まよけの民俗誌

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  • 論創社
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784846008703

感想・レビュー・書評

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  • 「生ともののけ」を読んだが検索で出てこなかったので同著者の作品で代替登録。
    自らの足で地道に採集した話を、共通点を見つけて考察していく手法は民俗学を学んでどう昇華していくかと示唆してくれるように感じた。
    特に、女性差別的なもの(産の忌など)がなぜこのような文化にいたったのかの考察は民俗学の研究で女性差別を啓発していくことのヒントようにも思えた。

    「産の忌」として、別火や産屋で生活することを、妊婦の方を汚れているので母家に近づかないなどと言っている。実際にそれを守らなかったからこんな不幸があった、などという迷信もある。
    しかし、その別にする生活はモノから子どもを守るための魔除けだったのではないかと著者は考察する。考えてみると、他の祭りや儀式、言葉なども時間を経るに従って本来の意義が忘れて違う形になったり形骸化したりしたものもあるので、これも母子を守るものから母子を狙うモノがくるのでこれを避ける、といった風に変遷してしまったのではないかと思うと納得がいく。
    子どもが生まれることは尊いモノなのになぜ穢れなのかという疑問が、妊娠や出産時の死亡率が高かった時代の克服法からきたと思えば理由になると思った。
    実際に子どもが産まれたら「糞」などと呼んでモノが寄り付かないようにしていた。(それでも男女差があったところもあるが)
    産屋も「火屋」「ヒヤ」「オビヤ」が転じたものではないか(当時「産む」の語は使われてなかった)、「忌がかかる」も「ヒ」「火」ではなかったか、という考察。
    産の忌:産人が外に出る時は「お天道様に申し訳ない」といって笠をかぶる(岐阜)。同じように笠をかぶるが理由を「通り神にさらわれるから」というのもある(滋賀)。
    産屋からニワへの場所の移行することで、同居人への遠慮や心苦しい生活になってしまったというひとが多い。家人が嫁を便利に使うために変わったのではないかという考察。

    【印象に残ったこと】
    炭を使ったまじない:火が魔除けであることから、火がつくる炭もまた魔除けになるという考え。また、火を一々燃やす訳にはいかないという現実。
    犬に因んだ魔除け:人間の赤子と比べて犬は産が軽く丈夫に育つ。それはモノが寄り付かない結果である。(人間が死んだり病にかかる理由のわからない不幸なことはモノのせいだった)だから戌の日を選んだり犬に打ちかけた産着を着せたり「犬の子」と呼んだりしている。
    餅の意味:めでたいからではない。いわいというのは、喜び合う日ではなくやってくるかもしれない災厄を押し退けるための呪い、払いであり、そこで餅が使われる。
    双子、歯の生えた子:屋久島の楠川では「おにごどころ」という場があり、双子や生まれた時から歯が生えていた子はそこに埋めた。島原半島でも双子は一方を殺した。ある時代以前までは双子が両方育つことはなかったという。また「不思議と一方しか育たなかった」と言う人もいた。(それは実際は殺されていたのだろう)
    葬式を避ける:妊娠中は葬式を避ける。母子に危害を加えようとしているのは死んだ家族ではなく彼らの命を奪ったモノである。妊娠している女が近づくと、モノは手を出して流産させたり畸形にさせたりするという。

  • さらっと
    山形出身の著者の身近な話が、医療の未発達で死が身近な時代の暮らしの知恵や身代わり、祈りの 魔(病気や災い)を祓う まよけの術

  • ●:引用 →:感想

    ●「はしがき」「つまらないものですが」「犬の子、犬の子」「鉄砲」「葱」「十字」「潮の力」
    ●【つまらないものですが】 贈物は多くは食品、御馳走になるのだが、これらにはまものがが取り付きやすかった。(略)贈物が相手の手に渡る際に聞こえてくるのが「つまらないものですが」、「粗末なものですが」である。(略)そんなつまらないものには用がないのである。
    ●【ハクション】 少し前まで人々は病気もなにもかも、悪いことはみなまものの手で引き起こされると見ていた(略)クシャミを起こした時には(略)今まさに邪悪なものは、間近
    ●「まよけの音」→祝い箸
    ●「櫛」 瞼に出来るモノモライをなおす呪具として櫛はどこでもかしこでも持ち出されたからである。これには、その材料まで、ツゲの櫛と問題にする地方もあるのだが、そうした櫛を火に炙って、または畳にこすって熱をもった櫛の背をモノモライに押しつける。(略)櫛をもって髪を梳くような形にモノモライをいろりの火に向かって梳き落とすのだ。 →呪いだったんだ。
    一部読みづらい。

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著者プロフィール

斎藤 たま(さいとう・たま)
1936年、山形県東村山郡山辺町に生まれる。高校卒業後、東京の書店で働く。1971年より民俗収集の旅に入る。
著書に『野にあそぶ』(平凡社)、『南島紀行』『あやとり、いととり』(共に福音館書店)、『生ともののけ』『死ともののけ』『行事ともののけ』『ことばの旅』『秩父浦山ぐらし』(いずれも新宿書房)、『村山のことば』(東北出版企画)、『落し紙以前』『まよけの民俗誌』『箸の民俗誌』『賽銭の民俗誌』『わらの民俗誌』『便所の民俗誌』『野山の食堂』『暮らしのなかの植物』『旅から』『子どもの言いごと』(いずれも論創社)ほか。

「2023年 『新まよけの民俗誌』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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