- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784865782721
作品紹介・あらすじ
「医は仁術なり」を体現した男――生誕190年記念
下総の農民の子に生まれながら、佐倉順天堂に学んで医師として頭角を現し、阿波徳島藩の典医、海軍軍医に抜擢。しかし、惜しげもなくその地位を去り、ひとりの町医者として庶民や困窮した人びとへの医療に尽くす。さらに、「平等な社会」の実現を求め、不屈の精神によって北海道・陸別の極寒の原野の開拓に身を投じ、今もその地に名を残す無私の人、関寛斎(1830-1912)。
徳冨蘆花『みみずのたはこと』、司馬遼太郎『胡蝶の夢』でも取り上げられた関寛斎の波乱の生涯と、その生涯を貫いた信念を、多くの史資料および現地探訪に基づいて描いた決定版評伝。 ◎写真多数
感想・レビュー・書評
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幕末から明治にかけて波瀾万丈の人生を送った医師、関寛斎の生涯を克明に記録した評伝。
本書によると関寛斎の人柄は、頑固一徹、激情家で至誠の人。清貧をよしとし栄達には全く無関心。自らや家族を顧みず貧者救済に奔走する理想主義者、といったところ。その生きざまも、(いい意味で)もっと器用に上手く立ち回れば貧者救済や平等社会の実現といった自らの理想実現に近付けただろうに、敢えていばらの道を突き進んで苦労を背負い込んでいくようなかなり窮屈なもの。
長崎でポンペに師事して医術の腕は確かだし、戊辰戦争の野戦病院では敵味方なく負傷者を多数救命、無料で種痘を広め、梅毒検診に取り組み、貧乏人を分け隔てなく無償で治療し、著書『命の洗濯』で日常の健康管理の大切さを説き(自らも極寒の冬を含め死ぬまで毎日「灌水・浴潮」を実践し続けた)、とその功績には枚挙に暇がない。
しかし、驚くのはその晩年、なんと七十歳を越えてから理想郷づくりを夢見て北海道はトマムに渡リ、極寒の地で開拓に従事したこと。明治人の人生百年時代を先取りしたような激しい生きざまには驚嘆した(享年83)。
ただ、家族はさぞかし大変だったろうなあ。長男の生三は何故か勘当されてしまうし、七男の又一とは干拓事業で路線対立(「父は二宮流に与えんと欲し、子は米国流に富まんと欲した」)。寛斎本人もさることながら、寛斎の家族にこそ様々なドラマがありそう。という訳で、寛斎の妻アイを描いた高田郁「あい―永遠にあり」も読むっきゃないな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
東2法経図・6F開架:289.1A/Se24g//K
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