- Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
- / ISBN・EAN: 9784863291003
作品紹介・あらすじ
小笠原諸島からみた近代日本の外交史。かつて無人島(ムニンシマ)と呼ばれた世界自然遺産の島々が、1968年の返還から46周年。延宝3年(1675)日本人として初めて島々を探検した嶋谷市左衛門とは何者なのか。そのときの航海術はどこから学んだのか。そして船はどのような型だったのか。どのようにして辿り着いたのか。幕末期、なぜ島々は「小笠原」と呼ばれるようになったのか。明治9年(1876)小笠原諸島はなぜ日本の領土になりえたのか。本書は、それらの疑問点を『嶋谷市左衛門覚書』(17世紀後半)『三国通覧図説』(林子平、1785年)さらに『仏訳・三国通覧図説』(クラプロート訳、1832年)を中心に解き明かしてゆく。
感想・レビュー・書評
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【新着図書ピックアップ!】
世界自然遺産に登録されて多くの人が訪れるようになった小笠原諸島ですが、まだあまり知られていない歴史があるようです。興味深く読みやすい本です。
[New Book !] Reading this book will help you understand the hidden history of the Ogasawara islands.詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なぜ海上の彼方にある諸島が日本領になり、日本人が住むようになったのか、実に驚きの新発見。日本の東方に金銀島がある!と、スペイン、ポルトガルそしてオランダの船乗りたちが探し、オランダ人が1639年に発見した小笠原諸島。1670年には紀州の蜜柑船が漂着。そして最初に住んだのが何と1830年にハワイから移植した11人の英国人たち。日本の領有は幕末頃に幕府が1862年に八丈島から31名の農民を移住させたことから。日英の領土権争いがあったのだ。地名の由来は武田家(信玄)との遠戚になる小笠原貞頼が家康から証文を貰ったと1675年にその子息が名乗る人物が訴状を提出したことから始まり、この人物は本家の系譜にないとのことで、4代目の貞任は身分詐称により追放されたとのこと。それが、英国に対していつまでも無人島との地名では拙かろうということで着いた地名とは何とも皮肉。江戸時代に命の危険を冒して遠い離島に渡った先人たちの努力により、海洋国家日本が確立していったことを改めて知った。あの咸臨丸が小笠原開拓で大活躍したのだ!知る人もない。
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将来的に一度は住んでみたいと思っている小笠原諸島。それをめぐる「世界史」からの視点。
海洋国家日本が持つことのできた数少ない国境問題かもしれない。
かなりおもしろかった。