- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784862485724
感想・レビュー・書評
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戦国以前の軍事の詳細がいかにわかっていないことがよくわかる。
そもそも軍事物語の話と近代軍事から推定した陸軍の軍事史が元種となって適当に歴史家が話をしていたことと、軍事関係を戦後の歴史家が無視していたことからこんなことになったようだ。
それにしても殆どの日本人が信じている歴史絵巻が全くの虚構とは、驚きだ。
歴史の大本もこんなものかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦国期の軍制、戦闘のありようはほとんどわかっていない、ということらしい。
知ったかぶりがないというのは、正直、良心的ということだ。
わからないこということが、わかる、というのも大切ではある。 -
戦闘部隊の人数、弓・鉄砲の威力、本当はどこまで分かっているか?。
本書は戦国軍事史の俗説、通説を排し、怪しい常識を暴いた本である。といっても、正しい答えを教えてくれる訳ではない。本書を読むと戦国時代の合戦が疑問だらけである事が良くわかる。
実は我々が知ったつもりになっているのは、講談や小説、映画やテレビのイメージに過ぎないという事である。
改めて混同しないように注意したいものである。 -
日本史は好きで多くの本を読んだり、テレビ歴史ドラマを見てきましたが、特にテレビを見ていて不思議な気持ちになったのは「本当にあんな格好良い戦い方をするのかな?」ということでした。
ところがこの5年の間に、その疑問に答えてくれる本を、この本の著者である鈴木真哉氏は世に送り出してくれていると思います。鉄砲伝来により戦い方は変わったようですが、テレビの戦闘シーンででてくる刀は、あまり使われていなかったようだし、馬上で戦うことはなかったようです。
これからも真実を伝えてくれるこのような本に興味を持ち続けたいと思いました。
また、戦争における死因は、戦死者よりも病気で死んだ人の方がずっと多かった(p222)というのは衝撃的でした。
以下は気になったポイントです。
・数ある戦国大名の中で、どのような税金をどのような基準で取っていたかを具体的に知ることができるのは、北条家のみ(p34)
・信長の鉄砲装備率は15%程度、根来衆と雑賀衆は20%程度、長篠の戦いにて使われた鉄砲は、確実な史料では1500挺プラスアルファ(p36)
・戦闘員が全体の兵士数に占める割合は50%程度(p39)
・騎馬武者は明治維新までずっと存在していた、原則として一定の地位、身分にある者だけ(200石以上)が乗馬することが前提(p56、59)
・北条家の戦闘員の内訳は、槍:35%、騎馬:21%、鉄砲:11%、弓:7%、旗:7%、指物:5%等(p65、66)
・鉄砲の普及後に軍装が派手になった理由は、戦場の硝煙(白煙)の中で敵味方を識別するため(p93)
・火縄銃の場合には、安全管理の必要から鉄砲兵は前後左右をかなり空ける必要があった、鉄砲兵を密集させて使うこと(隙間なく並べること)は無理(p132)
・戦場における騎馬の用途は、概ね追撃か、逃走に限られる、三方原の戦いにおいて徳川勢は緒戦は下馬して戦ったが敗色濃厚となると馬に乗って逃げた(p143)
・明国軍は、馬軍・歩軍ともに、5人を伍、12人を隊、3隊を1旗、3旗を1哨、3哨を1司、2司を1部、2部を1営とするという整然とした編成をとっていた(p149)
・戦国ドラマで、軍隊の行進する場面で、完全武装、旗持ちが旗を揚げて整然と隊列を組んだシーンが見られるが、あれは実態ではない(p151)
・日本人が戦闘にあたって依存することの大きかった武器は、古代から戦国前期までは弓矢であり、刀や槍でない、後半になって鉄砲がメイン(p158)
・仮に合戦で戦死者が1000人でたとすると、侍分は多くて1割、残りは足軽、旗持ち、具足も付けない雑人が多かった(p192)
・20世紀初頭くらいまでは、どこの国でも銃砲弾で倒れた者よりも、疾病で死んだものの方が多い、少なくともボーア戦争(1899-1902)までは続いている、日清戦争では、戦死者1417人に対して、戦病死者は1万人以上、日露戦争でも発疹チフスでの死亡が多い(p223)
2010/08/22作成 -
そうだったのか!ってとは、
日本の合戦では鉄砲・矢傷が死傷者の多数を占めていたということ。案外弓も鉄砲も遠くからじゃなかなか当たらないのに、それでも遠距離でやりあってたなんて。
題名にある通り、戦国の合戦はわからないことだらけのようだ。
特に、織田信長についてはほとんど不明のようだ。
だから小説家もテレビ演出家も、刀で切りまくったり、騎馬で突撃したり、鉄砲を並べて打ちまくったり、イメージで好き勝手できる。と。
他国と比べたらどうなんだろうか。 -
(欲しい!) 戦国合戦/新書