです…。
彼岸と此岸を彷徨い、あっけなくその存在を晦ませてしまった紫宮透の生涯は、短くもやはりはるかな、永遠のものとなりました。それはまるで、満ちてきた大波のような、力強く刹那的な生命の奔流…。本作と彼の歌とを通して、私もまたひとつの永遠に溺れることができたように思います。 -
リリース:和朗さん