私は私になっていく

  • クリエイツかもがわ
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  • Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784863420991

作品紹介・あらすじ

ロングセラー『私は誰になっていくの?』を書いてから、クリスティーンは自分がなくなることへの恐怖と取り組み、自己を発見しようとする旅をしてきた。認知や感情がはがされていっても、彼女は本当の自分になっていく。医学情報を最新に、「精神性」→スピュリチュアリティー、多数使われている「痴呆」→「認知症」ほか、訳を全文見直し。

感想・レビュー・書評

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  •  認知症への偏見を解きほぐし、また認知症をもつ人間でありかつて「正常な世界」に属した人間として、この2つの世界を繋げたい、という強い意思によって書かれていることが分かる。バラバラに浮かんでは消えてゆく言葉をなんとか一つ二つとつなぎとめながら、言葉を紡いでゆく。これはどんなに骨の折れる作業だったろうか。

     それは「普通の人」が抱く認知症(彼女は認知症という語を嫌うが、便宜的に使わせて頂く)への偏見を取り払い、また介護にあたる人の戸惑いをかなり晴らしてくれると思う。この意義が非常に大きい。

     認知症には2つの偏見・スティグマがある。認知症はなったら終わりであるという偏見。そして、それまで築き上げた自己を失う過程であるという偏見。しかしクリスティーンはこのどちらも強く否定する。症状とともにそうしたスティグマにも向き合わなければならなかった彼女は、その恐怖と苦しみの先に「私は私になっていく」という答えを導き出す。それは、生きる認知的な自己と感情的な自己が失われるながらも、自分の魂、スピリチュアルな自己にたどり着く過程なのだという。社会的な規範からも、時間軸からも開放され、「今」を生きる。

     このような認識のもとに、著者は、治療対象でしかない「認知症患者」という考え方を否定し、一人の尊厳をもった存在としてよりそってほしいと書いている。介護者からパートナーへと転回することが出来れば、結果的に良好な関係を築けるかもしれない。本書はそのための具体的な提言でもある。ぜひ一読してほしい。

     

  • 46歳でアルツハイマー病の診断を受けたエリート官僚であった著者(クリスティーン・ブライデン)による、2冊目の著作。認知症が痴呆という言葉で表現されることが主流だった2004年に日本語訳の初版が出ている。

    「認知」という言葉に、改めて立ち止まる。脳の、あるいは心の障害といったことをよく言葉にするが、身体機能の変化、自然環境や社会の中にいる「私」に訪れるいかなる困難さにも、あるいは喜びや感動のそばにも「認知」はいる。その「認知」が生活の中でどのような影響をもたらす質のものであるのかに、個性があるだけで。

    最初の著作「私は誰になっていくの?-アルツハイマー病者からみた世界」は、自分がなくなってしまう恐怖に向き合うことで記された一冊だという(順番が前後してしまったが、こちらは、これから読む)。対して、この本においては、著者は認知症を通じてより深く自分を発見し、「本当の自分になっていく」と語っている。

    「真の自己に向かうこの旅で、痴呆症によって認知と感情の層がはがれ落ちていき、私は本当の自分になっていくのだということを、今ははっきりわかっている・・・私の内なる人がどんどん姿を現してきている。この人格は以前にも存在はしていたが、達成された認知とコントロールされた感情の仮面に隠れて、目立たずにいた」

    「今、私はより感情的になったと思う・・・今の私は、その人の外側の仮面だけでなくその人全体とつながろうとする」

    このくだりを読んだとき、これは、私が自分自身のために気づく必要があったことではないかと、はっとさせられた。自らがつくりあげた認知と感情の砦から、(その人全体とつながろう)という感覚を凍結させてしまっているかもしれない自分。時間軸や規範が社会一般のそれと見た目上ずれていないだけで、私も(そして誰だってきっと)、そんな風にたやすく、本当の自分から遠のき、生きている中核を見失うことはあり得る。

    以下、他の印象的なフレーズから:

    「私の場合は、精神性と感情を活用した方法によって人を知る。その人の中心の核になる部分ではどんな人間なのかを私は知ることができる。けれども、その人があなたのいる世界、つまり認知と行動、名札と功績の世界において誰になるのかは、私には想像もつかない」

    「私があなたを『知る』ということは、魂から魂に伝わるようなあなたの反応が、そのあなたとのつながりが、何らかの形で私の引き金を引くということなのではないのだろうか?・・・」

    「あなたの訪問は、記憶してあとで思い出すような認知の経験ではない。私を『今』という時に生きさせてほしい。私が楽しい思い出を忘れてしまったとしても、それが重要でなかったということにはならないのだから」

    これは、「生きているとはなにか」私たちの認知そのものを問う言葉だ。アウシュビッツのことを書いたフランクルの著作(「夜と霧」)のことが触れられていることも興味深い。

    私たちは一体、何を見て、いや(何を見ようと思って)生きているのだろうか。よい風に覚えていてもらうことに、人生の焦点を奪われてはいないだろうか。いずれ過去になることの怖れから、今を失っていないだろうか。

    時を知った風にして生きている自分の、浅はかなところを見透かされたような気がして、ひやりとさせられ、と同時に、氷の解けたあとのような温かな熱が、身体に染み渡ってきた。

  • 493.75/フ 2023.9末迄おすすめ図書書架に配架

  • 認知症は認知(頭)、感情(心)、魂と順に人間存在の深奥へと深まっていく、との記述にとてつもなく重要な事実に出会った感慨を抱いた。当事者の言葉はやはり深い。当事者との出会いも。

    彼女はクリスチャンで生きる意味は神とともに見いだしているが、人間存在の真実については仏教の引用が光っている。宗教性の意味について考えてみたくなった。

    ・認知症と生きる私たちの多くは、この「現在」という感覚、「今」という感覚を切実に求め、一瞬一瞬を唯一の見つめるべき、感嘆すべき経験として大切にしている。
    ・認知症になったことで、彼女の思いやりの深い側面が前面に出てきました…ずっと穏やかな性格の人になったようです
    ・それは結局、あなたのアイデンティティを満足させるためだけのことではないだろうか?私を「今」という時に生きさせて欲しい。
    ・何かしなければならないことがあるのに、それが何なのか思い出せない。何か大変なことが起こるような気がするが、それがなんだったか忘れてしまったように感じる。
    ・私たちには感情はわかるが、話しの筋道はわからない。あなたの微笑み、あたなの笑い声、私たちにふれるあなたの手が、私たちに通じるものだ。
    ・ゴールドスミスの意思疎通のまとめ
    ・まるでそこにいない第三者のように私たちのことを話すのはやめてほしい。
    ・私たちが「この病気に苦しむ人」というだけのアイデンティティに適応してしまうならば、無力感を学習するだろう。
    ・認知症の人は、認知から、感情、そして魂へと続いていく大切な旅をしているのだと思う。私はこの旅を通して、本当に大切なものは残ること、そして消えゆくものは大切ではないことに、ようやく気づき始めた。
    ・私たちにできるのは、ただこの「今」という時を、あなたと一緒に強烈に体験することだけだ。

  • 忘れたっていいじゃない、と私は思う。軽い気持ちではないけれど。
    その困惑、混乱を手放して、ただ、笑っていたっていいじゃない、と。
    甘いのかもしれないけれど。

  • 閲覧室  493.75||ブラ

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