- Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
- / ISBN・EAN: 9784845636778
作品紹介・あらすじ
ペリー来航から軍楽隊、クラシック、「リンゴの唄」、戦後ジャズ、各種音楽雑誌、ビートルズ来日、ニューミュージック、歌詞論、プレイリスト、サブスク、そして未来まで----。
音楽にまつわる150年分のブックガイドも掲載!
明治初年前後から令和初頭までのおよそ150年のあいだに、日本において「音楽」がどのように記述され、語られてきたのか。音楽そのものではなく、音楽を巡る言述について確認し、ニッポンの音楽批評の歴史的変遷を楽しく辿ってみた。
1876年から2025年までを30年ずつに区切り、それぞれの時代の音楽を取り巻く言説の配置を語る「通史」と、その時代に出版された代表的な「音楽の本」を20冊選んで解説する「ブックガイド」によって構成される、圧巻の1冊!
巻末には音楽雑誌リストも掲載。
カバーイラスト:山本祥子
感想・レビュー・書評
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猫丸(nyancomaru)さんブレイディみかこが『月刊みすず 2022年1・2月合併号』で「今年は音楽がらみの本が印象に残りました。」と仰言ってました。ブレイディみかこが『月刊みすず 2022年1・2月合併号』で「今年は音楽がらみの本が印象に残りました。」と仰言ってました。2022/03/08
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前半は歴史の整理の成果に感心し、後半は自分の経験と照らすことができて楽しい。栗原さんの視点がフェアで素敵。
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『BRUTUS』2021年12月15日号に、本書をめぐる鼎談記事が掲載された。
その中で、著者の1人・栗原裕一郎が本書について紹介している言葉を引こう。
《簡単に説明すると、1870年代から始まる150年を30年ずつ区切って、音楽批評の通史とその時代に出た音楽本各20冊のガイドを付けた娯楽本です。》
大変な労作で、資料的価値も高い。各時代を代表する音楽批評本のブックガイドとしても、充実した内容だ。
ただ、「なぜ150年前にまで遡る必要があるのか?」と、読む前には疑問だった。
読者層の上限を60代くらいと見積もっても、読者が同時代の音楽として聴いてきたのは、せいぜい1960年代までのそれだろう。終戦直後や戦前、ましてや明治期の音楽には、ほとんどなじみがあるまい。
にもかかわらず、本書は前半を丸ごと割いて、幕末と明治(1章)、大正と昭和初期(2章)、戦前・戦中・戦後(3章)の音楽史(おもに洋楽受容史)とその批評について論じている。
資料的価値は認めるにせよ、大半の読者にとっては関心が薄い内容に思える。
じっさい、現在57歳の私が読んでみても、前半はほとんど興味が持てず、流し読みしてしまった。
対照的に、1966年〜95年を扱う第4章から、俄然面白くなる。他の多くの読者にとってもそうだろう(と書いたが、逆に「3章までが最高。4章以降はイマイチ」という意見も多いことを、後から知った)。
だが、対談による最後の第5章で〝音楽批評の終焉〟が語られるのを読んで、はたと思い当たる。これは、〝日本における音楽批評の始まりから終わりまで〟を一冊で辿る壮大な試みなのだ、と……。
そうであるからには、ペリー来航とともに洋楽(=軍楽隊の行進曲)が日本にやってきた年から、本書を始めなければならなかったのだ。
意図は理解したが、それでもやはり、3章までは私には退屈だった。
逆に、ビートルズ来日から説き起こされる第4章《1966~1995年/批評する主体の確立から解体へ~サブカルチャーとしての音楽と批評》は、猛烈に面白い。
私自身の音楽体験と重なるからでもあるが、それ以上に、この章自体が批評として独立した価値を持っている。第4章が本書の白眉だと思う。
著者2人の対談による第5章《1996~2025年/対談 アーカイヴィングと「再歴史化」への欲望》も、リラックスした語り口ながら充実した内容だ。
音楽批評の現在を語り、近未来までも展望しているのだが、両著者の共通認識は〝音楽批評はもう歴史的役割を終えた〟ということだろう。
もはや音楽批評はサブスクのプレイリストに取って代わられ、《プレイリストが批評だ》(370ページ)という時代になっている、と2人は言う。
つまり、あらゆる音楽がサブスクなどで手軽に聴けるいまは、〝こういう曲を、こういうテーマで選んでみました〟という選曲行為自体にしか批評はなく、〝あとは聴いて判断してね〟と言うしかないのだ、と……。
《大谷 発表媒体も含めて、みんなが作り手に回れる状態になっている、っていう現状で、言葉でもって音楽を表現することの価値の在りかがわかんなくなっているという。
栗原 批評はもうアーカイヴィング作業みたいな方向にしか命脈がないかもね。歴史の再構築と文脈づくり。未来方向へ向けて価値を付ける役割はもう音楽コンシェルジュやプレイリスターに盗られたんだよ(笑)。》(370ページ)
本書にも言及がある類書の『日本ロック雑誌クロニクル』(篠原章)は、「ロック雑誌は事実上消滅」しているという認識のもと、「墓碑銘を刻むような」(あとがき)本であった。
同様に本書も、すでに役割を終えた音楽批評の墓碑銘を刻むような一冊と言える。
後半だけなら☆5つ。 -
労作だとは思ふけど
いやね労作だとは思ふけど、1章までの大谷能生の文体が気になる。おしゃれに気どってゐて少し読みづらいのである。メソッドやヒアリング、バックラッシュ、ヘゲモニーといったカタカナや、常体と敬体が混ざってゐるのも違和感。いはゆる評論的な書き方もある。読みづらい。 -
江戸から今までの日本における音楽の変遷が、詳しくまとめられている本。知らなかったことばかりで非常に勉強になった。
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岐阜聖徳学園大学図書館OPACへ→
http://carin.shotoku.ac.jp/scripts/mgwms32.dll?MGWLPN=CARIN&wlapp=CARIN&WEBOPAC=LINK&ID=BB00630641
日本人は、どうやって音楽を語ってきたのか。
その歴史を、名著100冊を抱えてひたすら読み解く!
ペリー来航から軍楽隊、クラシック、「リンゴの唄」、戦後ジャズ、各種音楽雑誌、ビートルズ来日、ニューミュージック、歌詞論、プレイリスト、サブスク、そして未来まで----。
音楽にまつわる150年分のブックガイドも掲載!
明治初年前後から令和初頭までのおよそ150年のあいだに、日本において「音楽」がどのように記述され、語られてきたのか。音楽そのものではなく、音楽を巡る言述について確認し、ニッポンの音楽批評の歴史的変遷を楽しく辿ってみた。
1876年から2025年までを30年ずつに区切り、それぞれの時代の音楽を取り巻く言説の配置を語る「通史」と、その時代に出版された代表的な「音楽の本」を20冊選んで解説する「ブックガイド」によって構成される、圧巻の1冊!
巻末には音楽雑誌リストも掲載(出版社HPより) -
ペリー来航からストリーミング・メディアに至るまでの、ニッポンの音楽が歩んだ150年を振り返るのが今回の本だ。
これだけ見ると学者によるアカデミックな本に思うがそうではない。評論家と批評・音楽活動をしている2人があるトークイベントで「最近は良い音楽批評の本がたくさん出ているよね」という会話から始まった本だ。
洋楽との出会いは幕末のペリーが1853年に来航したことがきっかけだった。久里浜に上陸したとき、軍楽隊による演奏が行われたそうだ。
演奏された曲は「ヘイル・コロンビア」や「ヤンキー・ドゥードゥル」などだそうだ。日本において初めて洋楽が演奏された瞬間だ。
今ではおなじみの「ドレミ」だが、導入しようとした明治時代には賛否があった。反対派をかわすために西洋の音律は日本のものと基本的に変わらないとアメリカ帰りの文部省・音楽取調掛で仕事をしていた伊沢修二が、1884年に「音楽取調成績申報書」を文部省に提出した。
NHK朝のドラマでジャズが流れている。その中には現在も現役サックス奏者として活躍している渡辺貞夫がいる。渡辺が影響を受けたものとして、FEN(Far East Network)という進駐軍のラジオ放送を取り上げている。
僕がジャズミュージシャンを志したのは、なんといっても宇都宮の少年時代に受けたアメリカのポピュラーソングとアメリカ映画の影響がものすごく大きかったと思います。(中略)特にラジオから流れてきたFEN放送(進駐軍放送)のジャズミュージックは、その中でも一番ヒップだったしね。
ちなみに当時、よくかけられていた曲は「ビギン・ザ・ビギン」、「センチメンタル・ジャーニー」だった。特に「センチメンタル・ジャーニー」は、インストゥルメンタルばかりで珍しいボーカルだったので、日本人の間で流行したそうだ。
レビューの役割について、音楽に限らず、評論の対象が分からなくなってきているし、読めないつまらないと2人は語っている。
SNSの普及で1億総評論家になる時代なので無理もない。
これから先の音楽がどうなっていくのか気になるなあ。