- Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
- / ISBN・EAN: 9784861828751
作品紹介・あらすじ
徹底したフィールドワークで描いた、世にもユニークな「レンタルビデオ店の文化史」。
感想・レビュー・書評
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アメリカにおけるレンタルビデオ店とは、どんな存在なのかを都市部と郊外の店舗それぞれを取材し、データを集めて考察している本だった。卒業論文のように学術書的な意味合いがあるような本だと思った。店主と店員のインタビューと、その店を利用する顧客の声から、レンタルビデオ店は、文化的な点からも存在価値があったのだということがわかる。映画を手に取って触れることができた時代を経て、オンデマンド配信が主流となりつつ今に繋がっている。
映画と日常を結びつける場所として、郊外にいけば街の交流する場所として、レンタルビデオ店があったようだ。最後の章では、ビデオ文化となり星の数ほどの映画作品がリリースされる中、アーカイブ化についての考察もされている。ガイドブック的な本が売れたり、データベース的なWEBサイトに関する動向に関する考察だ。
ユニークな本であるので、興味のある人限定の一冊だろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ふむ
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"えっ!?"と驚いたのが、レンタルビジネスを時代錯誤のものにしたのは、ここ最近の動画配信サービスの勃興ではなく、20年以上前のDVDの登場だったという事実。
それまでの卸売業者を中心とするレンタルビデオ配給システムは、ウォルマートのような量販店が、映画会社から直接買い付け、「不穏なほど安い価格」で販売するセルビデオ事業によって取って替わられるようになり、退潮は90年代後半から始まっていたのだ。
ただ日本では、"24"などの海外TVシリーズやその後の韓流ブームなどで、2000年代はまだ賑やかだった気がしていた。
で、あらためて統計データを見てみると、やっぱり2000年を境に日本でも下落に転じていたことがわかり、あぁそうか、と。
もう一つ驚いたのは、アメリカではスモールタウンなど様々な地方都市で、レンタルビデオ事業は、ほかの商売と併設される形で運営されていたのだが、なぜか日灼けサロンとの組み合わせが最も多かったのだという。
食料雑貨やガソリンスタンド、クリーニングでなく、日灼け?と奇妙に思えるのだが、どういうわけか南部では圧倒的だったらしい。
その理由として、この組み合わせがお互いの弱点を補いあうかららしいのだが、よく意味がわからないけど、面白い。
もう一つ驚いたのは、レンタルビデオ業界の大手のチェーン店が、もとは廃棄物処理業者だったなどゴミと浅からぬ因縁があったこと。
すでに廃業してしまっているが、店内の壁を埋め尽くすほどあったVHSテープなど、いまどうなっているのだろうと考えをめぐらせると、何か「輪が閉じたような」気分になってくる。
それとアメリカでは、アダルト物や同性愛物などを取り扱わないと決めている店が多い一方で、黒人が多いから都会の黒人を描いた「アーバン映画」をたくさん扱ったり、ハンターが多い街ではハンティングや釣りのラインナップを充実させるなど、実に多彩だ。
レンタルビデオ店は、「毎日のように習慣的に覗く公共空間のひとつ」で、我々はそこで初めて映画を主体的に消費することができるようになった。
つまり、映画をショッピングするという行為・経験を通じて、「映画が個人化」されていったのだ。
店員は、客の好みに応じて品揃えを調整し、知識のハブとしての役割を果たし、気軽なやりとりからビデオストアを文化的なパフォーマンスの場に変えていく。
ブルデューの差異論など社会学的分析も加えられていくのだが、いまいち実感として納得感が薄いのは、アメリカでのレンタル体験がないからだろう。
漫画『水曜日のシネマ』もレンタルビデオ店が舞台になっているけど、客が店員と親しく映画談義に花を咲かせている場面など、いままで遭遇した経験がないなぁ。
アメリカではタランティーノのような博識の映画オタクが客と蘊蓄を交わしそうだけど、日本ではどうなんだろうか。
ただ、間違いなく日本でも、レンタルビデオ店が無くなることで失われるものはありそうなんだけど、それが何なのかうまく言語化できない。
あと、日本では、レンタルCDやレンタルコミック、ゲーム販売などが店内でいっしょに事業化されているけど、アメリカではないのかしら?