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- / ISBN・EAN: 9784863495067
感想・レビュー・書評
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久々に数ページ読んだところで(これはひょっとして当たるのでは…!!)と言う期待感に満ち満ちて読んだ。こう言う世界観の場合、トラウマとしての背景が納得のいくものでなければ上滑るんだが「イトウさん」と言う人物の描き方が凄すぎる。
キョウスケの達観は自分の境遇を嘆く事もなく、誰を羨む事もなく、憎むこともなく、全てを自分の現実としてただ生きて来た事により生まれている。ここまでの「客観視」は人と比べない事でしか生まれないだろう。比べない、つまり比べる余地もなかったと言う事だ。
売り専のキョウスケに、毎週火曜日、他愛のないお喋りをするだけのイトウさん、ある日アタッシュケースいっぱいの札束を持って来て「好きな事をすればいい」と言う。キョウスケはそれに激高する事もなく、引く事もなく、2枚を抜き出し、その金額に値する行為をすればいいじゃないか、とサラッと交わしてしまう。
人間はその不遇さに気付くには「感情」が必要なのだ…感情は生まれ持っていたとしても、触れて、見て、与えられて、そうして学ばなければ身に着かないのだ。ある事にさえ気付かないのだ。
不遇さに自己憐憫、同情するな、でもお前が愛おしいんだ、とか言うベタな展開に飽き飽きしていたし、実際の人間の感情はおいそれと人を信用しないし、どんなに痛い目を見ても、また同じ事をしたりもする。人間は懲りない、どんなに恵まれていようが不幸だろうが、懲りないものなのだ、感情が育つ境遇に在っても宝の持ち腐れ的に不幸へ不幸へ向かっていく人もいる。そして、不幸かどうかを決めるのは、本人ではなく、その人間よりちょっとマシなところにいる人間が下す評価でしかない。
「感情」がない、無くなると言う事は、感情を学んでいないから更地のままで在る場合と、枯渇し、擦り切れて失くなる場合がある。
キョウスケもイトウも「更地」の住人である。
巻末収録の『Cage』も監禁ものに有りがちな…と言う着地点のようでそうじゃないとこが…「快楽」「感情」「執着」と言う単語に付いて、読み物を読み込んでいる人が描いている作品じゃないかな、と思った。死にネタではないがそれに等しい。生まれて来た命には等しく価値があり、幸せに生きる権利がある、なんて美辞麗句を並べ立てても光が当たらない世界もある…その命は何も欲しないかもしれない、が、たった一つのものでもあればいい、と望む気持ちが生まれ出た時に初めて命が人間になるのかもしれない。他者に感情を寄せた時に人間は人間として生まれ出るのかもしれんなぁ。
そう言う仕事を請け負う闇の組織がありまして、と言う振りだけだと薄っぺらさを感じるのに、「イトウさん」と言う人間一人描くだけで、組織の具体的な背景が目で見る情報として描かれなくても納得できてしまう、と言うとこが何気に凄かった、冥花すゐさんの『イトウさん』…ここが本当に凄いとこだ…説得力を出すために背景をしっかり構築した上で描き込まなくても、イトウさんと言う人物の「人造人間」っぽさ一つで説得させてしまった、とでも言うか。感情を持たないロボットの筈なのに、何ゆえに金塊と札束を貯め込んでいたんだろう…アンドロイドがバグとして起こす違和感みたいに。
ごちゃごちゃ説明的に客観的に見ても不幸だな、ってのを並べ立てられてない、と言う所がとても気に入ってしまった…読者を説得させるのに「背景」は絶対に必要なんだけども、必要最低限で解らせてしまう、と言う事はこう言う事じゃないかな、と思った。キョウスケの生い立ちの酷さも含めて。二人とも、過去を「フラッシュバック」して思い出すほどに「感情」が芽生えてない状態で生きてるんだよなぁ…自暴自棄になったり自分を蔑むには「感情」が必要なのだ。キョウスケが平然と娼夫やってるのも、それが彼にとっての唯一の世界だから、嘆くも何もない訳だ。この怖さがあの一冊に収まってる…。何が一番気になったのかが気になって考えてみると、キョウイチが自分の境遇を「可哀想」と思ってないと言う所。自己憐憫の感情がない。だから酷い客に捕まっても(どうせ俺なんか薄汚れてる…)ではなく(ツイてない)になる。可哀想な俺を救ってくれ、と言う希求を一切持ってない。ここが、怖い。こんな境遇、異常だよな、とは判っているだろうけど、普通と違うと言う事を判定しているだけで、一切持ちえなかった場合は欲しがる事もしない、と言う事だ。その人間にとってリアルな世界はそれしかない訳だから、自分を嘆かない。何と言う悲しい話だ、と思ったんだよ。詳細をみるコメント0件をすべて表示